59.ノエル=ワーグナーからの手紙

 神様が消えた箱の中には、たくさんの手紙と一冊の本が入っていた。


(事情を伝えるアイテムって、神様が言っていたっけ)


 とりあえず本を手に取り、ぱらぱらと開く。


「これ、事故前のノエルの日記だ」


 学院に入ってからの毎日が記されている。

 平民である自分が魔術学院に入れたことを喜び、これからの生活に胸を膨らませる様が書かれている。


「ノエルは学院生活を満喫していたんだなぁ」


 学院に入り、マリアと友達になったこと、マリアへのいじめに腹を立てる様も書かれている。人目を避けるため、庭でランチをし始めた、とも。


「そういえば、マリアがそんなこと、言っていたな。あれはノエルの気遣いだったのか」


 ページを捲り、動きが止まった。


『街に買い物に行った帰り、気分が悪くなって座り込んでいたら、神官様が助けてくれた。とても優しい方で寮まで送ってくれた。また、お会いできるかな』


『自分が呪い持ちになっていたと知った。前に助けてくれた神官様が、相談に乗ってくれている。不安だけど、リヨン様が、呪いは発動しないこともあると教えてくれた』


『リヨン様と文通を始めてから、もう一カ月。時々しかお会いできないのが寂しいけど、こうしてお手紙を貰えるのは嬉しい』


 日記を置いて、ノエルは手紙の束に手を伸ばした。

 全部、リヨンからの手紙だ。

 その中の一つを開く。


「ノエルに魔石の使用を助言したのは、リヨンだったのか」


 どうやら、前のノエルはリヨンと恋仲だったらしい。

 ノエルの魔力が徐々に減退し始めてから、呪いのオート発動を懸念したリヨンの、苦肉の提案だったようだ。

 魔石が魔力を補助してくれる可能性があること、逆に吸われてしまう危険もあることが記されている。

 リヨンの手紙には、魔石を使っても、呪いから逃れるのは難しい旨まで記されている。文章の端々や文字の乱れに、彼の苦悩が滲んで見えた。


(知りうる限りの危険性は、ちゃんと伝えている。それでも、少しでも可能性があるならって思ったんだろうな。リヨンはノエルに生きてほしかったんだ)


 そんな思いが切に伝わってくる手紙だった。


(リヨンが教会を裏切った原因は、ノエルへの想い、だったんだろう)


 更にノエルの日記を読み進める。


『呪いにはきっと、抗えない。だったら、魔石に私の魔力を全部吸ってもらおう。宿主の魔力を吸えなければ、呪いは消滅するって、リヨン様は話していた。そうすれは、呪いが飛散することも、この体に呪いの影響が残ることもない』


「呪いの飛散……。そこまで知って、考えていたんだ」


 魔術師の体に巣食った『呪い』は魔力を吸うと、次の体を求めて飛散することがある。余程に強い魔術師の魔力を吸った場合が多いが、それもリヨンに聞いて知った知識なのだろう。


「守りたくて勧めた魔石が、ノエルの命を奪ったんだ。なんて、悲惨な話」


 ノエルの死因はずっと気になっていた。


「やっぱり、呪いじゃなくて魔石、だったんだな」


 だとすれば、今のノエルの魔力量の多さも、多少は頷ける。二人分の魔力を体に宿しているのと同じだ。


「でもリヨンは、ノエルに生きてほしくて魔石を勧めたはずなのに、あまりにも、報われない」


 ノエルを生かすために勧めた魔石を、ノエルは呪いの飛散を防ぐために使用していた。リヨンを含め、愛する人たちを守るために。

 そんな娘だ、リヨンは本気で愛していたに違いない。


 自分が取り仕切る悪行が愛する人を殺した。

 リヨンが贖罪を求める理由には、充分に思う。


(あの時の、私を見詰めた目は、前のノエルに向けられた想い、だったんだ)


 病院で会った時のリヨンは、優しい目をしていた。

 まるで、想い人を懐かしむような瞳だった。


『最期に貴女の姿を見られて、本当に良かった。来てくれてありがとう、ノエル』


 リヨンと最期に交わした言葉を思い出す。


「あれは、前のノエルに言った言葉だったんだ。私ではなく……。あれ? ちょっと待って。ノエルは、私は生きている。だったら、どうして、リヨンは……」


 確かに前のノエルは死んだ。けれど、ノエル=ワーグナーは生きている。今のノエルにリヨンが接触してこなかったのは、不自然だ。

 病院での対応も、まるで初対面の相手にする態度だった。


「リヨンは、ノエルの中身が別人に変わっていると、知っていた?」


 箱の中の手紙を、もう一度確認する。

 ぱさり、と真新しい手紙が落ちた。

 リヨンの手紙は紙がよれていて、ノエルが何度も読み返した形跡が窺える。その中にあって、かなり異質だ。


 宛先に住所はない。

『ノエル=ワーグナーからノエル=ワーグナーへ』と書かれていた。

 ぞわっと背筋に寒気が走った。

 封のされた手紙を、恐る恐る開く。


『きっと会うことのないノエルへ。

 はじめまして、私は貴女より先にノエルの体に転生した、元は日本の中学生です。心臓の病気で一度も病院の外に出られなかった私を、このまま死んだら可哀想だと思った神様が転生させてくれました』


