54.王女さまのしたいこと


「天に召されているわ」


 フロスティーンはケーキを味わい、紅茶を飲んで、また一言。


「天に召されていないとおかしいもの」


 それからフロスティーンは、お行儀が少し悪かろうとケーキをバクバクと勢いよく食べ進めた。


 目の前に、にやつきながらフロスティーンを見詰め、紅茶を味わう男がいようとも。

 フロスティーンはもう気にしない。


 ──そうしなさいと言われているのだもの。だからここは。


「天上なのよ」


 一人納得したフロスティーンは、ケーキを食べ終えると、起きてからのことを振り返った。



 朝に起きれば、顔を洗うためにと侍女が温かい湯を用意してくれて。

 着替えまで侍女たちの手伝いがあり、袖を通したいつも新しいドレスは軽くて羽根のよう。

 複雑怪奇に結われた髪からは優しい香りがふんわりと漂って。


 部屋を移動すれば、テーブルに並ぶ朝食。

 温かいスープ。ふわふわの白パン。焼きたてのオムレツに。焼いたハム。それから新鮮な野菜のサラダまで。


 食後にはデザートのケーキと、それに合うよう茶葉を選んで淹れられた温かい紅茶。


 今日の予定を尋ねれば、何もしなくていいと言う。



「天上でなくてどこなのよ」


 くくっと笑うと、カップを置いて、ゼインは言った。


「アウストゥールの王城だな」


「天に召されたのに?」


「勝手に召されないでくれと言っている」


 ゼインは誰が見ても楽しそうだ。

 毎日この時間を楽しみに生きているなということは、本人も自覚している。


 今までの何もかもが、この王女を迎え入れるためにしてきたことでは?


 いつものようにそこまで考え、さすがに浮かれ過ぎだと自嘲の笑みを浮かべたのに。

 今朝のゼインの口からは、まだ浮かれた言葉が飛び出した。


「フロスティーン。結婚しよう」


 顔を上げたフロスティーンは、ゼインと見詰め合う。

 アウストゥール王国の貴族夫人らから様々なものを勝手に学んだフロスティーンの笑顔は、一段と自然なものになっていた。


 笑顔のフロスティーンの口は、何の躊躇いもなく開く。


「はい」


 横からも離れたところからも強過ぎる視線を感じたが、ゼインはフロスティーンだけを見てまた笑った。


「今すぐで構わないか?」


「問題ありません」


「では恩赦の発令と共に、それも正式に発表する。いいな?」


「はい」


 話が終わったと認識したフロスティーンは、カップを持ち上げると、新しく淹れられたばかりのミルクティーを口に含んだ。


「ミルクまで温かいのよ。天に召されているでしょう?」


 目を閉じてしみじみ言ったフロスティーンにゼインはよく笑った。



 ──こんな妙な女、他のどこにもいないだろう。



「じきにこれが日常になるからな。まぁ慣れるまではよく楽しんでくれ」


 くつくつと笑ってから、ゼインは立ち上がると、「また後でな」と言って部屋を出ていこうとする。

 珍しいことに、フロスティーンはそれを止めた。


「ゼインさま」


 ゼインは驚きに動きを止めて振り返る。


「私に出来る仕事をいただきたいのです」


 星の瞬きのように煌めく瞳に、ゼインは狼狽えた。



 ──まだ仕事を望むと?それも結婚より仕事か?



 拗ねそうになったゼインの気持ちは、続くフロスティーンの言葉で簡単に上向いてしまう。

 すっかり絆されたものだとゼインが苦笑したのは、あとに部屋を出てからのこと。


「ゼインさまと結婚すれば、私も正式にアウストゥール王国の者となりますよね?」


「そうだな。俺の王妃だ」


「貴族夫人の皆さまも働いておりましたし、市井には働く女性が沢山いるそうです。私もアウストゥール王国の者として仕事をしてはいけませんか?」


「フロスティーンは他とは違う、俺の王妃だ。働かず、好きなように食べて寝て暮らしていてもいいのだぞ?」


「それはとても素晴らしいことだと思うのですが。そうしていると……どうしましょう、上手くお話し出来ません」


 フロスティーンが困ったように眉を下げたことで、ゼインの胸に押し寄せるものがあった。

 ついにフロスティーンの感情と表情が一致し始めている。

 それはまだ、普段からよく見ている者にしか分からないような些細な動きでしかないけれど。

 確かにその美しい顔に、作られたものではない自然な動きが見られ始めた。


 ゼインは熱いものを飲み込むようにして、あえて淡々と言う。


「もしや暇過ぎて困っているか?」


「困って……そうです。えぇ、そうなのです。このまま天に召されそうで落ち着かなくて」


 これにはゼインも声を上げて笑ってしまう。


「天に召されたり、召されそうになったりと。それは落ち着かないだろうな。暇つぶしに遊び方を教えてやるぞ?」


 笑っていたゼインはすぐに焦ることになった。

 フロスティーンが肩を落とし、俯いたからだ。


「……これも違いましたでしょうか?」


 ゼインは瞬間的に理解した。

 妻となるフロスティーンが今何をしようとしていたかを。


 さすればもうゼインに焦る気持ちはない。


「よく知らせたフロスティーン」


 はっとしたように顔を上げたフロスティーンに、しかしゼインの顔は見えなかった。

 すでに背中を向けていたゼインは、部屋を出ようと歩き出していたからである。


「しばし待て。昼食のときに」


 手をひらひらと揺らすゼインの背中を見詰めていたフロスティーンが、唇を閉じて開いてを二度繰り返した。

 部屋を出る寸前にゼインは足を止め振り返る。


 残念、と思ったのは扉の側に控えていた侍女だ。

 フロスティーンの不思議な唇の動きをゼインが見逃していたからである。


 その侍女はしかしそう思ったことも忘れて息をのんでいた。

 フロスティーンと目を合わせたゼインの横顔があまりに穏やかでその瞳が慈愛に満ちていたから──。


「昼までに仕事について考えておく。天に召されず待てるな?」


「はい。では昼食のときに」


 目をきらきらさせて言ったフロスティーンに満足そうな笑みを残して。

 ゼインは今度こそ部屋を出て行った。


 そこに侍女の声が掛かる。


「お代わりのケーキのご用意がございますよ。いかがですか、フロスティーンさま?」


 フロスティーンは呟く。


「天上よね?」


「違います。生きておいでです」


 侍女はゼインとは違って、フロスティーンの言葉をきっぱり否定するのだった。

 ゼインにある余韻が、この部屋にはない。






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