2話 鴨津にて、向かい風に歩む3
「投宿場所、先に決めておいて良かったですね」
「……本当にね」
晶の慰めに、咲は苦笑で応じて見せた。
その二人の姿は、
面会依頼を出したらその準備を整えるために一日を要する事が多いため、咲は当初、
しかし咲の予想は大きく裏切られ、咲が到着を先触れに入れた途端、直後の面会が叶う事となる。
咲の
とまれ、出てしまった面会許可を咲の一存で後回しにできるものでもなく、2人は宿に泊まる手続きも早々に、取る物も取りあえず久我の屋敷へと赴くことになったのだ。
2人が進む大通りは、多くの人出で賑わっていた。
老若男女、行き交う雑多な人々と
人々の服装は晶も見慣れた小袖などは少なく、
大通り沿いの建物に視線を向けると、華蓮でも未だ主流の漆喰造りの建物は見当たらず、
一向に気の進む様子の無い咲とは裏腹に、周囲の物珍しさから晶は完全にお
「……
「――え? ……ああ。海外の人も多いし、ここは特に発展しているわ。
高天原の流行は、基本的に海外から影響を受けるから、実質、流行の発信源は鴨津って認識があるの」
「へぇ~。
――お嬢さまは、鴨津に何度か来たことがあるんですか?」
「何度かっていうか、何度
鴨津はやっぱり輸出入の要だし、名瀬領としても重要な取引相手だから。
年に2回は、お父さまに連れられて鴨津に来ているし、久我の御当主とも会っているわ。
……久我くんとも、その縁で顔見知りなの」
「久我の御当主さまですか。
――どういった方なんですか?」
口にし難い事を訊かれて、咲は頭を悩ませた。
人となりは知っているが、人物評とすれば難しい。
強引でアクが強い。物事を善し悪しでは無く損得権益で図る物差しを持つ、
云ってしまえば
「う~ん。
――一言で云えば、晶くんも想像しやすい『八家の当主』、ね。
良くも悪くも、政治家。
向こうの立場上、平民上がりの防人って思われている晶くんには話しかけないだろうけど、下手に言質を取られたら身動きが取れなくなるから気を付けて」
「……怖い相手なんですね」
「うん、そうね。
「…………なるほど」
咲の表現に、晶は思わず納得の声を上げた。
つまり、
「この話題はもう良いかな?
……何処に人の耳があるか分かんないの、私も下手に会話を聞かれたくないわ」
「判りました、ありがとうございます」
咲の危惧している事を理解して、晶は頷く。
そして、気付いた。
――何時の間にか、大通りを行き交う人の数が減っている。
避けているのか、
おそらくは、その両方が理由だろう。
晶の目前に、記憶に残る限り雨月の屋敷正門に勝る大きさの門が
それは晶たちの目的地、久我の屋敷の正門であった。
上質の石畳が敷き詰められたなだらかな坂を上りきると、直ぐに正門が大きく開けられた。
通用門でないところに、咲の立場を如何に重要視しているのか、久我の気遣いが感じられる。
「ようこそ、お出でくださいました」
開ききった正門の向こうに、肩までかかるであろう髪を緩く編んだやや年上とみられる少女が、にこやかな笑顔を浮かべて立っていた。
――誰?
咲は、内心で訝しんだ。
使用人というには上質の着物を着こなしている。つまり、華族のはずだ。
だが、
逡巡は僅かの後に、努めて平静を装いながら、咲は到来の文言を告げた。
「――
良しなにお取次ぎをお願いいたします」
「先触れにて許可は通っております。
御当主さまは衆議の間にてお待ちです。
――御当主さまの命にて、
「……よろしくお願いいたします」
先導のため歩き出した
「…………お嬢さま、どうかなさいましたか?」
その背中をじっと見つめながら考え込む咲に、焦れた晶が声を潜めて問いかける。
周囲の喧騒もややあり、外だから相手には聴こえづらいだろうと判断して、咲も声を潜めてそれに応えた。
「…………
確か、かなりの名家のはず。
何で、久我の屋敷で出迎えをしてるのか、経緯が見えてこないの」
「それは、確かに変ですね」
咲の
家格の合う華族同士であっても、洲を越えての婚姻は基本的に忌み事として扱われる傾向にある。
その理由は、『
この高天原において必ず行われる『
『
恩恵の内容は様々であるが、共通しているのが瘴気や怪我などの厄を遠ざけるものが多かった。
そしてこの恩恵の範囲は、土地神が支配する領域の周辺にほぼ限定されているのだ。
無論、氏子抜けを行って、別の土地で再度『
氏子であるならばそこまで気にすることは無いほど微々たるものだが、防人や衛士などは戦闘による怪我が生死に直結する可能性もあるため、洲越えは
洲越えまでして、鴨津の久我家で働いている理由は本来は無いはずだ。
それなのに、高位の華族を案内する先導という役割を与えられてまでいる。
……つまり、久我家からかなり信頼されている訳だ。
「――――何か?」
「いいえ、申し訳ありません。
失礼かと思いましたが、輪堂さまの会話が聞こえてしまいまして」
「え?
