第17話 夜明け前の空に
冬の星座、オリオンが現れる。
街角にクリスマスのイルミネーションが飾られて、ジングルベルが流れ、県内各地から初雪の便りが届く。
我が家の猫二匹、ぽん太と楓が抱き合って丸くなり、猫団子と化している。
ブリ大根で、暖まりたい季節、本格的に冬本番だ。
名産の牡蠣が出荷の最盛期を迎え、お歳暮の年末商戦がたけなわ。
佑夏と、一日単発でシロネコ急便の仕分けのバイトをしたのは、こんな寒さと賑わいが交差する時期。
いや~キツかったな~!!!
教育大生の中には、塾講師、家庭教師、模試の採点など学習系のバイトだけして四年間を終える学生が少なくない。
普段、やっていることと違うことをするのは、勇気がいるから。
多分、生まれてから家から一歩も出たことのない子供が、外に出るのを躊躇うような心境なのだろう。
その心理は、分からなくもない。
佑夏も、小学生と中学生の女の子、二人の家庭教師を受け持っている。
だが、佑夏は常日頃からこう言う
「それだけじゃ、人に教えられない氣がするの。自分も働かなきゃ。」
佑夏の同級生、
僕のように、高校時代に新聞配達をしていた学生など、まず皆無だと思う。
平たく言えば
「勉強だけで、肉体労働の一つもできない弱々しいお坊ちゃん。」が彼らである。
しかし、とりわけ、佑夏は実家がニジマスの養殖場で、子供の頃から家の手伝いをしている関係がある。
だから、そんな
(ただ、彼女本人の口からハッキリそう聞いた訳ではない。)
幸福論の三人の中では、ヒルティが最も仕事について詳しく述べている。
そう、佑夏から聞いている。
ヒルティが言うには、人は生まれつき怠惰なものであるが、最も報いられることの多い時間の消費法は常に仕事なのだという。
さらに、ヒルティは、仕事の上手な仕方は大切な技術で、一度正しく会得すれば、その他の智的活動が容易になるのに、正しい仕事の仕方を心得ている人間は少ない、と言っているらしい。
だから、佑夏には
(言い過ぎ!スマン!彼女にそう思って欲しいという僕の願望が入っている。)
そんなヒルティを熟読しているからなのか、佑夏の仕事ぶりは、あまりに見事過ぎて、今なお、忘れられないのである。
それは夜勤の仕事である。
夕方から、翌日の朝まで。
東北の師走のこの時期に、ほとんど外にいるのと同じ寒さ。
陽が落ちると一層、気温は下がり、身体にこたえる。
トラックがひっきりなしに出入りする騒がしいホームで、荷物の仕分け。
ベルトコンベアの上を猛スピードで流れてくる荷物を、適確に分けていかなければならない。
ちょっとでも、間違えようなものなら、すぐさま、怒声が飛ぶ。
並の教育大生なら尻込みしてしまうだろう。
僕達は、スタッフ識別用の野球帽タイプのキャップをかぶらされての重労働。
肌の薄い佑夏は、キャップ姿に、薄手のマフラーで顔を覆い、目だけ出している。
いつもの、髪の白い貝殻を、珍しく今日は着けてはおらず、髪はポニテにしてる。
何だか、子供向きの特撮変身モノのヒロインのようで、カッコいいな。
スタイル抜群だし。
ワーキングスタイルも尊く、美しく見える彼女だ。
が、見た目だけでは無かった!
まさに、「仕事をする為に生まれて来た女」。
そう言っていいくらい、佑夏の仕事ぶりは速く、適切で、丁寧で美しい。
合氣道の有段者であり、身体能力は常人より上と自負している僕でも舌を巻いてしまう。
それも、目先の自分の仕事だけではない。
後ろにも目がついているんじゃないか?そう思ってしまう。
他の人が荷物を落としそうになると、落ちる前に助けに行って、一緒に持ち上げてあげる、
荷物の入った車輪付き台車同士が激突しそうになると、ぶつかる前に方向を変えに行ってあげる。
凄すぎる!
これでは、勉強しかできない
ん?僕はホッとしている?なぜだろう?
だが、そんなこんなで、ふぅ~、クタクタだ。
やっとベルトコンベアで仕分けする荷物が無くなり、次は作業台の上での仕事となる。
しかし!これが、今思い出しても腹が立つのである。
なぜか?説明しよう!
