第16話 パレード

 翌週、予定通りイアフメス二世はギリシア傭兵団と共にブバスティス入りをした。勿論イアフメス二世はアメンナクテの裏切りを知るはずもなく、それどころか、パレードの前日に大神官アメンナクテから「裏切り者の神官パネブを神殿警察が逮捕し、パネブを拷問したところギリシア傭兵のメネラスとシュロソが裏切り者である」という知らせを受けて大喜びしていた。

 その情報はアキレスにも知らされ、彼はすぐに裏切り者メネラスを逮捕した。ところがシュロソは事前に逮捕の情報が漏れたのか、アキレスが逮捕に向かった時には既に兵舎から逃亡していのだ。

 王は予定通り午前中にバステト神殿で礼拝をすませ、午後からメイン・ストリートを行進することにしていた。平民王として民衆に人気が高かったイアフメス二世は、ペルシアの脅威に不安がる国民を安心させるため大々的な軍事パレードをする必要があった。

「アキレス、浮かない顔をしているな」

 盟友ディオがアキレスの顔を覗き込んだ。

「メネラスとシュロソがペルシアに通じていたなんて」

「メネラスもシュロソもサモス島出身だ」

ディオが含みを持たせる。

「たしかに」

 アキレスの目が鋭く光った。

「王はサモスの僭主ポリュクラテスと同盟を結ぼうとしている」

「そのサモス出身のメネラスとシュロソがそれを邪魔しようとした……」

 アキレスはハッとしてディオの顔をまじまじと見た。

「サモスにはエジプトとサモスの同盟を好ましく思わない勢力があるという事だ」

「いずれギリシアとペルシアも戦争になる。我々も一致団結しなければならないのに」

 アキレスはそう言って拳を地面に叩き付けた。

「我々が傭兵としてエジプトに来ているのは、エジプトに勝利させペルシアの国力を殺ぐためだ」

 ディオは苛立つアキレスの肩を軽く叩き、宥めるように言って立ち上がった。

「わかっている。我々の戦いがギリシアを団結させる起爆剤になる」

 アキレスも立ち上がり、目の前の古い神殿の瓦礫の山に思いっきり石を投げつけた。

「アキレス、逃亡したシュロソがまだ見つかってない」

「心配するなディオ。奴がどこから王に襲い掛かろうとも俺が阻止してやる」

「俺も王の盾になる覚悟だ」

「しかしいったい誰がシュロソを逃がしたんだ」

「アキレス、今回の情報は、トップの極一部の者にしか知らされていないはずだが」

「まさか上官の中にも裏切り者が」

 その時、指揮官のファネスから、ギリシア傭兵団は王のパレードの護衛に付くよう指示が出された。

 アキレスとディオは腕を交わし兵舎を後にした。


 その頃、密かにブバスティスに潜入していたシュロソは、王が乗った二頭馬戦車が最も減速する、バステト神殿横のカーブでイアフメス二世を暗殺しようと計画していた。シュロソは猛毒を塗った短剣を懐深く携え、パレードを見に来ている群集の中に紛れ込んでファラオ暗殺の機会を窺っていたのだ。

 ところがシュロソとは別にもう一人の暗殺者、ペルシア人ゾルムがブバスティス入りしていた。ゾルムは射程四〇〇メートルの新型の合成弓でイアフメス二世を撃ち抜こうと企み、閉鎖されているバステト神殿の古い塔に潜んでパレードを待ち構えていた。その塔からだと神殿横の大通りのカーブが丸見えなのだ。

 こうして二人の暗殺者がイアフメス二世を待ちかまえる中、民衆から熱狂的に迎えられた平民王イアフメス二世は、パレードの戦車に立って民衆に幾度となく手を振り続けていた。

 パレードがあるというので、いてもたってもいられなくなったレイラとネジムは、マブルーカの目を盗んで神殿前の大通りに急いだ。大通りの両サイドには町中の人がイアフメス二世をひと目みようと詰め掛けていた。

