9話 少女が来る、狼煙を上げて5

 陣楼院じんろういん別邸に向かう最中、滑瓢ぬらりひょんの来歴に疑念を指した神楽かぐらは、驚く晶たちに小首を傾げて口を開いた。


「私は滑瓢ぬらりひょんを知らないけど、神柱に関してはしろ・・さまから能く聞いているよ。

 神柱は、司る象自分自身に対して嘘は吐けないって」


「それは、そうですが」


 既知の知識を指摘され、晶の声も肩透かしの感情が混じる。

 だが、陣楼院じんろういんの名前を背負う少女は、さらに踏み込んで言葉を続けた。


「嘘って、言葉だけじゃないよ。性格、行動。――そして、奇跡も。

 嘘を自在に操れるなら、滑瓢ぬらりひょんの嘘は完全じゃないって事。つまり、嘘の吐けない事象も必ず存在している。

 ――特に本質に近い奇跡とか、絶対に偽れないと思うけど」


 神楽かぐらの奉じる大神柱月白つきしろは、殊の外、易占の類を好む。

 だが易占は本来、ただ・・人が神柱に問いを預ける儀式だ。


 ただ・・人が自問自答しても余り意味が無いように、神柱が神柱自分自身に問いを放っても応えが返ることは有り得ない。


 だが、神楽かぐらの記憶の中で、月白つきしろは確かにこう口にしていた。

 いわく、


 ――神柱は偽りを口にできぬ。そして易占には必ず、応えを返さねばならぬ。


 明確に言及すれば、どれほど不都合であっても、正当な問いかけには必ず応じる義務を神柱は背負っている、という事である。


 事程左様に、神柱は正当な手順には誠実な結果として返す。

 陰陽術や呪術。波国ヴァンスイールの聖術も、易占と同様に神柱の象を模倣した技術である以上、神柱は牙を剥く相手であっても誠実に結果として返さなければならないのだ。


神父ぱどれが本当に西巴大陸に由来する神柱なら、西巴大陸を主流としている奇跡しか行使できないはずだよ?」


 神楽かぐらの指摘に、晶と咲は視線を交わした。

 滑瓢ぬらりひょんが行使した呪術は鬼道グィタオであると、華蓮かれんで確かに確認されている。


 鬼道グィタオとは、邪仙が行使するという真国ツォンマの技術だ。

 西巴大陸を由来とするならば、滑瓢ぬらりひょんが行使する事は出来ないと確信できる。


真国ツォンマは太源真女を主神に、多くの蕃神を裡に抱える国家と聞いているわ。当然、龍穴から放逐さおわれた神柱も居るはず。

 ――嗣穂つぐほさまに連絡しましょう。事に因ったら、方針を大きく切り替える必要があるかも」


「はい。

 真国ツォンマの知識なら、陰陽省の協力を仰ぐのが最善かと。

 ――天領てんりょう学院の蔵書も相当なものですし、俺はこれから学院に戻って書庫を当たる許可を貰います」


「お、おい、待て。未だ疾走っている途中――!」


「「あ」」


 行動に移そうと勢い込む咲が腰を浮かした途端、蒸気自動車が大きく揺れて狭い車内で少女の姿勢が崩れる。


 迅の警告も空しく立て直すことも叶わないままに、吐息も触れ合う距離で咲は華奢な体を崩れるように晶の胸元へと預けた。


「ご、ごめんなさい、晶くん。

 ――奈切なきり先輩、自動車を停めて!」


「大路の真ん中だぞ。簡単に止められたら、苦労は無ぇよ」


「さ、咲。余り身動みじろきは――」


 年嵩の少年たちが繰り広げる他愛ない騒動は、彼女にとって愛おしい戯れの一つと映ったか。


 姦しさが支配した車内。終ぞ体験したことのない賑やかさを眺めるだけの神楽かぐらは、稚いかんばせに晴れるような微笑みを浮かべた。


「ずるいです、兄さま。

 私も遊びたいな」


「いえ、遊んでいる訳では無いので、」


「晶、動かないで! 当たるから」


 微妙に力の入らない限られた空間で、四者四様の悲喜交々が飛び交う。

 暫くの後、路肩に足を止めた自動車の中、体勢を立て直した咲と晶が座席に深く座り直した。


 猫の戯れに似た騒動の気恥ずかしさからか、微妙に2人の視線が明後日の方向を見て交わろうとしない。

 狭い座席で精一杯に両端へと寄る晶と咲を交互に見て、神楽かぐらいとけなく笑い声を上げた。


「面白かった。

 ――兄さま、私もお膝に乗って良いですか?」


