第10話 女嫌いの理由

『ついに水脈が穢れた』


 エクトルが兄である皇帝から報告を受けたのは一週間前。


 このオルレアンは、山々が連なり、オルレアン連峰がそびえる自然の美しい国。山の雪解け水が川に流れ、帝国の人々の暮らしを支えている。


 その山の一つ、ローアン山が瘴気で穢されたというのだ。


 水脈の一つでも使えなくなれば、国民の命にも関わる。


 この国は大昔、ラヴァルと戦争をして負けた。その代償として聖女を全て差し出すことになった。その血縁もすべてラヴァルへ差し出し、残ったのは年老いた聖女のみ。


 その聖女が生きているうちにオルレアンは魔物に対抗する軍事力を整えた。


 気付けば周辺国を寄せ付けない大帝国になっていた。ラヴァルとは未だに微妙な関係だが、友好国として形だけは条約を結んでいる。


 今もまだ聖女を独占するラヴァルは、何かときな臭い国だ。密かに聖女を派遣してもらう代わりにラヴァルへ大金を積んでいる国があるという噂もエクトルは掴んでいた。


 そして、最近オルレアンで頻発する魔物。

 

 聖女がこの国から消滅すると同時に、ラヴァルの皇族に聖魔法の力を持った子供が誕生した。

 聖魔法の化身、フェンリルが仕え、魔物を一掃していったという。


 その力は代々受け継ぎ、今代はエクトルが受け継いだ。アパタイトも代替わりで子供のフェンリルらしいが、エクトルの最高のパートナーとなった。


 魔物にも負けない強い国、というのはもちろん軍事力の強化の成果もあるが、この聖魔法とフェンリルの恩恵を皇族が受けられたことが大きい。他国は知らないことだ。


 ただ、この聖魔法の行使には代償もあった。


 聖魔法を使い、魔物を消滅させる。その反動で身体が少しずつ瘴気に蝕まれていくのだ。代々の使役者は短命だった。


 エクトルは先代から聞いてはいたものの、身体に気味の悪い染みのような物が出た時はさすがにこたえた。その染みは徐々に広がり、今は身体中に広がっている。


 それでもエクトルは、この国のため、国民のため、先頭に立ち魔物を殲滅し続けた。


(私は皇族として生まれたからには、この国を守る義務がある)


 ゆっくりとエクトルの身体を蝕む瘴気だったが、事態は一変した。魔物が急に活発になったのだ。


 この国始まって以来の緊急事態に、エクトルも必死に対応した。そのせいで手が回らず、国民に被害が出てしまい焦っていた。隣国のエルノー侯爵家がひそかに手助けしてくれている、と報告を受けた当時は信じられなかったが、彼は今でも感謝をしている。


 何とかしようと必死だったエクトルは、兄や部下、アパタイトが止めるのも聞かず、魔物の群れへと突っ込んで行った。若気の至りだが、その代償は大きかった。


 エクトルの足はその一度で瘴気にやられ、思うように動かなくなった。


 しかし、日常や戦闘でアパタイトが補助してくれるようになり、彼もそんな生活に徐々に慣れていった。


 そんな中、婚約者のアニエスが他の男と通じているのを目撃してしまった。


 普段パーティーに参加しないエクトルだったが、兄にどうしてもと言われ、直前に参加を決めたものだった。


 アパタイトを外に留め、顔だけ出して帰ろうとしたエクトルが目にしたのは、男と腕を組み、ここにいるはずのないアニエスだった。


 聖魔法を後世に残していくためにもエクトルの結婚は必須だった。


 侯爵家の一人娘だったアニエスとは政略的な婚約で、愛などなかったが、お互いゆっくりと関係を育んできたつもりだった。彼女もエクトルが短命なのを受け入れ、献身的に支えてくれていると思っていた。


「アニエス、皇弟の婚約者がいるのに良いのかよ?」

「あの方は足を悪くしてから増々パーティーには参加しなくなったから大丈夫よ」


 くすくすと笑いながら会場に用意された個室に消えていくアニエスを見て、エクトルは信じられない気持ちになった。


(一体あれは誰なのか……。慎ましく、私の無事の帰りを願っていた彼女なのか?)


 扉が閉まる直前、二人が口づけをするのが見えた。


(――――まさか)


 アニエスはそんな女ではない。そんな気持ちでエクトルはその部屋の扉に近付く。


「アニエス、愛している」

「私もよ。ずっとそばにいて」

「おいおい、そんなこと言っていいのか?」

「いいのよ。あの方はどうせすぐに死んでしまうんだから」


 そっと開けた扉の中からは熱をはらんでいく二人の会話が聞こえてきた。


 見なかったふりをすればいい。


(彼女の言う通り、私は早くに彼女を置いて死んでしまう。後継さえ残せれば良い……)

「アニエス……」


 気付けばエクトルは部屋に押し入っていた。


 乱れた二人はベッドに身体を沈めていた所で、言い逃れが出来ない状況だった。


 固まるアニエスを置いて、エクトルは会場にいる兄を探し出すと、すぐさま彼女との婚約破棄を願った。


 魔物の頻発で結婚式が後になっていて丁度良かったと思った。


(彼女も望まない相手との結婚なんて不幸になるだけだ)


 婚約破棄には兄も侯爵に罰を与えると言ったが、エクトルがそれを望まなかった。


(聖魔法の使い手は皇族の血に生まれる。私でなくてもいいはずだ……。私なら可能性が上がる、というだけで)


 アニエスは魔物退治でエクトルに放っておかれて寂しかった、と泣いて釈明していたそうだ。相手は男爵家の長男で、彼女を慰めているうちに深い仲になったのだとか。


 侯爵はアニエスを勘当する形で皇族に誠意を示した。彼女は男爵家に迎えられ、結婚したそうだが、周囲の目に耐えられず彼と帝都を出て行ったとエクトルは風の噂で聞いた。


(確かに私は彼女を放っておきすぎたかもしれない。しかし魔物討伐は、国のため、しいては彼女のためにもなると思っていたのだが……。私の身体は瘴気に蝕まれ、自分でも気味悪いと思う。そんな男と肌を重ね合わせるなんて嫌だろう)


 わかっている。――でも、という気持ちがエクトルの中で渦巻く。


 優しい微笑みで「待っています」と言っていた彼女に胸が締め付けられる。


 なぜ早く嫌だと、婚約解消したいと言ってくれなかったのか、とエクトルは思った。足が不自由になってから「いつでも婚約を解消する」と言っても、「エクトル様を愛していますので」と彼女は笑っていたのだ。


 いつからが嘘で、本当はあったのか。


(――――女は変わる)


 あんなに穏やかな笑顔を浮かべ献身的だったアニエスは、女の顔で他の男に媚び、エクトルのことを「どうせ早く死ぬ」と言った。

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