……あぁ、そっか。
周囲の音はそれなりに大きく距離も少し開けていたため、相手には聞こえないだろうと油断していた。
その応用で聴力をしたのかと思ったのだが、微笑んだまま
「いいえ、そこまでのものではありません。
文官のものであるならば、大抵は身に着けている
微笑みながら、
「我が家は
諒太さまの側室にと御当主さまより望まれまして、久我家には
「あ~~」
目の前の少女を、無理してでも洲外から呼び寄せた
その上で、その思惑がご破算になった事実を悟り、どうしたものかと内心で頭を抱えたのだ。
久我家の長男である久我諒太は、能力だけを見るなら『久我の神童』と称されるほどには有能である。
久我法理とすれば、
今年に入ってから、比較的云うことを聞かせられる咲と組ませることにより、久我諒太を抑えていたが、当然のこと、四六時中という訳にはいかない。
即急に諒太の性格を矯正することが不可能な場合、陰に日向に諒太の行動を
そこで白羽の矢が立ったのが、
だが現時点において、久我家の思惑は全て裏目に出てしまっている。
晶が
何しろ、当の
久我家であっても、伴侶選考が行われなくなったことは夢にすら思っていないだろう。
かなりの投資を行って
だが、この短期間で久我家にかなり信頼されている事実を鑑みれば、
完全に無駄になった訳では無かろうと、咲は内心だけで久我家に慰めを入れた。
「これから、よろしくお願いいたします。
お話はよく聞いてましたが、ようやく
「え? ……ええ。よろしくお願いします」
僅かとはいえ年上の威厳からか
言葉の表現に含められた僅かな違和感に引っ掛かりを覚えたが、それでも直ぐにこれから会う久我の当主との面会に、違和感は思考の隅に流れていった。
久我の当主、
「……久我の御当主さまに於かれましては、健勝の由、お
通された広間の中ほどまで進み出た咲は、正座の後に深々と頭を垂れて正式な挨拶を述べた。
晶も、咲の後背で慌てて頭を下げる。
「うむ、咲
前に会ったのは
「はい、その通りです」
「はは。この
思い出すのに、一拍を要するとは」
ピタピタと側頭部を叩いて、未だ壮年の中頃であろう久我法理は苦笑いを見せた。
その様子に、晶は内心で肩透かしを覚える。
晶の記憶にある限り、八家の当主とは雨月天山のことである。そして、その印象は否定であり、恐怖であったからだ。
雨月天山から受けた印象と、久我法理から受けるどこか軽々とした印象。
その乖離からくる差に、晶は戸惑いを隠せなかった。
「さて、この話題から先に片づけておくとしようか。
――諒太との相方が解消されたことは、久我家としても非常に残念であった。
何でも
「……はい。こちらの新しい防人を鍛えるよう、
「……ほう、
咲殿を教導につけたのだ、期待の程も窺えるというもの」
その瞬間、ズシリと両肩に質量を伴った視線が圧し掛かってきた。
雨月天山とは違う、しかし、
その瞬間、晶は咲の言葉を
――そうか、これが
緊張に固まる晶を余所に、興味も無さそうに一瞥で視線を逸らし咲へと戻す。
「
仕方がないので、今回の一件の調査に咲殿を派遣していただくよう、
「はい、聞き及んでおります。
「そうか! それは安心できる。
気心が知れた相手のほうが話も進みやすかろう、諒太と組ませるが問題はなかろう?」
「――はい。
間髪入れずに次の言葉を差し込む法理に咲が視線を上げると、法理は咲の後方に向けて顎をしゃくって見せる。
その先には、先刻に晶たちの先導を務めた
「顔合わせは済んでいるな? 当家で預かっている
「……分かりました」
なるほど。彼女が出迎えに出てきたのは、この意味もあったのか。
ともあれ、拒否する理由もない。
然程、悩むことなく、咲は法理の言葉に承諾の意を返した。
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