第30話 電話の相手
思わず首を傾げてしまったが、ベッドの横には柳原の鞄。そして俺は盗聴器の電源は切らなくてもいいと言った。
まさかこんな早くに練習が終わるとは思っていなく、事に気がついた俺からは嫌な汗が流れ始める。
「(出ないと怪しまれちゃうから)」
耳元で小声で言う柳原の言葉に小さく頷いた俺は、画面をスワイプして通話を開始する。
先程も言ったが、俺は演技が得意ではない。人を欺瞞することなんて以ての外。
けど、今は相手の顔を見ていないし、俺の顔も見られていない。これはただの通話。声さえ冷静を装えばなんてことはない。
「どうした風雅。練習は?」
『……今、なにしてるんだ?』
スマホから聞こえてくる心の芯まで凍るような声。だが、その中には若干の怒りと焦りがある。
「今?今は家にいるけど」
我ながらいい演技をしていると思う。従来通りの言葉に、今までと変わらない声色。
きっと相手が焦っているのもあるのだろうが、気が付く様子はない。
俺が言葉を言い終えると、首筋にまだ頬を当てる柳原が、聞こえづらいのか俺のスマホを奪い取り、スピーカーモードにする。
『今日、澄玲が蒼生と一緒に帰るって言ったんだが、今家にいるか?』
そんなことは柳原からも聞いていないし、風雅に伝える時間もなかった。ということは、これは嘘だ。
念のため柳原に目を向けて確認するが、横に首をふる。
こんなしょうもない嘘をついてまで、今は俺に合わせたくないのだろう。
「いな――」
「柏野〜。この本読んで良いー?」
俺が言葉を言い切る前に、突然俺の腕を掴んできた柳原は自分とスマホの間に距離を取り、遠くにいるということを演じるためか、そんな事を言い始める。
誤魔化すなら最後まで誤魔化そうと思った俺だったが、どうやら柳原は違うらしい。
『……なにもしてないよな?』
「ん?うん。今はなにもしてないよ」
遠くに離したスマホを近くに寄せた俺は言葉を返す。
『今は?』
「今がチャンスだから、やってしまおうかなぁとも思ってるけど」
先ほどの会話を聞かれていないかという鎌掛も含めて言葉を口にした。すると、
『今はするな!どうやって連れ込んだか知らんが、前に言ったろ!2週間は寝取るなって!』
冷めた声の内にあった焦りが露わになり、言葉の節々に怒りを感じられるほどに、感情的になっていた。
俺が風雅の命令に背こうとしたから怒りがあるのだろう。そして肌の痣を見られたくないという焦りからこの言葉が出たのだろう。
うん、これで分かった。風雅は俺たちの会話を聞いて、電話をかけてきた。でも、聞いたのは『今日はどうする?』という会話からだ。
「えーわかったー。ならまた今度なー」
心の中はそう考えるが、動かす口は軽々しい言葉を発する。
強い言葉にビビらないのは流石に駄目か……?とも思ったが、スマホから聞こえてくる――落ち着きを取り戻した風雅の声でそんな心配は無に帰った。
『タイミングは俺が言う。あと、俺も今から帰るから澄玲も早く帰してやれよ』
「ん?早いな」
休憩時間に電話をしてきたのかと思っていた俺は、素で風雅に言葉を返す。
『今日は走り込みだけだったからな。そんな毎日毎日追い詰めてたら体が持たん』
「あーね。おつかれ」
それは少し予想外だったな。
確かに言われてみれば、毎日毎日きっつい練習ばかりじゃ体が持たないか。でも、今日がその日ということは、明日からはきっつい練習が再開するってことだな。
『あざす。じゃ、切るわ』
「はいー」
そう言った俺は、言葉が返ってこないのを確認して通話終了ボタンを押す。
瞬間、ドッと心に溜まった緊張感が溢れ出し、思わず深い溜め息を吐いてしまいそうになる。
だが、そのため息は柳原に口元を抑えられたことにより、放出することが許されなかった。
「(もう帰るってことは、盗聴器を聞かれてるかもしれないでしょ)」
「んーん」
口を塞がれているせいで言葉は発せないが、一応あーねと言ったつもりではある。
