2話 鴨津にて、向かい風に歩む3

「投宿場所、先に決めておいて良かったですね」


「……本当にね」


 晶の慰めに、咲は苦笑で応じて見せた。


 その二人の姿は、鴨津おうつの中央よりやや北の高台にある、久我の屋敷に続く大通りの途上にあった。


 面会依頼を出したらその準備を整えるために一日を要する事が多いため、咲は当初、久我の当主久我法理との面会が叶うのは翌日になると踏んでいた。


 しかし咲の予想は大きく裏切られ、咲が到着を先触れに入れた途端、直後の面会が叶う事となる。

 咲の狼狽うろたえからして、このいきなりの面会は普通のものでは無いと、晶にも理解できた。


 とまれ、出てしまった面会許可を咲の一存で後回しにできるものでもなく、2人は宿に泊まる手続きも早々に、取る物も取りあえず久我の屋敷へと赴くことになったのだ。


 2人が進む大通りは、多くの人出で賑わっていた。


 老若男女、行き交う雑多な人々と蒸気自動車スチームモービル

 人々の服装は晶も見慣れた小袖などは少なく、洋装スーツを始めとした垢抜けたものが多い。


 大通り沿いの建物に視線を向けると、華蓮でも未だ主流の漆喰造りの建物は見当たらず、煉瓦レンガ混凝土コンクリートで固められた5階層前後の高層建築ビルヂングで埋め尽くされている。


 一向に気の進む様子の無い咲とは裏腹に、周囲の物珍しさから晶は完全におのぼりさんと化していた。


「……周囲まわり、凄いですね」


「――え? ……ああ。海外の人も多いし、ここは特に発展しているわ。

 高天原の流行は、基本的に海外から影響を受けるから、実質、流行の発信源は鴨津って認識があるの」


「へぇ~。

――お嬢さまは、鴨津に何度か来たことがあるんですか?」


「何度かっていうか、何度、ね。

 鴨津はやっぱり輸出入の要だし、名瀬領としても重要な取引相手だから。

 年に2回は、お父さまに連れられて鴨津に来ているし、久我の御当主とも会っているわ。

……久我くんとも、その縁で顔見知りなの」


「久我の御当主さまですか。

――どういった方なんですか?」


 口にし難い事を訊かれて、咲は頭を悩ませた。

 人となりは知っているが、人物評とすれば難しい。


 強引でアクが強い。物事を善し悪しでは無く損得権益で図る物差しを持つ、生粋の華族・・・・・

 必要以上に・・・・・傲慢でないのが救いだろうか。


 云ってしまえばそういう・・・・相手だが、晶にとって相対した経験の少ない未知の相手だろう。


「う~ん。

――一言で云えば、晶くんも想像しやすい『八家の当主』、ね。

 良くも悪くも、政治家。

 向こうの立場上、平民上がりの防人って思われている晶くんには話しかけないだろうけど、下手に言質を取られたら身動きが取れなくなるから気を付けて」


「……怖い相手なんですね」


「うん、そうね。

 久我諒太殿のお父上・・・・・・・・・って云えば、理解できるかしら?」


「…………なるほど」


 咲の表現に、晶は思わず納得の声を上げた。

 つまり、あれ・・を老獪にした感じか。


「この話題はもう良いかな?

……何処に人の耳があるか分かんないの、私も下手に会話を聞かれたくないわ」


「判りました、ありがとうございます」


 咲の危惧している事を理解して、晶は頷く。

 そして、気付いた。


――何時の間にか、大通りを行き交う人の数が減っている。


 避けているのか、この場所・・・・に近づく必要が無いよう通りが配置されているのか。

 おそらくは、その両方が理由だろう。


 晶の目前に、記憶に残る限り雨月の屋敷正門に勝る大きさの門がそびえている。

 それは晶たちの目的地、久我の屋敷の正門であった。




 上質の石畳が敷き詰められたなだらかな坂を上りきると、直ぐに正門が大きく開けられた。

 通用門でないところに、咲の立場を如何に重要視しているのか、久我の気遣いが感じられる。


「ようこそ、お出でくださいました」


 開ききった正門の向こうに、肩までかかるであろう髪を緩く編んだやや年上とみられる少女が、にこやかな笑顔を浮かべて立っていた。


――誰?