まず、荷物は金属の車輪付き台車に入ってくる。
高さ約2メートル、幅は1メートル弱といったところ。
長方形のカゴ状。
これから荷物を取り出して、中央に滑車の付いた作業台に降ろす。
そして荷物を、滑車の上をカラカラ滑らせて、作業台の反対側に送る。
反対側では、空の車輪付き台車に、行先別に荷物を分けて入れていく。
当然のことながら、物体を降ろすより、持ち上げてカゴに入れるほうがキツイ。
また、積み降ろす方は、何も考えずに、ただ降ろすだけでいい。
しかし、積み込み側は荷物の伝票を見ながら、行先を間違えないように、なおかつ荷物が崩れないように、テトリスのように考えながら積み込みしなくてはならない。
つまり、降ろす方より、積み込みの方が数倍キツイ。
と・こ・ろ・が!
ざっと30人はいる男のバイト達が全員、積み降ろす方、つまり楽な側に流れていくのである。
なんだよ!?コイツら!?
ヒドイのになると、既に女性が積み降ろしの仕事を始めているのに、突き飛ばして割って入る男までいる!
なんと、キツい積み込み側に残った男は僕一人!他は佑夏ら、全員女性!どうなってんだよ~!
さ・ら・に!
誰もやろうとしないから、僕と佑夏の二人は、作業台中央の滑車の前に立つことに。
これが何を意味するのかというと。
積み降ろし側から、滑車の上を通って送られてくる荷物を、僕達二人は自分の背後の台車に積み込みしつつ、さらに両脇の女性達に配分していかなくてはならない。
さっき言ったように、積み込み側の台車は一台一台、行先が違う。
両脇の女性達の台車の行先を、即席で暗記して荷物を振り分け、自分達も伝票通りに積み込みする!
ハンパない重労働!
降ろす方が楽だから、向かい側の男達は、遠慮無しにドンドン荷物を送ってくる。
積み降ろしの男達の中で、作業台のちょうど中央、僕と佑夏の向かい側に、会社の制服を着た大柄で、強面の男がいる。
この部署のリーダー社員のようだ。
そいつが、僕達二人に、偉そうに怒鳴ってくる
「おい!!!お前ら!!!間違えたらみろよ!!!この野郎!!!!!」
何だと!?こんなの、正社員の仕事じゃないか!
じゃあ、アンタがやれよ!
俺はともかく、
だが、ここでも、佑夏は立派だった。
僕なんかより、ずっと。
まさに、獅子奮迅!
普通、あまり女性には使われない言葉だ。
しかし、この時の佑夏には、これ以上無いくらい当てはまっていたと思う。
ガンガン、男どもが流してくる荷物を台車に積み込みながら、先の先まで読んでいる。
公立教育大生、頭がいいのは、分かっていたんだけど、これほどとは。
積み込みが完了し、満載になった台車が溢れていっぱいになってしまわないように、
「中原くん、これはこっち。これはこっち。」
行先と荷物の状況を見ながら、適確に台車を配置していく。
おかげで、混乱なく、台車はスムーズに出荷口まで運ばれていく。
また、僕は他の女性達の積み込み分の荷物を、何も考えずにドンドン流していった、これだけ大変だと仕方ないだろ。
だが、佑夏は違う。
周囲を見渡しながら、他のメンバーの積み込みが追いついていなけけば、その人の担当分の荷物を自分の前に重ねておく(重いだろうに)。
そして、余裕ができてから、流してやる。
どうしても、ダメなら身をひるがえしてヘルプに行く。
そして、またすぐ舞い戻ってくる。
しかも、つむじ風のように早い。
彼女がそうするもので、僕も同じようにやらざる得なくなってしまった。
こうして、問題なく、僕達は全ての荷物の積み込みを終えることができたのである。
文句無しにMVPは佑夏だ。
最も仕事が遅くて、彼女に何度も助けてもらっていた年配のバイト女性は、佑夏に「ありがとうございま~す」と息も絶え絶えに、繰り返しお礼を言っている。
キャップ帽と顔に巻いたマフラーで表情は見えないが、佑夏はその優し気な瞳で笑いながら、
「い~え~!」
と、どこまでも明るい。
怒号の飛び交う構内で、この子の周りだけは雰囲気が違う。
この年配女性、佑夏がいなければ、どうなっていたのだろう?
