切り札
おかしい、どうにも話が思惑通りに進んでくれない。実はあれからも結城君には会ってしまっている。お互い独身の上にフリーだから会っても問題はないし、花屋敷さんへの計画のためには結城君とのつながりを切るのは良くないのはある。
気軽な男友だちに留めるはずだったのだけど、会う回数を重ねると空気にヤバさを感じるようになってしまっている。女だって初恋に燃えるし、思い出は大切にするけど、男は女とは比べ物にならないぐらい執着するのは本当みたいだ、
『人が心から恋をするのはただ一度だけである。それが初恋だ』
これはラ・ブリュイエールの言葉だ。さらに、
『多かれ少なかれ初恋の女に似ているという理由から、男は女を好きになる』
これはギュスターヴ・フローベールの言葉だけど、結城君にとって明日菜はモロの初恋の人。それが初恋から十年の間を経て現れてしまったから目がヤバイのよ。その辺は結城君の渡米の日が段々に迫っているのもあると思う。
これまた宜しくない状況で、高校の時に明日菜がアタックされた状況と似てると言えば似ている。高校の時の目標は恋人になって欲しいぐらいだったはずだけど、今の状況は渡米までに明日菜を口説き落として婚約者どころか、妻としてアメリカに連行しようとしている恐れさえある。
こんなつもりじゃなかったのよ。悲運の花屋敷さんをなんとかしたくて動いていたはずなんだ。それなのに何をどうしたって、結城君との関係が深まるようにしかならないのは、どうしてよ。
今夜だって空気が宜しくない。まず夜景が綺麗すぎる。この席って窓際の特等席みたいなところじゃない。店だってオシャレの度が過ぎている。フレンチは少し重い印象もあったけど、ここのは軽やかでまるでイタリアンみたいな気がする。
「お口に合いますか」
そりゃ合うよ。料理の評価だけなら花丸だ。ワインだってソムリエが何か言ってたけど、こんなに料理に合ったの初めてかもしれない。もっともこんな高級フレンチなんて・・・言いたくないけど、あのロリコンのペドフィルの変態野郎以来ないものね。
「風吹さんは本当に昔の魅力のままなのはいつも驚かされます」
ありがと。いくら言われてもアラサーだけどね。それはともかく、こんな歯が浮くようなお世辞がポンポン出て来るのが困る。そりゃ、お世辞でも褒められたら嬉しい部分はあるよ。でもさぁ、そうやって褒めといて次に出てくるのが心底困る。
告られても困るけど、今の勢いなら指輪が出てきてプロポーズもされかねない。そりゃ、断る権利はあるけど、高校生みたいに、
『ゴメンナサイ』
で終わらせられないじゃない。とはいえ場のノリで受けるものじゃない。とにかく持ち出されないようにしなくちゃならない。告白なり、プロポーズへの流れを打ち切って、明日菜の思惑に流れを引っ張り込みたい。
今夜のヤバさは今までにないものだ。となれば、明日菜も覚悟を決めて切り札を出すしかない。この切り札をどう効果的に使うか頭を捻ってた。効果はあるはずだけど、その効果を最大限に引き出すにはどうしたら良いかだ。
それをこの場を切り抜けるために使うのは不本意だけど、そんな贅沢は言ってられないもの。覚悟を決めて花屋敷さん襲った悲劇を話した。さすがに効果は抜群で、この場に漂っていたヤバイ空気は一掃されたと思う。
「そ、そんなことがあっただなんて・・・」
そうなるよね。結城君には伏せられてたもの。結城君は押し黙ってしまい、ふと見ると目が赤くなってる。あれはワインの酔いだけじゃない。どうみても涙が溢れてる。結城君は思いだしているはず。花屋敷さんとの思い出を。
あれこれあったはずだもの。そりゃ、喧嘩だってしたと思うけど、歳月は記憶を美化させているはず。今となっては喧嘩だって懐かしすぎる思い出だし、他のことならなおさらのはずだ。
告白された日のこと、一緒に食べた昼休みのお弁当、肩を並べた帰り道、つないだ手の温もり、初デート、初めての口づけ、そして初体験・・・忘れられるはずがない。こういうエピソードは本来なら黄金の輝きを放つ記憶のはずだけど、それを醜くしていたのは別れの記憶。
どうしてあれだけ醜い記憶になったのかの原因がわかれば、二人の思い出は光輝くに決まってる。そうよ、あの合コンの日に花屋敷さんがなぜに出席したかの理由もすべてわかるはず。
今だって花屋敷さんは結城君を待っている。そう言えば花屋敷さんは縦ロールが久しぶりだと言っていた。あれも明日菜に思いだしてくれるためなんて言ってたけど、そんなはずはない。すべては結城君へのメッセージのはずだ。
今となればわかる。縦ロールは花屋敷さんのトレードマーク。高校時代もそうだったけど、大学で結城君と付き合っていた時もそうだったはず。これをやめたのは、結城君と別れ、子宮全摘の手術を受ける時だったはず。