 咲は、内心で訝しんだ。


 使用人というには上質の着物を着こなしている。つまり、華族のはずだ。

 だが、それなりに・・・・・よく訪れる久我の屋敷だが、咲は目の前の少女と面識を持った記憶が無い。


 逡巡は僅かの後に、努めて平静を装いながら、咲は到来の文言を告げた。


「――奇鳳院くほういんの下知にて、当地へとまかり越しました。

 輪堂りんどうさきが、久我の御当主さまに面会を願い出ます。

 良しなにお取次ぎをお願いいたします」


「先触れにて許可は通っております。

 御当主さまは衆議の間にてお待ちです。

――御当主さまの命にて、わたくし帶刀たてわき埜乃香ののかが先導を務めさせて頂きます」


「……よろしくお願いいたします」


 帶刀たてわき埜乃香ののか。その名前に咲は驚いて、僅かに返す言葉が遅れた。


 先導のため歩き出した埜乃香ののかの後を追うようにして、咲と晶も歩き出す。


「…………お嬢さま、どうかなさいましたか?」


 その背中をじっと見つめながら考え込む咲に、焦れた晶が声を潜めて問いかける。

 周囲の喧騒もややあり、外だから相手には聴こえづらいだろうと判断して、咲も声を潜めてそれに応えた。


「…………帶刀たてわきさま、ね。

 壁樹洲へきじゅしゅうの華族で、その名前を聞いたことがあるわ。

 確か、かなりの名家のはず。

 何で、久我の屋敷で出迎えをしてるのか、経緯が見えてこないの」


「それは、確かに変ですね」


 咲のもっともな疑問に、晶も首を傾げた。


 家格の合う華族同士であっても、洲を越えての婚姻は基本的に忌み事として扱われる傾向にある。

 その理由は、『氏子籤祇うじこせんぎ』によって得られる恩恵と密接な関係があった。


 この高天原において必ず行われる『氏子籤祇うじこせんぎ』は、土地神とただ・・人を結びつける契約だ。


 『氏子籤祇うじこせんぎ』を経たただ・・人は、その契約序列に従って優先的に土地の恩恵を受けられるようになる。

 恩恵の内容は様々であるが、共通しているのが瘴気や怪我などの厄を遠ざけるものが多かった。

 そしてこの恩恵の範囲は、土地神が支配する領域の周辺にほぼ限定されているのだ。


 無論、氏子抜けを行って、別の土地で再度『氏子籤祇うじこせんぎ』を受け直す事は可能だが、更に洲を越えた土地で『氏子籤祇うじこせんぎ』を受けた場合、生まれた洲より受けられる恩恵が少なくなる事が確認されていた。


 氏子であるならばそこまで気にすることは無いほど微々たるものだが、防人や衛士などは戦闘による怪我が生死に直結する可能性もあるため、洲越えは禁忌扱いタブー視された歴史があるほどの行いだった。


 帶刀たてわき埜乃香ののかは壁樹洲でも上位の華族だという。

 洲越えまでして、鴨津の久我家で働いている理由は本来は無いはずだ。


 それなのに、高位の華族を案内する先導という役割を与えられてまでいる。

……つまり、久我家からかなり信頼されている訳だ。


 埜乃香ののかの立ち位置が判じられない事に咲が戸惑っていると、先を歩く埜乃香ののかがくすくすと笑いだした。


「――――何か?」


「いいえ、申し訳ありません。

 失礼かと思いましたが、輪堂さまの会話が聞こえてしまいまして」


「え?

……あぁ、そっか。玻璃院流はりいんりゅう、ですね?」


 周囲の音はそれなりに大きく距離も少し開けていたため、相手には聞こえないだろうと油断していた。


 玻璃院流はりいんりゅう精霊技。木行の精霊力を扱うことに特化されたこの門閥流派は、遠当てなどの外功に分類される精霊技よりも、身体強化を始めとした内功に分類される精霊技が多いことで有名であった。


 その応用で聴力をしたのかと思ったのだが、微笑んだまま埜乃香ののかは頭を振って否定した。


「いいえ、そこまでのものではありません。

 文官のものであるならば、大抵は身に着けている手妻てじな程度の技術です」

 微笑みながら、埜乃香ののかは咲へと向き直った。

「我が家は帶刀たてわきを名乗る事を赦されておりますが、分家の末席、また分家に位置しております。

 諒太さまの側室にと御当主さまより望まれまして、久我家には皐月5月からお世話になっております」


「あ~~」


 埜乃香ののかの言葉に、咲の喉奥から、納得と困惑が入り混じった嘆息が漏れた。


 目の前の少女を、無理してでも洲外から呼び寄せた久我の当主久我法理の思惑を、咲は全て理解した。

 その上で、その思惑がご破算になった事実を悟り、どうしたものかと内心で頭を抱えたのだ。


 久我家の長男である久我諒太は、能力だけを見るなら『久我の神童』と称されるほどには有能である。

 久我法理とすれば、奇鳳院くほういんの婿として送り込み、更なる発言力の強化を目論見たかったのだろうが、生来の性格に懸念が存在していた。


 今年に入ってから、比較的云うことを聞かせられる咲と組ませることにより、久我諒太を抑えていたが、当然のこと、四六時中という訳にはいかない。

 即急に諒太の性格を矯正することが不可能な場合、陰に日向に諒太の行動を掣肘せいちゅうし助言が可能な人物を据えるしかない。


 そこで白羽の矢が立ったのが、帶刀たてわき埜乃香ののかだったのだろう。


 だが現時点において、久我家の思惑は全て裏目に出てしまっている。


 晶が神無かんな御坐みくらとして嗣穂つぐほの元に婿入りすることは、それこそ一握りしか知らない極秘事項だ。


 何しろ、当の本人ですら知らないのだ。

 久我家であっても、伴侶選考が行われなくなったことは夢にすら思っていないだろう。


 かなりの投資を行って帶刀たてわき家を説き伏せたのだろうが、伴侶選考が行われなくなった時点で埜乃香ののかの資質を除けば、はっきりと云って全てが無駄になっている可能性が高い。