「凄い人出だわ」

「ほんとだにゃー」

 通り沿いには長いロープが張られ、観衆が道路に飛び出さないように大勢の警官が出動していて、警備と交通整理にあたっていた。

「あ、先頭の隊列が見えてきたわ!」

「王の戦車にゃ」

「アキレスさんは何処にいるの?」

 レイラはネジムを頭に乗せて背伸びして、先頭集団が見えるようにした。

「うーん……」

「どう?」

「あ! アキレスにゃ! 王の真横にぴたりと寄り添うように立っているにゃ」

「よかったわ」

 その時「キャッ!」とレイラは不意に背後から誰かに押し倒され、ネジムと一緒に道路脇に投げ出された。

「痛い」

 押し倒された拍子に、肘と膝を擦りむいたレイラが膝を抱えて座り込んでいるとネジムが慌てて駆けつけ「あそこに短剣を隠し持った怪しい男がいるにゃ」すぐ近くの道路のカーブ脇に立つ帽子を深々と被った大柄の青い目の男を睨んだ。

「顔を隠して目だけ出しているけど、あの碧眼はギリシア人だわ」

「あの雰囲気、ギリシア傭兵団の兵舎で見かけたような気がするにゃ」

 その間にも王を乗せた二頭馬の戦車はどんどん近づき、神殿横のカーブにさしかかり、とカーブを曲がるために徐行した。そしてレイラとネジムの目の前をイアフメス二世が乗った戦車が通過した時だった「このクソやろう!」短剣を隠し持ったシュロソが叫び、二頭の馬の目に砂を投げつけた。

 ヒイイイン!

「しまった!」

 アキレスが激しく叫び声をあげた。

 目つぶしを食らった二頭の馬は前足を大きく上げて暴れだし、御者はあっけなく落馬した。アキレスが戦車にしがみつくイアフメス二世を助けるために暴れる馬に飛び乗ろうとした。

混乱する民衆を盾にしながらシュロソが短剣でイアフメス二世に切りかかった。

「死ね!」

 アキレスが王をかばうより、猛毒を塗ったシュロソの短剣が素早く空を切った。

 シュッ!

「みゃアアア」

 シュロソの短剣がネジムの背中を斜めに切り裂いた。

 ネジムが王を守ろうと身代わりになったのだ。

「ネジム! いやあああっ!」

 レイラは背中から大量の血を流すネジムを抱きかかえ泣き崩れた。

「ネジム! ネジム! 死なないで!」

 激しく泣き叫ぶレイラの腕から、ネジムの真っ赤な血が溢れ、地面を黒く染めた。

 現場を目撃していた群集は猫を殺したと激しく怒り、大声で罵声を浴びせながらシュロソに掴みかかると袋叩きにして殺してしまった。

 パニックで暴徒化した民衆を警察はなすすべもなく、混乱する道路でイアフメス二世とギリシア傭兵団は身動き取れない状態が続いていた。その様子を神殿の古い塔の上から眺めていたゾルムは、千載一遇のチャンスとばかりに弓を大きく引きイアフメス二世に狙いを定めた。

 神殿で怪しい人間の侵入を察知していたタミットは、日ごろ鍵がかかっている塔に人間がいるのを不審に思い、急いで塔に上って行った。するとゾルムが窓枠から体を乗り出して今にも弓を射ようとしていた。

「みゃー!」

 タミットは爪を剥き出し、ゾルムに飛び掛かった。

「ギャァ!」

 タミットから手の甲を思いっきり引っかかれたゾルムは、思わず矢を放ってしまった。

 矢は大きく外れ鈍い音を立てて神殿の敷地内の砂地に突き刺さった。

「このクソ猫が!」

 ゾルムは激高し、弓を固く握り締め大きく腕を振りあげた。

 つぎの瞬間、激しい音とともに弓が窓枠に引っかかり、弾みでゾルムは足を滑らせ塔から転落した。

「ギャアアア」

 頭から落下したゾルムは顔面を地面に激しく叩きつけ、首を折って即死した。


「ネジム! ネジム! どうしてこんなことに!」

 レイラの叫びも虚しく、ネジムは全身に猛毒がまわり呼吸は殆ど無く、体は小刻みに痙攣を繰りかえした。

「ネジム、目を開けて! おねがい! 死んじゃだめ!」

 レイラはかたく目を閉じ、ネジムを抱きしめたまま泣き崩れた。

 その時レイラの耳にどこからともなく声が聞こえた。

「すぐにネジムを神殿に連れて来てください」

(タミット……)