この人にしても、楽な方に逃げた男達に比べれば、ずっと偉いけど。
ハァ~、やっとこさ、休憩時間に。
現在、午前1時。
寒いわ、眠いわ、疲れてるわ。もぅ~最悪だ。
だが、美しい姫、かろうじて、隣に佑夏が座ってくれているのが救いか。
彼女が、僕の分まで極旨おにぎりを作って来てくれて、二人で食べた後、しばし、まどろんでいる。
(またしても、天国の味!)
しかし、不思議なくらい、この子は話しかけてこない。
よく、バイトにカップルで来て、周囲の目も関係無しに、ベタベタ、イチャイチャする連中がいる。
あれは、周りから見て、あまり氣持ちのいいものではない。
仕事に悪影響がある場合だってあるし。
その辺が、佑夏は分かっているのだろう。
聡明な子だな~。
もっとも、僕達はカップルではなく、ただの友達だけど。
それにしても、ムカつくのは、楽な方に全員逃げて行った男達!
あんな奴ら、男じゃない!
女にキツい仕事押し付けて、恥ずかしげもなく逃げて行きやがって!
こんな時はサッサと逃亡かよ!
ああいう連中に限って、普段は調子良く女性を口説いてるんじゃないのか?
大体、こんな寒い中、深夜これだけの重労働でこの時給、安すぎだろ!
腹が立つ!腹が立つ!腹が立つ!
「中原くん.........。」
囁くような小声。
「ん?」
僕の服の肘の所を、佑夏がクイクイ引っ張っている。
「どうしたの?佑夏ちゃん?」
「空、あの辺り見てて。」
控え目に、カギの字に曲げた人差し指で、窓の外の、東の夜空を佑夏は指差す。
??なんだ?
「あ!流星!」
思わず、声に出してしまった。
それも、一つじゃない。
「双子座の流星群よ。一年の内、今の時期の、この時間帯が一番良く見えるの。」
ああ、夏頃だったか、ぽん太をブラシで撫でながら、僕に佑夏が語ってくれたのを思い出す。
疲れた時、イライラした時、彼女は星を見るのだと。
すると、どんなことも些細なことに思えて、スゥーっと疲れもとれていくのだと。
多分、三大幸福論のどれかに出てくるのだろう。
宇宙霊と人間の生命は繋がっている、というのが合氣道の教えにもあったのを、今頃になって思い出すなんて。
そして、休憩時間の間、僕達は二人で双子座流星群を見続けた。
苛立ちと怒りが星空に吸い込まれ、心が感動で満たされて落ち着いてくる。
まさか、こんなところで、壮大な宇宙のドラマが観れるとは。
ヒドイ場所だけに、感動もひとしお。
こんな状況なのに、佑夏の言う通り、笑顔になってしまい、人間のやることなど、大宇宙に比べればどうでもいいという氣持ちになって、人間も大きくなったような氣さえする。
そして、激務も終わり、キャップ帽も返却した早朝の帰り道、二人で歩きながら、佑夏は顔を覆っていたマフラーをほどき、首に巻き直す。
冬になり、住宅地に下りてきたオナガの群れが、朝を祝福するように鳴きながら、青い翼を羽ばたかせて、僕達の目の前を飛び去って行く。
さすがに、疲労の色は隠せないものの、冬の朝日に白い肌が煌めき、普段通りの美しい表情に戻ったお姫様は、オナガをうっとり、愛に満ちた目で見つめて、ニコニコ笑う
「ねえ、中原くん、氣付いてた?」
「え?何が?」
どこに持っていたのか、彼女はいつもの白い貝殻を取り出し、いつものように髪に着ける。
肌身離さず持っているのか、しかし、透き通った凍れる日射しに似合う!
「女の人達、みんな中原くんを見てたよ。モテモテだね!アハハッ♡」
「え?ホント??」
全然、分からなかったよ。
「アハハ!異性の目には鈍感なのね!中原くんらしいわ。」
姫は手を叩いて大笑いしている。
「大変な方、やってくれた男の人、中原くん一人だったもんね。
映画の
そうだったのか........?
頑張ってみるもんだな。
佑夏ちゃん、君も俺にいい印象を持ってくれたの?
ずっと後になってから、彼女は僕に語ってくれた
「他の女性達の羨望の眼差しを集めながら、あなたと歩けて、すごく誇らしかった」、と........。
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