 だが、この短期間で久我家にかなり信頼されている事実を鑑みれば、埜乃香ののかの資質自体はかなり高いはずだ。


 完全に無駄になった訳では無かろうと、咲は内心だけで久我家に慰めを入れた。


「これから、よろしくお願いいたします。

 お話はよく聞いてましたが、ようやく輪堂りんどうさきさまにお目通り叶いまして、嬉しゅうございます」


「え? ……ええ。よろしくお願いします」


 僅かとはいえ年上の威厳からか埜乃香ののかたおやかなお辞儀を受けて、慌てて咲も挨拶を返す。

 言葉の表現に含められた僅かな違和感に引っ掛かりを覚えたが、それでも直ぐにこれから会う久我の当主との面会に、違和感は思考の隅に流れていった。




 久我の当主、久我くが法理ほうりは、中庭を一望できる中広間衆議の間に座して、輪堂りんどうさきの到来を待っていた。


「……久我の御当主さまに於かれましては、健勝の由、およろこび申し上げます。

 奇鳳院くほういんの下知にて、当地へと参じさせて頂きました。

 輪堂りんどうさき、ここに現着の事、報告を申し上げます」


 通された広間の中ほどまで進み出た咲は、正座の後に深々と頭を垂れて正式な挨拶を述べた。

 晶も、咲の後背で慌てて頭を下げる。


「うむ、咲殿もよくぞ来られた。

 前に会ったのは如月2月の頃であったかな?」


「はい、その通りです」


「はは。この年齢としになると、記憶が弱くなっていかんな。

 思い出すのに、一拍を要するとは」


 ピタピタと側頭部を叩いて、未だ壮年の中頃であろう久我法理は苦笑いを見せた。

 その様子に、晶は内心で肩透かしを覚える。


 晶の記憶にある限り、八家の当主とは雨月天山のことである。そして、その印象は否定であり、恐怖であったからだ。


 雨月天山から受けた印象と、久我法理から受けるどこか軽々とした印象。

 その乖離からくる差に、晶は戸惑いを隠せなかった。


「さて、この話題から先に片づけておくとしようか。

――諒太との相方が解消されたことは、久我家としても非常に残念であった。

 輪堂りんどうの御当主からも、正式に謝辞を受け取っておる。

 何でも奇鳳院くほういんさまより、直々のお達しがあったとか」


「……はい。こちらの新しい防人を鍛えるよう、奇鳳院くほういん嗣穂つぐほさまよりお願いを頂いております」


「……ほう、奇鳳院くほういんが後見か。それはさぞかし有能であろうな。

 咲殿を教導につけたのだ、期待の程も窺えるというもの」


 その瞬間、ズシリと両肩に質量を伴った視線が圧し掛かってきた。

 雨月天山とは違う、しかし、同格・・の視線。


 その瞬間、晶は咲の言葉を思い知った・・・・・

――そうか、これが久我家の当主久我法理か。


 緊張に固まる晶を余所に、興味も無さそうに一瞥で視線を逸らし咲へと戻す。


輪堂りんどうの御当主には何度か留保の願いを出したのだがな、素気すげ無く断られてしまったよ。

 仕方がないので、今回の一件の調査に咲殿を派遣していただくよう、奇鳳院くほういんさまに無理を願った次第だ」


「はい、聞き及んでおります。

 嗣穂つぐほさまよりも、一件の解決を良しなに・・・・と承っております」


「そうか! それは安心できる。

 気心が知れた相手のほうが話も進みやすかろう、諒太と組ませるが問題はなかろう?」


「――はい。うけたまわりました」「それと」「?」


 間髪入れずに次の言葉を差し込む法理に咲が視線を上げると、法理は咲の後方に向けて顎をしゃくって見せる。

 その先には、先刻に晶たちの先導を務めた埜乃香ののかが立っていた。


「顔合わせは済んでいるな? 当家で預かっている帶刀たてわき家の娘でな、一緒に組んでもらいたい」


「……分かりました」


 なるほど。彼女が出迎えに出てきたのは、この意味もあったのか。

 ともあれ、拒否する理由もない。

 然程、悩むことなく、咲は法理の言葉に承諾の意を返した。

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