 レイラはネジムを抱えて立ち上がり、人ごみを掻き分けながらバステト神殿に急いだ。

 レイラが礼拝堂に駆け込むとタミットが出迎えた。

「命の水を飲ませれば助かるかもしれません」

「命の水?」

「さ、早くついてきて!」

 そう言うとタミットは神殿の地下に入る狭い入り口に飛び込んだ。

「待って!」

 レイラもすぐにタミットの後を追う。

 長い長い石の階段を猛スピードでタミットが駆ける。

 レイラもネジムを抱きかかえたまま必死に追いかけた。

 石の階段は人一人がやっと通れるぐらい細く、薄暗く、おまけに長年の湿気で苔が生えてヌルヌルとしていたので、レイラは幾度となく足を滑らせ石段を踏み外しそうになった。それでもレイラは危険をかえりみず走り続ける。ネジムを救えるのはこの先にある命の水しかないのだから。

 数分後、レイラは巨大な石の部屋に辿り着いた。大きな地下ホールに輝くほど美しく透明な水を湛えた泉がある。

「ここが冥界の神オシリスの地下神殿。そしてこれが命の水です」

 タミットの前にオシレイオンの聖なる池とほぼ同じ大きさの泉が広がっている。

「バステト神殿の地下にオシリスの地下神殿……どうしてここにオシリス神が」

 どこからか分からないが光が差し込み、オシリスの地下神殿の中はとても明るい。

 神殿の壁面には緑、赤、白、金……色鮮やかなオシリス神のレリーフが描かれている。

「さ、はやくネジムをこっちに連れてきて」

 タミットが泉にレイラを導く。

 レイラもネジムを抱きかかえ後を追う。

「ネジムを命の水の中にゆっくり浸けて」

 レイラはゆっくりと命の泉の中にネジムの体を浸した。

「次はネジムを祭壇に乗せるのよ」

 レイラはタミットの指示通りネジムを命の水から引き上げ、玉座に腰掛けたオシリス神像の所まで行き、その体をオシリスの膝の上にゆっくり横たわらせた。

「冥界の神オシリスにネジムを生き返らせてもらうのです」

 タミットはそう言って泉の所にもう一度行き、命の水を2口、3口舐めて口に含んだ。それからすぐにネジムのところに戻り、口に含んだ命の水をネジムの口に垂らした。

 タミットは祭壇の上からレイラを振り向き再び指示した。

「跪いて目を瞑り頭を下げるのです。そして繰り返しオシリス神の名を唱え、ネジムを助けて下さいと祈りなさい」

 レイラはすぐに祭壇の前に跪き、目を瞑ってオシリス神に祈りを捧げた。

「冥界の王、オシリス神様、どうかネジムを助けて下さい」

 レイラが祈り始めるとタミットは再び命の泉に行った。そして命の水の中に飛び込んで、全身ずぶ濡れになるとそのまま祭壇に上った。

「ネジム、待ってて。すぐに助けに行くから」

 タミットはそう呟きながらネジムの背中の傷口を軽く二,三回舐め、傷口の上に覆いかぶさると目を閉じ祈りはじめた。

「冥界の王、オシリス神様、どうかネジムを助けて下さい」

 レイラとタミットは必死に何度も祈り続けた。

 暫くすると、オシリスの地下神殿が精妙な空気で満たされ、金色の光の粒子が雪のように舞い降り始めた。

 レイラとタミットの胸は焼けるほど熱くなり、涙がとめどなく溢れ、二人の愛が冥界を彷徨うネジムの魂を優しく包み込んだ時、オシリスの地下神殿全体が目も眩むほど激しく光り輝いた。

 するとその時、金色に輝く光の球体が現れた。

 それはネジムの魂だった。

 ネジムの魂はゆっくりとオシリスの膝の上に横たわるネジムの体に近づき、尻尾の先端からネジムの肉体の中に入っていくと、腹のあたりを通りぬけ胸から頭にたどり着き、全身を金の光で包み込んだ。