柳原がどう受け取ったのかしらないが、名残惜しそうに俺に回していた腕と口元を抑えていた手を離し、もう一度耳元で囁く。
「(明日もここに来ていい?)」
「(いいぞ。作戦会議しよ)」
「(うん、ありがと)」
ベッドから立ち上がった柳原は笑顔を向け、演技を再開させるように――わざと音を鳴らしてベッドの上に座りなおす。
ここでいきなり『私帰るね』なんて言葉を言ってしまえば、電話の内容を聞いていたのか?と疑われてしまう。
「この本、エッチなやつ?」
泣いたから目元は真っ赤で、頭を俺の服に擦りつけたからか髪はボサボサ。
そんな見た目だけど、演技派が過ぎる。
まるで本当に本を持っているかのように手を上げ、それを指さして問いかけてくるんだから、将来は女優にでもなれると思う。
当然のことだが、そんな女優に満ちた柳原の演技に俺がついていけるわけがない。
「ちげーよ。ライトノベルだよ」
言葉自体は多分普段の俺そのもの。だが、少し口調が固くなってしまう。
先ほどの風雅の電話とは全く持って違う場。相手が先ほどの会話の内容を知っていたのであっても、相手に合わせるというのは相当難しいもの。
毎日毎日柳原みたいに人を欺いているわけではないのだ。
「……ん?なんか、口調固くない?なにかあった?」
「え?いや、なんも?」
「うそだ。女の勘が違うって言ってる」
「あー……まぁ、あるか」
まさかそこを突いてくるとは思わず、俺は素の状態で狼狽してしまう。
「あ、まさかお母さんからの電話で、買い出しに行けとか言われたんじゃないの?」
本をベッドの上に置くジェスチャーをした柳原はグイッと俺との距離を近づけ、俺の狼狽を利用しつつ、先ほど風雅が言った帰らせろ、という言葉を同時に実行できる言葉をかけてくる。
「お、おう。正解だ」
「当たっちゃった。オススメの本を紹介したいから家に連れてきたのに、帰れって酷くない?」
「帰れとは言ってないが、まぁ、うん。帰れ」
「うわっ。ひっど」
風雅が気になっていた家に連れ込んだ理由も解消させ、それとなく『帰れ』という言葉を誘導させる柳原に、無意識に見開いていた目を更に大きくしてしまう。
あの時の猫の時もそうだったが、こいつ。変な所で頭がいいな。手の上で踊らされているみたいに俺の行動が読まれているような気がする。
けど、それは全部良い方に読んでくれる。
……敵だったらと考えると、怖いな……。
「ほら帰れ帰れ」
ベッドから下ろした柳原に鞄を持たせ、背中を押すようなジェスチャーをして部屋を追い出し、玄関へと向かわせる。
もうすでに普通に喋れるようになっている柳原は、首だけを振り向けながら、
「ちょっと押さないでよ」
と、虚言を吐く柳原と反目し合うのではなく、笑みを向け合い、声には出さないように笑う。
昨日までなら『虚言を吐くな』とか言ってたのだろうな。
なんてことを考えているとあっという間に玄関に着き、
「さっさと帰れー」
含み笑いをしながら俺は言い、
「分かってるわよ」
柳原も含み笑いをしながら言葉を返してくる。
どこの男女であろうと、笑顔のまま言い合い、男の家から出るというサイコパス紛いなことはしないだろう。
だが、これはこれで悪くない。なにかを隠しているみたいで、どこかにある背徳感が心を擽ってくる感じが心地良い。
ざまぁができるというわけだし、明日を楽しみにしよう。
小さく手を振りあった後、柳原は俺の家を去った。
風雅と柳原の手を振る姿を見て、俺は手を振り合うことなんてないんだろうなと思ったんだけどね。
いやぁほんと、俺が考えることはつくづく当たらないねぇ。
踵を返した俺はまた部屋へと戻り――の前に、若干乾いてきた制服を洗濯に出してから部屋に戻った。
明日からは冬服だな。
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