──その終


 バタンと前の車のドアが開き、運転席から一人の男が出てきた。


 いかつい顔をした三十前後の昔はヤンキーでした、みたいな方。のっしのっしと肩で風切って歩いてくる様もそう語っている。


「おう。いい感じのバカが寄ってきた」


 僕の隣のバカがそうほざく。しかも何故だかやたらと嬉しそうに口角をにーと吊りあげて。


 俺も丸くなったもんよ。とはどの口から出てきた言葉だろうか、非のある奴の方がやる気満々にみえる。


「車の中でちょっと待ってろ。秒殺してくっから」


 殺という文字を平気で使用するこいつ。でんちゃんは外に出ると、まず怒鳴り声で相手を威嚇した。


「コラァッッ! クソガキ、なんか用か!? コラ、アン、コラァァッッ!!」


 勢いキング。格闘技は冷静な奴が強いとされているが、喧嘩は勢いで決まると前にでんちゃんが言っていた。だから俺の声はでかいのだと。


 勢いキング。まあでも、それは一理あるのかも知れない。 何故なら相手はでんちゃんのでかい声に既に戦意を失っているようだったのだから。


 でんちゃんは拳をぎゅっと握った。実は背丈はそう大きくないでんちゃんだけど。その肩幅と腕の太さには尋常ではない程の筋肉を纏っていた。故に彼が拳を握ると凄まじいまでの圧力が相手を襲うといわれている。


 〇〇高校の△△さん。


 風を切り裂きながら勢いよく放たれた拳が相手の顔面をとらえた瞬間、痛烈な音と共に相手は後ろにではなく前のめりに力なく倒れた。


 一撃必殺のでんちゃん。そんな異名を聞いたような、聞かなかったような。



 その時だった。最悪な事態が起きたのは。


「おっ、おい、お、お前たち、そ、そこで何をやってるんだ?」


紺色の制服に身を包んだ世の中の正義の象徴の登場。

 

「──な、な、何をし、しているん、いるんだと、き、きき聞いていいるんだ」


やたらと舌の回転の悪く、車ではなく、今どき自転車に乗って懐中電灯をでんちゃんに向けているのだけど、間違いなくその方は警官だった。


「──う、動くな、う、動くなよ……。ちょ、ちょっとでも、て、抵抗をしたら……あ、アレ……だからな……」


アレが何なのかは分からないし、自転車のカゴの中に妙に違和感たっぷりの中高生が使用するような“スポーツバック”が押し込まれていたが、間違いなく彼は警官だ….…と思う。だって制服はちゃんと着ているもの。


「お、お、お、お、おまえら、あ、アレだ……アレだからな……あ、アレだぞ……」


「……」



 ◇◇◇



 つまりは神様はちゃんと見ているってこと。だってこれででんちゃんを咎める人がいないと、でんちゃんの勘違いは治らないから。


 でんちゃん。違うんだ。社会にはルールがちゃんとあるんだ。暴力は絶対にダメなんだ。今は特にコンプライアンスなんだ。


 だけどその声がでんちゃんに届くことは──無かった……。


「あー、めんどくせー!」


 ほざいた。「え、あ、な、な、なななに」と吃る警官を睨みつけながら、そのごつい拳を再び握りしめた。


 そ、そんなまさか……などと少しでも躊躇をした僕がバカだった。慌てて車から降りるとほぼ同時にありえない音が響いた。


「えっ? えっ? うそ……」


 嘘ではない恐ろしい現実。まるでスローモーションのように警官が前のめりに倒れていったのを僕の瞳が確かに記録していった。


 あああああああーーー!


 声にならない心の叫び。僕は狂ったように頭をかきむしり、足をばたばたともがかせた。


 あああああああーーー!


 ……しかも、悲劇はまだ終わらない。

 

 遠くの方から最悪なタイミングで最悪な音が聞こえてきた。


 サイレン。身の毛もよだつような唸り声から察してパトカーなのは明白だった。


 しかもその音、明らかにこちらに近付いてる様子。


 なにがなにやら……。


 だけど、戸惑う僕を尻目にでんちゃんの行動に陰りはなかった。


 踏んづけた。昔はヤンキーでしたの方の腹の上に両足で跳び乗った。


「おう、どうだ? これで今の俺はお前より背が高いだろ」


 満面に笑みを浮かべながらやや僕を見下ろすでんちゃん。バカとチビほど高い所に憧れる。


 だが、この行為が功を奏すから世の中は分からない。


「うー……」と唸りながら、でんちゃんに踏まれてる奴が目を覚ましたのだ。


 先ほどよりも更に距離が縮まっているサイレンの音に、彼が事態を飲み込むまで時間はそう掛からなかったはず。すぐにでんちゃんの重力から逃れると、自分の車に飛び乗って颯爽と去っていった。


「いて。ってか待て! 逃げんなや、コラッ!」


 地べたに転げ落ちているでんちゃん。喧嘩の勝者のくせに負け犬の遠吠えのようにほざくからバカの証明なのだ。


 まあ、そんなことよりも僕は、どんどん近付いてるサイレンが気になって気になってどうしようもなかったのだけど。

 

〈次頁につづく〉

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