38.欲しがるエゴと拒むエゴ
結局、シエナはノエルにイヤリングを渡しただけで仕事に戻って行った。早速、学院の結界の修復作業に入るらしい。アーロが手伝い要因に駆り出されていくのを手を振って見送る。
(恐れていた事態にはならなかったし、軟禁もされなかった。良かった)
ほっと一息吐いたノエルとは裏腹に、長椅子の隣に座るユリウスは、ぼんやりとノエルの指輪を撫でている。
不機嫌というよりは、不貞腐れているように見える。
(イヤリングのデザインが気に入らなかったのかな? 同じブランドだから?)
「この指輪は僕のオリジナルなんだよ。世界に一つしかない、ノエルにしか使わせないための魔道具だ」
心を読んだような言葉に、びくりとする。
呟いたユリウスの声は、独り言のような響きだ。
「そうだったんですね。魔道具を一から手作りなんて、ユリウス先生のこだわりは計り知れませんね。センスもいいと思いますし、やっぱり何でもできちゃうんですね」
指輪をまじまじと眺める。
元居た世界にもありそうな、綺麗な意匠だと思う。
(自分のデザインを真似されたのが嫌だったのか。そういうの気にしないタイプだと思ってた)
現にイヤリングより指輪のほうが強い力を感じる。国王の魔力が低いのではなく、汎用性の問題だろう。込められた術式が多い上に複雑なのだ。
視線を感じて振り向くと、ユリウスが目を見開いて、ノエルを凝視していた。
訳が分からず首を傾げる。
大きく息を吐いたユリウスが頭を抱えた。
「世界に一つだけの指輪の意味なんて、君は知らないか」
(意味? 意味があるのか。これは聞いた方がよさそう、かな)
「それって、どういう……」
「ねぇ、君って、歳はいくつなの?」
「歳、ですか? 十六ですけど」
「ノエルの年齢は知っているよ。そうじゃなくてさ、君の年齢」
(ああ、中身の話か。そういえば、話したことなかったかも。聞かれなかったし)
何故今更と思うが、ユリウスが興味津々なので、とりあえず素直に答える。
「二十四歳でした」
「ふぅん。二十四なら、僕と同じだね」
ユリウスがノエルの髪をくるくると指に巻き付けて、何気なく言う。
ノエルの頭に稲妻が落ちた。
(そういえば、そうだ。作った時は年上だったのに! 時の流れとは無常だな)
「ロキのこと、子供っぽく見えない?」
(やけにロキに突っかかるな。さっきのこと、そんなに気に入らなかったのか)
ロキのことを思い浮かべる。
先ほどのロキの言葉や行動を思い出すと、慣れない感情が動きそうになる。
(あんなこと言われたのは生まれて初めてだし、嬉しくないわけじゃない。真っ直ぐに自分の想いを相手に伝えるって、すごいな。私には真似できない)
「あんまり、子供っぽく感じないかも。むしろ私より大人っぽい……」
ロキの年齢設定は、確か十七だったはずだ。
(なんであんなにしっかりしてるの、あの子。いや、よくよく考えたら皆しっかり者だよ。ゲームのメインキャラだからなのか。大人びて作りすぎたか)
我ながら、愕然とした。
「本当に? 君、本当に二十四歳? 大丈夫?」
本気で心配されて、イラっとする。
「先生にだけは言われたくないです。なんなら先生が一番、子供っぽいです」
「へぇ。なら、子供っぽい僕と、遊んでよ」
ノエルの髪を弄んでいた手が後頭部に伸びる。顎を指で軽くいなされて、すぐに唇が触れた。重なるのに慣れた唇を押し退けた舌がノエルの口を開かせる。舌と舌が絡まる。
(また……、また、この人に流されてしまう……)
抵抗する腕はユリウスの長い腕に拘束される。
離れようとしても、頭を押さえられて、逃げられない。
「ぅん……や、ぁ……は、ぁ……ん」
吐き出す言葉は吐息に飲まれて、搔き消える。
「ぁ……、ノエル……」
水音の合間に小さく響いたユリウスの声に、ドクンと心臓が跳ねた。
ユリウスの腕がノエルを強く抱いて、体がぴたりと密着する。
(前より、熱い)
頭の芯がぼぉっとして、体が抵抗を止めた。ユリウスに縋り付いて、体温を貪る。
(ダメだ。これ以上、この人に縋っては、ダメなのに)
求められることに安堵する自分を受け入れてしまいそうになる。
なけなしの理性で、ノエルはユリウスの体を押し返した。
ユリウスが動きを止めて、ゆっくりとノエルから唇を離す。
「蕩けて好い顔になったね。僕との遊びは、楽しい?」
見上げたユリウスの顔がまだ熱を帯びている。今にも食らい付いてきそうな表情だ。
体にうまく力が入らない。媚薬でも盛られているのではないかと思う。
「……先生は、狡い」
気づきたくない、気付いてはいけない、これ以上は。
顔を見ていられなくて、ノエルは睫毛を伏した。
ユリウスがノエルの体を抱えて膝の上に座らせた。腰に腕を絡ませて、頭を抱く。
「煽ったのはノエルだよ。自業自得。ねぇ、君の本当の名前を、教えてよ」
「嫌です」
前にも同じ質問をされた。あの時も、同じような状況で、断った。
「どうして?」
「呼ばれたくないからです」
「どうして、呼ばれたくないの?」
何故そこまで、前世の名前に執着するのだろう。
断ったりしたから、余計に好奇心を煽ったのだろうか。
「前の名前が、嫌いだからです。あの名前を、ユリウス先生に呼ばれたくない」
親が期待を込めて付けてくれた名前。でも自分は親の期待通りの娘にはならなかったし、なりたくもなかった。
都合の良い人形であり奴隷でしかない愛娘を縛る鎖でしかない。そんなものは名前ではない。奴隷の焼印と同じだ。
「呼ばないよ。本当は名前なんか、何だって良いんだ。ただ、知りたかっただけだよ。僕だけが知っている君を増やして、君を知ったつもりになりたかっただけなんだ」
ノエルの額に口付けて、頬を寄せる。
彷徨うノエルの手が、ユリウスの手を握った。
「ユリウス先生より、私を知ってる人なんか、この国にいません。だから……」
(だから、これ以上、甘やかさないでほしい。傍にいるのが当たり前だなんて勘違いを、させないでほしい)
「気が向いたら、教えます」
気持ちとは裏腹な言葉が、口から零れ落ちた。
「うん、わかった。それまでに、君の体にたっぷりと僕を刻み込んでおこうね。この瞳に僕以外を映したくなくなるくらいに」
熱が浮いた指がノエルの目の下を撫でる。
目を閉じたら、ユリウスの唇が、落ちてきた。
重なって、離れて、食まれて、深く貪られて、抵抗できない体がユリウスを求める。
(今日だけ、今だけ、この一度きりで、終わりにしよう)
自分に言い聞かせて、ユリウスの肩に腕を回した。
指と指を絡めた手を強く握りしめて、ノエルはユリウスの体温に身を預けた。
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