「「駄目です」」


 こんな稚気た騒動で陣楼院じんろういんの幼玉が男性と肌を触れあったと知られたら、先刻の老人でなくとも頭の血管が切れかねない。


 ……それ以前に、神楽かぐらの警戒心が少し薄すぎやしないだろうか。


 流石に断られると理解はしていたのだろう。然して残念そうな表情も浮かべずに、神楽かぐらは肩を震わせながら爪先を眺めた。


「残念。父さまも、最近はお膝に乗せてくれなくなったので寂しいです」


「男女七歳にして席を同じゅうせず。

 ――神楽かぐらさまも、婚儀を見据えて男女の距離を測る年齢になったという事かと」


 その言葉に、咲と晶を交互に見遣る。

 今でこそ微妙な空間が両者の間に生まれているが、その直前まで晶と咲の身体は意識しないまま触れ合っていた。


 咲の論理をそのまま当て嵌めれば、触れ合う事を意識していない両者は夫婦の間柄という事になる。


「兄さまは輪堂りんどうと結婚しているのですか?」


「「いえ、違います」」


 跳ねる勢いで、重なる否定が神楽かぐらへと返る。

 それが如何にも怪しく見えて、神楽かぐらは勘繰る視線を上目遣いに向けた。


「……私は晶くんの教導なので、関係がやや・・近しいのです。

 その、姉弟子と云いますか、同じ武門を志す仲と云いますか」


 咲の両手が二人の関係を表すように、絡んで解ける。

 その様を面白そうに眺めながら、神楽かぐらは晶に視線を移した。


「――そうなのですか?」


「はい。咲お嬢さまの守り役をされていた阿僧祇あそうぎ隊長殿に、奇鳳院流くほういんりゅうを教わっているので。

 ……その縁が巡って、輪堂りんどう家の御当主が自分の後見に立ってくれました」


 晶の声音に動揺が浮かんでいない。妙な敗北感から、咲は横目で少年を睨んだ。


 ――少女の視界に、晶の首筋が映る。

 であった当初よりも僅かに成長したと思えるそこが、やけに強張って見えた。


 肩肘張ったその首元が赤く染まっている光景に、咲は何とも言えない安心感から微笑みを浮かべる。

 咲の気配が変わった事に気付いたのだろうか、晶が咲へと視線を移した。


「お嬢さま、どうかされましたか」


「ううん、何でもないわ」


 ――精一杯に張った虚勢が気付かれたのだろうか。

 内心で緊張する晶の問い掛けに、大輪と花咲く咲の笑顔だけが迎え撃った。


 ♢


 南東にそびえる玖珂太刀山は、一見するだけでは気楽に登れる程度の山でしかない。

 だが、五行結界にける火行の要であり、その警備は相応以上に固い。


 人の目もそうだが、陰陽師が張り巡らす結界が並みの化生を圧し潰すほどの強度を以て御山全体を守護しているのだ。


「――咲さんは大丈夫かしら」


「問題は無いでしょう。傍から見る限り、彼女は順調に晶さまとの関係を深めています」


 夕刻。山頂付近に構える神社やしろから茜に染まる央都を一望しながら、燻る不安が嗣穂つぐほの口を衝いた。

 彼女のための白衣を準備していた側役の少女は、動揺を残さないように宥めながら柔絹仕立てのそれを桐の箱に仕舞う。


 そうね。そう応える嗣穂つぐほの口調に揺れるものは無く、本殿の奥へと足を戻した。

 奥の祭壇手前に座り、置かれた香炉に火を入れる。


 準備された道具を手に、伏せた双眸の翳る狭間から呟きが漏れた。


義王院ぎおういんの動向は?」


「央都に戻る時間が遅れています。

 どうにもくろ・・さまの機嫌が不安定なようで、足留めせざるを得なかったと。

 ――最新の予定では、三日後を目途に天領てんりょう駅へと到着するそうですが」


「何とか間に合いそうね」


 側役の応えに、返る声も思慮へと沈んでいる。

 央洲おうしゅうの要請に応じる姿勢を見せたという事は、内部で混乱はしているが他洲に取り繕うだけの余裕も生まれていると推察できる。


 それに問題は、央都を襲う百鬼夜行だ。

 この問題を抑えきった功を、央都は決して無視ができない。

 この後に起こる晶を挟んでの協議で、百鬼夜行の戦功は大きな説得力を孕むようになるからだ。


「雨月との関係は?」


