閑話 密談は踊り、されど昏迷しか残らず
――どこか
咲にとって、晶の印象はそんな程度のものであった。
初対面での山狩りで幾度か言葉を交わし、
人別省への早期登録に口添えしたのも、命の借りがあるし、袖すり合うも多生の縁と思ったから。
どうせ一週間で終わる仲間関係だし、何かの偶然で再会したとしても、思い出すのに幾ばくかの時間を必要とするような、
――そんな程度。
晶を初めて見止めたのは、
それが、晶という個人を視界に収めた、初めての瞬間だった。
日が落ち始める中、1区に向けて走る車内の空間は、晶という異分子が消えたとしても非常に居心地が悪い。
晶に続いて降りる機会を逃した咲は、引き続いて腰の落ち着かない感覚を味わっていた。
故に、地位としては相手に
側役は、
その地位は、次期当主である
対する咲は、八家の生まれであっても対外的には
当然、言葉を掛けるのも畏れ多く、咲はどう口を挟むか苦慮していた。
「咲さん」
そんな居心地の悪さは、それでも唐突に
「何か、訊きたい事があるんじゃないですか? そんな
「あ……いえ」
警戒心を抱かせない笑顔に勢い込んで口を開くも、疑問をまとめきれずに咲は口元をもごつかせるに止まった。
特に、相手は
春の雪解けを思わせる笑みをしていても、本心では何を計算しているか推し量ることすら難しい。
三宮四院で次代を担うと目されている者たちのなかにあっても、西部
咲とても、領家の子女だ。世の中には知っていい情報と知らない方が幸せな情報があることくらいは理解している。
問題は、咲がこれから訊こうとする内容は、知って良いのかどうか、だ。
自身が持つ疑問の内容を充分に吟味したうえで、咲は
「…………畏れながら、
何故、
神器とは、神柱が支配する
神柱の
総じて強力な武具であるが、高天原の南方を守護する大神柱の神器ともなると、土地神が鍛造したものよりも威力も価値も
珠門洲の神器は4つ。
――そして、
八家に下賜されている二つの神器はそれなりに知られているものの、洲の宝物でもある
「その件ですか。
――既に契約もなされていますし、
「……それでも、
思わず漏れた咲の抗議は、そう的外れなものではない。
神器とは、神柱の象徴であると同時に洲の象徴でもある。
そんなものを勝手に貸与したら、洲の議会が騒ぎたてるに決まっている。
議会にとって神器とは、洲の象徴、看板に収まっているだけの絵であって欲しいからだ。
それに、先刻に見た
伝承では、
それと同格の
正直、咲にとっては悪夢としか思えなかった。
「
正式な契約もさせてませんし、あの状態なら、壊れる心配のない精霊器の代わりが
本当だろうか。疑わし気な咲の視線だったが、
「……もう幾つか、お訊きしたい事があります」
「どうぞ?」
「
――何故、
鋭さを増す咲の視線を真っ向から受けながら、
「嘘なんて
――私が
半神半人の末裔たる三宮四院には、神柱の血を継ぐゆえの権能が与えられている。
種の上位者として、
途轍もない権能だ。
特に権力者であれば、これ以上ない武器と言える。
だがその反面、この強制力が三宮四院自身にも適用されるが故の欠点もあった。
嘘が吐けないのだ。
結果的にならともかく、意図的に吐いた場合には少なくない代償を払う覚悟が必要なほどには。
「誤魔化さないでください! 私も
あれは
晶の手前、揉める訳にはいかないため言及を避けたが、
精霊は、昇華を続けた果てに神気を宿して
それは終わりではなく、さらに昇華を続けると神柱の
神霊と土地神の中間、神柱への羽化を待つ状態を『
当然にして強大な精霊力、神気を有しているのだろうが、そんな存在が現世に
「本当に嘘ではありませんよ。
――
それをどう受け取るかは、本人次第です」
「それは……、では、何でそんな事を………………」
嘘ではない。では、何を誤魔化したのだろうか。
そこまで考えて、天啓のように晶の漏らした呟きが蘇った。
――だって、
「まさか」
咲の知識にあっても、精霊を宿していない
そして間違いなく、これ以上は聞いてはいけない情報だ。
「天領学院の時にも思っていましたが、咲さんは本当に思慮に長けてますね。
貴女が晶さんと逢っていたのが、この件における最大の
この時点で逃れようのない深みに足を踏み込んだことを、自覚せざるを得なかった。
「咲さんは、今、衛士の研修だったわね?
他に何か、用事はあるかしら?」
「は、はい」
だから、余計な仕事は受けられない。言外にそう云いながら咲は頷いた。
実際に、輪堂と久我の当主より直々に
「内容を訊いても、…………あぁ、そっか。久我くんの抑え役ね」
咲が答える前に、思考を巡らせて正解を云い当ててしまった。
この分なら、その原因が
「なら、問題は無いわ。伴侶選考は
「……………………え?」
とんでもない爆弾発言が何でもない素振りで投げ込まれ、咲の思考が完全に停止した。
「ど、どうするんですか!?
