お題小説
@guraaaaaaaa
お題:じゃんけん・理屈・単純作業
「人は理屈では動けないんだよ」
まるで刑務所の面会室のようなアクリル板を挟んだ先で、彼は言った。
「人がどうしようもなく迷って、苦しんだ先で信用できるのは、心のうちに秘めた本能だけだ」
握りしめた拳の内側にじんわりと汗が滲んでゆく。
何万人もの聴衆が、部屋の隅に設置されたライブカメラを通じて僕たちを見つめていた。
WJC――ワールドジャンケンチャンピオンシップ
10年に一度、全人類が個人対抗で勝ち進むじゃんけんトーナメント、その決勝の舞台に僕はいた。
初めは馬鹿らしいと思っていた。じゃんけんなどただの運ゲー、それに人生を捧げるなんて。
僕の父は日本ジャンケンリーグのプロジャンケンプレイヤーだった。
今回のWJCでも優勝候補、日本の星。
でも僕はそんな父を馬鹿にしていた。
毎日何時間も鏡の自分とじゃんけんをし続けるその姿を見て、狂っているとも思った。
だから僕は今回のWJCについても、適当に済ませてしまえばいいと、そう考えていた。
ジャンケンリーグの王座決定戦で完敗した父の背中を見るまでは。
父の握りこぶしを、相手選手の優しいパーが包み込んだとき、自分の中で何かが滾った。
沸々と湧き出てくるこの感情は怒りなのか、失望なのか、はたまた哀れみか。
「やっぱりジャンケンなんて運ゲーだ」
リングからフラフラと降りてきた父がボソリと一言、言い終わる直前にはもう僕は自分を見失い、思わず父に殴りかかっていた。
父親譲りの大きな握りこぶしは、確かに頬をめがけて放たれたが、それが彼の顔面に到達することはなかった。
父は、その手で包み込んだ僕の拳をさすりながら言った。
「いいグーだ…………お前なら、やつにも勝てるかもな」
父の視線の先は既に僕ではなく、先程の対戦相手に向いていた。
そこでようやく父は負けたのだと、理解した。父は泣いていた。
握られている手越しに、父のグーは既に死んでいることが分かった。
後日、父は引退を表明した。
その日から僕はジャンケンに人生を捧げた。
ジャンケンに勝つために、国内外、全ての試合をこの目で見届けた。
勝つための方程式を、自分の手で組み立てていった。
父のかたきを討つためじゃない。
父を否定したくなったのだ。今までの研鑽を顧みても、ジャンケンは所詮運ゲーであると吐き捨てた父を。
僕は父を馬鹿にしていたが、その努力は本物であることを知っていた。一番近くで見てきていた。
その努力で得た全てを否定する父を、僕だけは肯定してあげたかった。
父は運ゲーに人生を捧げたのではない。ジャンケンという競技に人生を捧げたのだ。
来たるWJCで、僕は順調に勝ち進んだ。
ルールは2本先取、真っ向からの実力勝負。
国内の本戦から世界最終予選まで、全てストレートで勝ち抜いてきた。
しかし、ジャンケンを知れば知るほど、じゃんけんというものの奥深さを思い知る。
確率論、数理統計学、心理学に至るまで。
あらゆる知識を総動員してジャンケンに臨むが、運とはあまりに気まぐれで、人間の浅知恵などまるで無視してくる。
勝負のカギはいかに運要素を減らすかだ。相手と自分の握る手を見て、確率的にどの手を出す確率が高いか総合的に判断できる。
相手の癖やコンディションを加味して、次に出す手を予想する。
勝率は次第に100%へと近づいていった。
決勝当日、沢山の人の声援を背中に受けながら、会場へと向かった。
その声の中に父は居なかった。父は引退後、重い病気にかかった。寿命も残り少ない。
僕の中ではジャンケンへの情熱と、父を馬鹿にしてしまった後悔が混ざり合い、複雑な気持ちのまま決勝の舞台へたどり着いてしまった。
思ってたよりも質素で、狭い個室へと通されると、ヤツがいた。
リーグ戦で父を負かした、因縁の相手。
彼は僕を見るやいなや口を開くと言った。
「人は理屈では動けないんだよ。人がどうしようもなく迷って、苦しんだ先で信用できるのは、心のうちに秘めた本能だけだ」
拳にじんわりと汗がにじむ。
「君みたいに、理屈で勝ち上がってきた人間は、最後の最後でミスをする。君は負けるんだ」
それが僕を揺すぶろうとする言葉であることはすぐに分かった。
それでも、今まで対戦してきた相手とはなにか違うものを感じた。
何か、胸の辺りがざわつく。
「お互い、ベストを尽くしましょう」
僕が握手を求めると、彼もまたそれに応えた。
そして彼は、自分の拳をさすりながら席に座った。
一本目、彼の表情を伺いながら、僕はチョキを出す。
彼はグーを出した。僕の負けだ。
これは想定内だった。1本目は取られても別にいい。
しかしそれ以上に感じた違和感。彼は確かにパーを出す表情をしていた。
だからチョキを出したのだ。
「気付いたかい?」
彼は僕の出す手を見てから変えている、後出しジャンケンをしている!
しかし会場にはAI搭載超高性能スローモーションカメラが自動的に後出しを判別する。
実質的には不可能な芸当。それを彼はありえない速度で変化する拳を用いて可能にしている。
飄々としたその態度から滲み出る彼の研鑽に、僕は戦慄した。
彼の表情を見る。その顔は勝利を確信したものだった。
10秒後、その表情が絶望に変わる。
2本目、僕はまたチョキを出した。
彼が出したのは、パーだった。
彼は見誤った。
僕の握る拳から立ち昇る熱気が、水蒸気となり、僕の拳を隠していたのだ。
彼から見れば僕はグーを出しているように見えるが、実際はチョキを出しているのだ。
蜃気楼のように揺らめく拳を高速で判断するのは難しい。
これが僕の出せる最適解だった。
「結局は運ゲーか……」
彼は拳を振り下ろす途中に手をいくらでも変えることができる。
だから僕は彼に100%勝利するとは言えない。
それは彼にとっても同じで、僕の拳は彼からは見えないからなんとでもなる。
「その戦法は……君はもしかして」
「昔見たことがあるかい?きっと父さんもこの考えに至ったんだろうね」
――やっぱりジャンケンなんて運ゲーだ。
そう言った父の気持ちが痛いほど分かった。
あのとき父を馬鹿にした青さも、これまでの鍛錬も、これからの人生も、全てこの拳に乗せて。
3本目。出した手は父が褒めてくれたグーだった。
両者は互いにどちらが勝利したか把握していなかったが、鳴り響く歓声は僕の名前を叫んでいた。
そのまま僕は病院へと直行した。
父が危篤だという連絡が入っていたのに、気付いていなかった。
到着した時には既に、父は亡くなっていた。
テレビでは、WJCの放送されていたチャンネルが放置されていた。
――君みたいに、理屈で勝ち上がってきた人間は、最後の最後でミスをする。君は負けるんだ。
ヤツの言葉が、後悔以上の痛みを抱えながら、胸の片隅で燻っていた。
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