「……表向きは変化が無いように取り繕っていますが、左府舎からの報告で前学期よりも関係性が離れていると。

 向こうは現在、義王院ぎおういん派と雨月派で内部分裂を起こしかけているようです」


 より正確に言及するなら、雨月郎党が孤立しかかっていると評するのが適当な状況だ。


 ただ歴史の長さは、それまで培ってきた信頼の大きさも相応にある。

 何が起きているのか把握すらできていないものたちの中には、上意下達に起因する一過性の衝突と気楽に構えているものも少なくなかった。


 ――此処ここまで墜ちれば、並みの華族なら焦りから勝手に潰れてくれる。


 四院に比肩する歴史の重みに加え、天領てんりょう学院に立つ颯馬そうまの政治的な立ち回りがこの程度で済ませているのだ。


「百鬼夜行の前に学院から去ってくれると思っていたのに、下手に才能が有るのも考え物ね。

 ――晶さんとの距離は?」


「紙一重ですが、上手く離れています。

 晶さまは避けていますし、精霊が代行している隠形は充全に機能しているかと。

 ……夜劔の姓も上手い一手でした。晶という響きが雨月の記憶を刺激すれば、隠形も効果が無いですし」


 ――雨月颯馬そうまの排除は不要か。


 新川にいかわ奈津なつからの報告に、そう判断した嗣穂つぐほの安堵が返る。

 ただでさえ戦力の頭数が足りていない。颯馬そうまに関しては百鬼夜行の間、使い潰せる便利な戦力として立ち回ってくれたら、嗣穂つぐほとしては最良の結果であった。


 真新しい松の薫りを立てる板を手に、匕首あいくちで少しずつ欠片を削り落とす。

 一抓み、二摘み。熱を帯びる香炉に放り込むと、僅かな煙が薫風に乗った。


 霊力の溶け込んだ閼伽水に指先を浸して、祭壇と自身の前に一筋の線を引く。

 隔離結界。移ろう嗣穂つぐほの指に従って、朱金の神気が現世と幽世を引き離した。


ひぃさま。未だ、四院の方々は揃っていませんが」


 ――現在、五行結界の要には、鐘楼山に座す雅樂宮うたのみやを除けば嗣穂つぐほしか詰めていない。


 要の総てに三宮四院が座すこと。それが五行結界強化の最低条件である以上、現時点での術式開始は負担が高いだけで効果は薄いはずだ。


 珠門洲しゅもんしゅうの神域を玖珂太刀山に降ろす準備段階に、側役の少女から気遣う声が飛ぶ。

 だが、嗣穂つぐほは軽く微笑って、側役の気遣いを否定した。


「大丈夫よ。本格的な行使には入らないし、何時でも行使できるように準備するだけ。

 義王院ぎおういんの予定は確定。陣楼院じんろういんも、恐らくは明日から潔斎に入るとして、

 ――誉さまは?」


「……央洲おうしゅう北部に所用で足を向けていると。

 隠す用事でも無いようで、学院経由で連絡は簡単についたと訊いています。

 ――どうも、呪符組合じゅふくみあいの視察に熱心なご様子ですが」


 その報告に、嗣穂つぐほは僅かに首を傾げた。


 珠門洲しゅもんしゅうと同じく陰陽師の頭数が足りない壁樹洲へきじゅしゅうの関係者が呪符組合じゅふくみあいの運営に興味を示すのは、今に始まった事ではない。


 視察自体に疑問は浮かばないが、呪符組合じゅふくみあいを直轄する組織は央都にある陰陽省だ。

 運営実態や知識を欲するならば、天領てんりょう学院にも近い陰陽省へと向かうのが順当な判断というものだろう。


央洲おうしゅう北部の呪符組合じゅふくみあいに、目覚ましい躍進でもあったの?」


「いえ。伝聞ですが、北部の呪符組合じゅふくみあいを万遍なく回っているそうです。

 ……探りますか?」


「そうね。……いえ、良いわ。

 下手に刺激して、痛くも無い懐を探られたくないし。

 ――央都帰還が延びて貰っても困るから」


「畏まりました」


 嗣穂つぐほの言葉は確かに嘘ではない。

 しかし、その本音は返るまでの僅かに開いた間に秘められている事に、奈津なつは敏感に気付いていた。


 玻璃院はりいん誉の才媛振りが勉強机に限られている訳では無いことを、嗣穂つぐほは熟知していた。

 学院に入学してから何かと論卓を囲んだ仲であるが、兎角、僅かな情報の断片を繋ぎ合わせる事を得意としていたからだ。