花屋敷さんにとっても縦ロールは結城君との思い出をつなぐもの。合コンに出席し結城君と再会した時に昔のように戻りたいの意思表示だったのよ。さすがにあれだけじゃ、伝わりにくいと思うけどね。
そうだなメッセージと言うより決意とした方が良いと思う。花屋敷さんにとって縦ロールは手術前の象徴なのかもしれない。再び縦ロールを装うことによって復活のサインを見せたぐらいもあった気がする。
結城君の涙が止まらなくっている。そうなるはず、いやそうならないと花屋敷さんが哀れ過ぎる。結城君だって花屋敷さんに想いを残しているはずなのよ。口ではあれこれ言ってたけど何よりの証拠が花屋敷さんと別れて以来、誰とも付き合っていないはず。
別れは無残だったかもしれないけど、心のどこかに違和感があったはず。それよりなにより、花屋敷さんから受け取っていた愛に自信があったはずなんだ。だから無意識に他の女を遠ざけ、待っていたと思うのよ。無言のままにディナーが終わり、結城君は会計を済ませ席を立った。
「今日はゴメン」
これだけを絞り出すように言って帰って行った。このタイミングでこの話をしたのが正解だったかはわからない。だけどどこかで話さなければならないし、話しただけの効果はあったと思う。
夜道を歩きながら思ってた。結城君は必ず花屋敷さんに連絡を取る。今夜にでも取ってもおかしくない。結城君の連絡に花屋敷さんは応えるはず。結城君の誤解さえなくなれば二人の前を邪魔するものはなくなる。
お互いに長い寄り道をしてしまったけど、収まるところに再び収まり、進むべき道に再び二人は歩み出す。これは初めからこうなる運命だったのよ。一気に行きそうな気がする。プロポーズから婚約、そして結婚。
うん、結婚まで駆け抜けるのじゃないかな。そして夫婦になって一緒に渡米するはずよ。だって結城君はアメリカでの研究生活を望んでいたし、結城君ならそう出来るはず。ならば愛する花屋敷さんを何がなんでもアメリカに連れて行くはずだもの。
そんな二人の仲立ちが出来て良かった。でも羨ましい。あれだけの障壁が出来ても乗り越えられる愛を持てるんだものね。そうなのよ、どうして明日菜にはそんな相手がいつまで経っても現れないのかって。
ホントに悔しいと言うか、べったり過ぎる黒歴史なんだけど、明日菜の恋人ってあのロリコンのペドフィルの変態野郎だけなのよね。あれしか恋愛歴がないのは悲しすぎると思わない? 誰か明日菜を可哀想って思ってくれないかな。
まあ結城君には想われてたか。合コンでは花屋敷さんの代用品みたいなものだったけど、高校時代は初恋って言ってくれたものね。それだけでも嬉しいか。そうそう、結城君はお世辞が上手になった。いや、あれ過剰だろ。
結城君が明日菜を好きだったのは疑う余地すらないけど、明日菜は間違っても二大美女なんて代物じゃない。結城君の目にはそう映っていたのはわかるけど、自分のことは自分が良く知ってる。モテないチビの陰キャ女だもの。
それでも、もし、もし、もしだけど、明日菜が花屋敷さんの悲劇を伏せていたら、結城君に告られていただろうな。今夜はそうする気がマンマンだったとしか思えなかった。告られて受けたりすれば、花屋敷さんの代わりに明日菜が結城君の妻になり渡米になっていたかも知れない。いや、たぶんそうなっていた。
絢美は涼花はそうしろとウルサかったけど、ちょっとだけそうしても良かった気はある。ちょっとだけだよ。こんな夜は昔の話をいくらでも思いだしちゃうんだけど、花屋敷さんに結城君を持って行かれた後の気持ちに近いかな。
あの頃は逃した魚は大きかったかもしれないぐらいだったけど、今回は確実に大きな魚に成長しているぐらい。あの頃だって・・・これは誰にも言ってないけど、心のどこかで結城君を好きになりかけていた。
そりゃ、あれだけ毎日アプローチされたら、心だって揺らぐでしょ。結城君が生理的に受け付けなかった訳じゃないもの。あの頃にどうしても受け入れられなかったのは、やっぱり怖かった。
怖かったというより、男と付き合うとか、彼女になるって何かわかっていなかったと思う。話とか妄想の中では恋人が欲しいとか、イチャイチャしたいはあっても、現実の相手となるとギャップが大きすぎた感じ。
はっきり言わなくても恋に恋してるだけのネンネだったってこと。だから十年振りに再会した結城君にグイグイ迫られて困惑もしたけど、かなり動揺してたのは認める。今夜だって切り札を出すかどうか悩んだのは、どこかで結城君を待っていたのかもしれない。
だからもし、指輪でも持ち出されてプロポーズなんかされたら、自分がどうなっていたかはわからなかったかも知れない。でも、これで良かったんだよ。明日菜の選択と判断は間違っていない。
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