 ネジムの目がパッと開いた。

「にゃ……」

 ネジムが微かに声をあげた。

「ネジム! ネジム!」

 レイラは嬉しくて胸が張り裂ける思いがした。

 タミットは跳ね起き、ネジムの口元や顔を何度も舐めながら「ネジム! ネジム!」何度も何度も名前を呼んだ。

 するとネジムは大きく咳き込み、ガバッと起き上がった。

 レイラとタミットの愛がオシリスに届き奇跡をおこしたのだ。

「ネジム!」

 レイラとタミットは涙声で叫び大喜びした。

「もう大丈夫みゃ」

 といってタミットがネジムに抱きつく。

「ここはどこにゃ」

 ネジムは赤面して照れくさそうに訊ねた。

「オシリスの地下神殿みゃ」

 タミットがおでこをネジムの額に擦りつけた。

「オシリスの……」

 ネジムはまだ頭がぼっとしているようだ。

「いったい何がなんだかわからにゃい」

「王様をかばって殺し屋の短剣を背中にくらったのよ。あんな無茶して、だからあんたはバカ猫なのよ!」

 レイラは涙を拭い、そう言ってネジムを何度も両腕できつく抱き締めた。

「傷が跡形もない! 奇跡よ!」

 ネジムの背中の傷が消えていた。

 命の水は猛毒を浄化し深い傷を完璧に癒やしていたのだ。

「魂があの世に行く前に冥界の神、オシリス神が奇跡を起こして下さったの」

 タミットが優しく教えてくれた。

「おいらもしかして臨死体験したにゃ」

 ネジムはようやく意識がはっきりしてきたようだ。

「レイラちゃんと一緒に、ネジムが助かりますようにってオシリス神に祈ってたみゃ」

 タミットは箱座りしたネジムのオデコを優しく舐めて微笑んだ。

「二人ともありがとにゃ」

 ネジムは顔を真っ赤にして、ペコっと頭を下げた。

「タミットちゃんは、あなたに水を飲ませたり、オシリスの水を全身に浴びて、あなたの傷口を癒やしたりして必死に看護してくれたのよ」

 レイラはニコニコしながらネジムに教えた。

 それを聞いたネジムは、恋い焦がれているタミットの愛に心臓バクバク、頭から湯気を出して赤面した。

「男前だったみゃー」

 タミットは優しく言って、ネジムにピタリと体をくっつけた。

「もう二人とも仲良すぎ! あたしお邪魔虫ね!」

 レイラは笑顔でそう言いながら両手を広げ、二匹の猫をギュと抱きしめた。

「そう言えばあの金の光はなに? 命の水はどこから湧き出ているの?」

 レイラはついさっきまで金色に輝いていた神殿や透明な泉を不思議そうに見た。

「あの金の光はオシリス神の愛の光り。命の水はアビドスのオシレイオンの地下水脈とつながっているのです」

 そう言ってタミットは祭壇のオシリス神像に頭を下げた。

「アビドス!」

 レイラがビックリして大きな声でいうと、

「そういえばオシレイオンには奇跡の水があると聞いたことがあるにゃ」

 ネジムがつぶやいた。

「オシレイオンの水は死者を生き返らせ、怪我も病気も治せる奇跡の水なのです」

 タミットは祭壇のオシリス神の前まで来ると、今一度、頭を下げた。

 こうしてレイラは元気になったネジムとタミットを伴って階段を上り地上に出た。

 彼らが神殿の外に出たときは既に王の隊列はなく、人影もまばらな大通りには砂埃と共に紙くずなどのゴミが舞うばかりだった。


 イアフメス二世の暗殺に失敗したペルシアだったが、エジプト侵略の準備は着々と進められていた。

 一方の迎え撃つエジプトもペルシアに送り込んだスパイからカンビュセスの動きは逐一報告されていたので、軍備の増強と友好国との更なる同盟関係の強化に努めていた。

 エジプトが最も重視したのはエジプト陸軍の主力であるギリシア傭兵団とエジプト正規軍だった。

 イアフメス二世はギリシア傭兵団の指揮官ファネスを交えて何度も軍議を重ねた。されにエジプト海軍に対しては、艦隊指揮官ウジャホルレスネトにペルシア艦隊の戦力や動きを探るよう指示、ペルシア艦隊の動きに目を光らせた。

 さらに友好国ギリシアの中でも大艦隊を持つサモス島の僭主ポリュクラテスと強固な軍事同盟を締結し、万全の体制でペルシア軍の侵攻に備えたのだ。

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