4-2

「——母親が生きていたときは、母親が全部受け止めてくれたから気にならなかった」

 ファミレスで夕食をとりながら一志は文彦と対話している。

 うん、と、文彦は頷く。一志はそのまま続けた。

「でも間違っていましたよ」

「そうですか」

「いまだに親が、両親が生きていたらと思うとゾッとする。五十六十までずっとニートの引きこもりだったかもしれない。仕事もせず家事も全部やってもらって、友達もできず好きな子もできず、夢があるくせに実行せず、あるはずのないファンタジーな力を怖れて……なんて、そんな一生を過ごしていたのかもしれないと思うと、本当に早いうちに死んでくれてホッとしています」

 一志の物騒な話になにも動じることなく、文彦はうんうんと耳を傾けている。

「結局、親の遺産のおかげで本格的なちゃんとした自宅療養ができて、自分は実は働ける人だってことが判明して、本当に良かった」

「それは本当に良かったですね」

「ニートとか引きこもりとかって、やっぱり精神が病んでるからできることだと思います。普通の健康な人ならやることもないのにずっと家にいるなんてできるはずがないですもん」

「なんとなくわかりますよ」

「でも、本人自身の問題だけじゃなくて、客観的に考えてやっぱりなんだかんだ親のせいだと思う——少なくとも、僕の場合は」

 ふう、と、一志はため息をついた。

「“心配だから”“大切だから”あるいは“危険だから”と言って、やりたいことをなにもかもやらせてもらえなかった果てのニートだったと思う。パソコンもアルバイトも車の免許も、学校も——しかもその心配だからっていう“親心”っていまいち否定しにくいじゃないですか。だけど、実際問題親のせいだからこそ、その原因たる親がいなくなったことでいまの健康的な自立した生活が送れているわけで」

「ふむ」

「いつまでもあると思うな親と金、なんて言いますけど、いや親になんていつまでもいられちゃ困るのよって話で。親に守ってもらうことより、自分で自分のことを守ることができるって方がよっぽど大切です」

「あるいはそれを教えるのが親の役目——的な」

 人の子の親である文彦が自分からなにか気づきを得てくれたことが一志には嬉しかった。

「結局、早いうちに親が死んだから病気が悪化して、完治することもなくなったわけですけど、それに関して親を責めることはないですね。還暦とかまで引きこもりだったかもしれないことを思うと一生薬を飲み続ける方がずっとマシ」

 一志は親しい人間には家族親戚の愚痴をずっと喋り続けている。それはなかなか止まることではなかった。自分でもそろそろ言うべきことは全部言ったのではないかという気持ちがあるのだが、それでも、止まらなかった。

 そしていま、その愚痴を言える相手はセンターの人間を除けば文彦だけだった。文彦は人の話を聞くのが上手い。美容師をやっているそうだが、そこで得た技術なのかもしれないと一志は思う。もちろん主治医のように尋常ではない聞き上手というわけではなかったが、一般的には相当高い傾聴技術を持っているように一志には思えていた。だからこそ文彦にはなんでも話せる。そして、次回も会ってくれる。文彦は単純に人の話を聞くのが好きな人なのかもしれない、と、一志は思う。

 あるいは、他人のことを助けてあげたいといういまの自分自身の願望は、こんなふうに達成されるのだろうか、と思うと、一志は期待でわくわくする。一時期は主治医を目標にしていた一志だが、それはあまりにもハードルが高すぎる。医者でも福祉士でもない自分の目指すべき地点は文彦だと思っている。それだけ文彦は聞き上手だった。

「ご両親だけじゃなくて」

 と、文彦は話し出す。一志は、はい、と応える。

「近親者の皆さん、シーさんに、“何にもできない一志くん”であってほしいんでしょうね」

「まあ、そういうことでしょうかね」

「そしたら自分たちは常に上位の存在でいられる。シーさんに対していつまでも“ものを教える”立場でいられるから」

 一志は頷く。

「彼らは、僕がなにか問題行動を起こしたとき、それは僕が病気なのが原因だと思っている。あるいは僕が引きこもっていたからだと思っている。そして、決して自分たちの側に原因があるとは思わない」

「人のせいにできるのは幸せなんでしょうね」

「で、彼らからするとそんな僕こそが人のせいにしている、と。“俺たちのせいにするな”と」

「とにかく、合いませんねえ」

「本当ですよ」

 二人は顔を見合わせて笑う。

 一志はふと、やっぱり文彦も家族関係になにか問題があるのだろうか、と思った。センターの面々はともかく、例えば薬局の薬剤師のように、親の愚痴を言ったら大抵の人間は親の擁護に回るものなのだろうと半ば諦めていて、そんな中で文彦が家族の愚痴を、自分のことをまるでたしなめずに聞いてくれるのは彼自身もなにか家族に思うところがあるからなのだろうかとちょっと考える。あるいは同性愛者であるということで幼い頃からいろいろなことをいろいろと悩むことが多かったのだろうかとも想像する。女性と結婚したことも、つまりその悩みがそのまま解決されなかった証左なのかもしれないとも想像する。

 文彦には以前、世界中のあらゆる宗教に母親を否定するものはないから、だからそれだけ世間の常識に反しているということで、したがってわかってもらえなくても仕方がないと言われ見事に納得したのだが、つまりそういうことなのだろうと思う。

 そういうことなのだろう。

 そういうことなのかもしれない。

 自分の——あるいは、自分たちの悩みは、他の、普通に生きている人たち——には、わかりにくいものなのかもしれない。

 だからこそ……わかってあげたい。

 一志はつくづくそう思うのだった。

 そう、願うのだった。

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