「はぁ?」


 間抜けな声が出た。


「噓でしょ。前のノエルも、転生者だったの……」


 混乱する頭を抱えて、手紙の続きを読む。


『ゼロ歳から十六歳の途中までを、この体で生きました。自由に外を走れて魔法まで使えるノエルの人生は、とても楽しかった。でも、私がこの世界に来たのは手違い、なのだそうです。転生先を間違えた、と神様が言っていました。そのせいで、この世界は少し変わってしまったのだそうです』


 手に力が入って、紙がぐしゃり、と歪んだ。


『神様曰く、原作者がもうすぐ死ぬ予定だから、この世界に転生させて世界補正してもらう。もう枠がないからノエルの体を使いたい。とのとこで、私はもう一度転生することになりました。神様って適当ですね』


 本当に適当すぎると思う。


(つまりは全部、爺さんの失敗から始まってんのか? 自業自得のくせに、大変なとこ人に全部押し付けてきてるわけか?)


 さっきまで部屋にいた小さい爺さんを思い出して、イライラしてきた。


「死ぬはずだったノエルの体に私が入って生きてる時点でスタートから世界観崩壊してんだよ、神様。わかってんのか、絶対、わかってねぇだろ」


『この世界は乙女ゲームなのだと、神様に聞きました。リヨン様が攻略対象かはわからないけど、私は彼に出会えてとても幸せでした。来世でもう一度出会いたいと思うけれど、私が次に行く世界に彼はいない。それだけが、心残りです』


「そうか、この時点で、リヨンはまだ生きていたものね。リヨンも呪いで死ぬなんて、思わないよね」


 もし我儘を通してもらえるのなら、リヨンの魂をこの子と同じ世界に転生させてあげてほしい。もう一度出会いからの、もう一度初めからの恋になるけれど。


『たとえ手違いでも、この世界で生きられて良かった。色んなことに、ハラハラドキドキしました。人生って、何が起こるか、わからないね。このゲームの世界は、病院生活しか知らなかった私にとって初めての現実リアルでした。作ってくれて、本当にありがとう。前の人生でも、ゲームをプレイしておけば良かったな』


「ゲームは、プレイしなくて良かった。だって、ゲームに出てくるリヨンは、攻略対象じゃない、悪役だったから」


 自然と涙が流れていた。


(この子は現実世界で、等身大のリヨンと恋をした。ゲームシナリオとは全く関係ない、大切な物語思い出だ)


 ノエルの純粋な想いがリヨンを変えた。それを責める気には、とてもなれない。


「こういう感謝のされ方も、あるんだなぁ」


 ノエルが経験した思い出は、自分が作った物語じゃない。けれど、とても誇らしく思えた。

 手紙を強く握りしめて、あふれる涙を懸命に拭った。


『だから貴女も、いっぱい楽しんでね。私がこの世界に転生したせいで、ゲームと違う展開がたくさんあるかもしれないけど。たとえ、書いたシナリオ通りに行かなくても、人生は普通、先がわからないものだから。楽しんだもの勝ちだと思う!

追伸 秋の庭の奥に、お土産を置いてあるから、見に行ってね。 ノエル=ワーグナーこと、日高ひだか桜姫さき


 最後に添えられた名前を凝視した。


「日高、桜姫って……。元の名前まで、同じなんてこと、ある? だから、あの神様、間違ったのかな。間抜け」


 いっそ、笑いが込み上げた。


「運命ってのは、あるのかもね」


 ノエルの日記を手に取る。

 最後のページから、一通の手紙がパサリと落ちた。

 リヨンからの手紙だ。


『君の話は俄かに信じ難い。けれど、召喚術というなら、理解できる。呪いを消し去る英雄が現れるのなら、私は喜んで協力しよう。しかし、君の体でなければ、ダメなのだろうか。君を失う未来を受け入れられそうにない』


「召喚術、か。説明が巧いな。私より世界観を理解している」


 ノエルは、自分が転生した後に自分の中に呼ばれるであろう魂についても、この世界の常識になぞらえてリヨンにちゃんと説明していた。


(私はユリウスに本当の話しちゃったのに。あの時の私にも、こういう応用力があったら良かったのにな)


『君の魂がどこに旅立とうとも、必ず共に逝こう。生まれ変わっても必ず探し出して、もう一度君を愛すると誓う。だからどうか、一人で逝ってしまわないでほしい』


 リヨンの手紙は、そう締めくくられていた。

 きっとこれが最後の手紙だったのだろう。

 ノエルはリヨンに返事ができたのだろうか。


「私が書く台詞よりずっと愛が深い。いや、これは台詞じゃなくて、気持ち、か」


 どうか二人が来世で結ばれますようにと、願わずには、いられなかった。

 

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