第6話 アキレス

 ムクターが朝一番、農場の仕事に出かけると、マブルーカとレイラは畑から収穫した野菜や穀物を持って市場に出かけることが日課になった。

 市場で取り立ての新鮮な野菜を売るためだ。

 ブバスティスの市場には沢山の商店が軒を連ね、野菜や果物、肉や魚、貴金属や家具などが所狭しと軒先に並べられ活気に満ちていてた。

 通りを行き交う国籍も人種も様々だ。

 ギリシアから観光に来ている碧眼でブロンドの白人。髭が濃いペルシアの商人やアラム人。東の果てから占星術を学びに来た東洋人などなど。

 そんなエネルギッシュなエジプトは末期王朝時代とはいえ、まだまだ世界の中心であることに変わりはない。

 そんなある日、市場からレイラとネジムが一日の仕事を終えて帰ろうとしていると「キャアア!」レイラは背後からいきなり突き倒され地面に転がった。

「金をよこせ!」

 男は倒れたレイラが握りしめていた財布を奪おうとする。

「いや!」

 レイラは抗ったが強く頬をひっぱたかれた。

「さっさと渡せばいいんだよ!」

 レイラから財布を奪ったひったくりは、野次馬や買い物客を押しのけて市場を抜けようとした。

 その時だった。

「わぁ!」

 男は大声を上げて激しく地面に転がった。

 群集の誰かが男の足を引っ掛けたのだ。

「誰だ! ぶっ殺すぞ!」

 ひったくりが叫ぶ。

「このクソやろう」

 居合わせた群集の中から、背丈が二メートルを超える大柄でブロンドで碧眼の男が姿を現し、起き上がりかけたひったくりの顔を踏んで、男の口を塞いだ。

「……」

 碧眼の男は「こいつは返してもらおう」レイラの財布を難なく奪い返した。

 男は何事もなかったかのように、金の髪をなびかせ倒れたレイラの所に行こうとする。

「このやろう……」

 激怒したひったくりは素早く立ち上がり、懐から鋭い短剣を取り出して碧眼の男の背中に飛びかかった。

 次の瞬間、碧眼の男は素早く身をかわして身軽に飛び上がると、ひったくりの顎を激しく蹴り上げた。

 バキッ!

「……」

 鮮血が飛び散り、ひったくりは背後に飴のように曲がって頭から地面に落下した。

 男の一蹴りで顎が砕け散ったのだ。

「ギャアアア!!」

 ひったくりは叫び声を上げ、両手で顎を押さえたまま全身をバタつかせ悶え苦しんだ。

「わぁ! アキレス! アキレス!」

 群衆が歓声を上げた。

「アキレス……」

 放心状態のレイラの側で、ネジムはその名前をしっかり記憶した。

 集まった野次馬も、あっけなく二人の勝負がつくと何事もなかったかのようにその場からいなくなり、碧眼の男も財布をネジムの足元に投げるとその場から風のように立ち去った。

 ネジムがレイラの頬を舐めると、レイラがようやく正気を取り戻した。

「ネジム、あたしどうしてたのかしら。あ、お財布が……」

 レイラは奪われたはずのお財布が手元にあるのに気づきびっくりした。

「アキレスさんが、財布を取り返してくれたにゃ」

 ネジムは心配そうにレイラを見つめる。

「アキレスさんにお礼を言わなきゃ!」

 レイラは慌てて立ち上がり衣服の埃をはらう。

「市場の人の話では、ギリシアから来た傭兵って言ってたにゃ」

 ネジムが鼻をヒクヒクさせ市場に歩き出す。

「ギリシア人の傭兵さんか」

 レイラも慌てて市場を探して回ったが、すでにアキレスの姿はなかった。

「時々市場に買い物に来てるらしいから会うチャンスはきっとあるにゃ」

 ネジムはそう言って励ましながらも、自慢の鼻をヒクヒクさせた。

「また会えると良いなぁ。お礼を言わなくちゃ」

 市場の雑踏はいつもの落ち着きをとりもどしていた。

「プルルー」

 ネジムは元気になったレイラを見あげ喜んだ。

(きっとまた会えるわ)

 レイラは期待に胸をふくらませ市場をあとにした。


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