 晶との不意の接触を赦してしまった際にも、身の仕草や返る表情から口にしていない事実を言い当てたと聞いている。

 直後に天領てんりょう学院を後にしたから一先ずの安堵を得ていたが、晶の素性に興味でも持たれたら弓削ゆげ孤城こじょう以上に何を掴まれるか分かったものでは無い。


 理想を語るならば、百鬼夜行を無事に終息させて状況を落ち着かせた後、出来るだけ間を与えずに神嘗祭かんなのまつりへと入る事か――。


「……おかしいわね」


「どうかなさいましたか?」


 そこまで思考してから、嗣穂つぐほは思わず声を上げた。

 突如に上げられた嗣穂つぐほの疑念に、奈津なつの視線が向けられる。


「到着が最も遅れると思われていた陣楼院じんろういんが既に到着して、義王院ぎおういんが後を追う形で帰還かえる。

 玻璃院はりいんに至っては、意味も見えない視察に北部へと行ってしまっている。

 ――あまりにも都合が良過ぎると思わない?」


「我々にとって、ですか?」


 嗣穂つぐほの言葉が理解できないのだろう。問い返される奈津なつの声に、嗣穂つぐほは僅かに首肯を返した。


 本来ならば陣楼院じんろういんを除く三院が天領てんりょう学院の日々を過ごしているはずなのに、その内二院までが所用で央都から離れている。


 そうかと思えば、二院ともほぼ同時に央都へと帰還する格好だ。

 ――おまけに陣楼院じんろういんまで、時機を計ったかのように央都入りをしている。


 晶の行使する隠形は四院への利きが悪い上、半神半人は必ず晶に興味を抱く。

 畢竟、晶が在学している間の四院不在は、奇鳳院くほういんに余計な気苦労を発生させる事なく過ぎてくれた。


 奇鳳院くほういんが晶の素性を隠すために打てた手段は、そう多く無い。

 その上で晶の実力は、既に隠形では無理も利かないほどに注目を集めてしまっているのだ。


 誉の優秀さを別としても、四院が晶の周囲から離されているのは偶然とも思えない。

 ――否。


私たち奇鳳院じゃなくて、晶さんに都合が良過ぎるわ」


「偶然ではないでしょうか?賽の出目を絶対にすれば、策として立つのも不可能と存じますが」


 首を傾げて、奈津なつが反論した。

 晶に都合が良いのは確かだろうが、嗣穂つぐほの指摘したそのどれもが高い偶発性を伴っている。

 誰かが策を弄したとしても、他人頼みが過ぎるのだ。


「……そうよね。それは確かなんだけど。

 奈津なつ奇鳳院わたしの代理として雅樂宮うたのみやに接触は出来る?」


「流石に身分差が過ぎます。

 叶ったとしても、藤森宮ふじのもりみやに勘繰られる惧れを考慮すれば直言は難しいかと

 ――何か、気掛かりでも?」


 奇鳳院くほういんは陽の極致を担っている。陽の相を統括する藤森宮ふじのもりみやの派閥である以上、雅樂宮うたのみやとの接触は非常に難しい。


藤森宮ふじのもりみや。少なくとも、薫子ゆきこさまは百鬼夜行を知らなかった。

 滑瓢ぬらりひょんが央都の龍穴を狙っている以上、必ずこの地に神託が下りているのに対処すらしていない」


「五行結界を信頼しているのでは?」


「信頼と放置は違うわよ。……月宮つきのみやの沈黙は今に始まったことでは無いけれど、祭祀を統括している雅樂宮うたのみやには何か下っている可能性はあるわ」


 高御座の媛君が、神嘗祭かんなのまつり以外に動きを見せなくなってかなりの年月が経つ。

 だが、膝元に危険が忍び寄ってきても沈黙を堅持するのは、明瞭な異常であった。


「誰かが独走をしている? 何のために?」


 嗣穂つぐほの双眸が伏せる。思考の迷路を彷徨うが、出口の糸口を辿れないまま時間だけが過ぎて行った。


 ちりちりと松明が音を立てる。僅かな風の騒めきに誘われて、嗣穂つぐほは視線を外に巡らせた。

 何時の間にか日も沈み、暗闇が本殿の外を塗り潰す。


 未だ、月明かりも昇り切っていない。視界に忍び寄るような夜の闇に僅かな不安を覚え、嗣穂つぐほは少しだけ身体を震わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る