中等部卒業までにはお披露目のはずですよ? 今から伴侶選考をやらないと、間に合わなくなります!」
慌てて云い募る咲だが、それも当然だ。
三宮四院の伴侶選考は、難航するのが常である。
開始から決定までに要する時間は様々だが、一年を切ることは無いと聞いている。
「その通りです。ですけど、問題は無いのですよ。
「……本当ですか?」
一度下した決断を翻意することは、仮令
「ええ、勿論。
そうそう、明日は
丁度、良かったわ。咲さんも一緒にお出で下さいな」
ふ、と咲は、滑らかな話の繋ぎ方に違和感を覚えた。
まるで予定調和の台本を読み上げているような自然な会話に、それでも隠しきれないほどの強引さ。
「
それは、ただの勘だ。
だが、そう仮定しないと、
「あら。
どうしてそう思いましたの?」
「岩を前にしたとき、
――この大きさが対象ならば、霊気の爆散もそれなりに吸収してくれるはずですので。
あの言葉を単純に捉えたなら、あの大きさの岩
加えて、
だが、
そして、霊気の爆散を吸収した結果、どうなるかに言及しなかった。
「……本当に、咲さんは思慮に長けていますね。
えぇ、その通りです。晶さんには出来るだけ早い段階で、失敗経験を、それも
「何故……」
「
ですがこれで、晶さんは
……これは、咲さんのためでもあります。
今後ですが、咲さんには晶さんの教導役に就いていただきます」
「教導役!?
お待ちください、教導役には
私はいまだ中伝の身、それに教導役に相応しいものは幾らでもいるでしょう!」
「言い方は悪いですが、
そちらは、阿僧祇厳次に命じています。
咲さんに期待しているのは、華族としての在り様、
――
揺るがぬ
……逃げ道はない。
事、ここに至って、咲は一歩、深みに足を踏み入れる覚悟を決めた。
「随分と、晶くんを厚遇するんですね。
理由を訊いても良いですか?」
「ふふっ。必死に計算を働かせているみたいですが、そこまで難しい話ではありません。
――
「……いいえ。無知で申し訳ありません」
「無知ではないですよ。
これは、八家当主以上の者たちのみが、口伝として教わる条項です。
詳細は
「……はい。
最後に、お訊きしても良いでしょうか」
「ええ」
「何故、私なんです?」
至極、真っ直ぐに問われたその言葉に、
ころころと、雑味のない品のいい笑い声だ。
「ふ、ふふ。良いでしょう、理由は単純です。
一つに、咲さんは八家の出だからです。
通常の華族と八家では、考え方に違いがあります。
晶さんに必要なのは、八家という華族の考え方だと判断したからにすぎません。
二つに、咲さんは
正直、あの者は野心が過ぎます。晶さんの教導には向かないでしょう」
一つ、二つと指を立てて説明を続ける。
そして、三つ目を立てながら、
「最後に、咲さんは女であるからです」
艶然と、年端も行かぬはずの
それは、あどけなさを拭い落とした、
「基本、教導役には男性の方が就くと思っていましたが」
「剣技を伝えるに必要だから、です。
真に教導足り得るのは、女性を
――
次代の栄華を望むなら、適切に男性の手綱を取ってやるのです。
咲さんには、晶さんの警戒を
要は、教導役と
「……何か、晶くんに懸念でも?」
「万朶や阿僧祇の手前ああ云いましたが、怪しさが無い訳ではありません。
特に収入に関して、矛盾が幾つか見られます」
「収入?」
「気付きませんでしたか?
晶さんは、第8守備隊に卸している回気符を主な収入源として頼っていると」
「回気符の
それを週に一度卸しているのですから、月に
「……かなりの大金ですね」
「いいえ、全く。
符を書く和紙や墨、特に霊力を限界まで込めた
それらを加味すれば、純利益は月に
そこから長屋の
「……とんとんとはいえ、回っているんですよね?」
「更に、尋常中学校に通われていると。
華蓮の生まれなら無料ですが、洲外の晶さんは学費を支払っているはずです。
ここまでくれば、回気符の収支だけでは完全に足が出ますね。
――なのに晶さんは、ギリギリでもまだ生活を見渡す余裕があった」
つまり、別口で何らかの収入の伝手があるという事だ。
「私に、
「合法なら問題ありません。が、違法ならば、晶さんに気付かれないように外科手術が必要でしょう。
何でしたら、
要は晶さんの身辺を綺麗にしておきたいのです。収入なら、私で用意できますし」
――キ、キキッ。
――何時の間にか、1区にある
「――着いたようですね。
それでは咲さん。明日、
「…………はい」
これ以上は話す気はない。その意思を感じ取る。
まだ心残りはあるが、無理矢理に呑み込んで咲は頷いた。
照らし出されたライトの向こう側に、咲の姿が消えていく。
それを見送ってから、ようやく
「……よろしかったのですか?」
車内の沈黙を破り、和音が短く問いかける。
「構わないわ。
命令では無く、自然に
咲さんも晶さんを憎からず思っているみたいだし、今は、教導役として疑似的な相棒を意識させるだけで充分」
咲には伝えなかったが、咲に期待されている役目はもう一つある。
洲に留まるのは、
万に一でも、
だからこそ、
そこにしかいない女性と云うのは、男性にとって無意識に受け入れやすい
――
♢
血相を変えた輪堂孝三郎が娘の咲を伴って鳳山の敷居を
♢
TIPS:
精霊は時間やその他の要因で成長する。これを昇華と云う。
その、精霊が昇華する大まかな段階に人間が名称を付けたものの一つ。
下位精霊での発生から始まり中位精霊、上位精霊、
蝶に例えるならば羽化を待つ
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