8.召された王女
「間違っていなかったのよ。天に召されているわ」
興奮のあまり声に出してしまったフロスティーン。
おかげでフロスティーンの前では、三杯目の紅茶を飲んでいた男が盛大に咽ていた。
「げほっ。ごほっ。何を言い出すのだ?」
「え?ごめんなさい。口に出していました?」
フロスティーンは慌てて口を押さえたが、とても無意味な行為だ。
「あぁ、ばっちり聴こえたぞ。頼むから勝手に天に召されないでくれ」
「申し訳ありません」
「いや、冗談だ。本気で謝らないでくれ。……それほどに美味かったか?」
「はい。このようなものははじめて食べました」
なんてことはない、一口サイズのマフィンである。
胃に重くならないようにと空気を含みふんわりと仕上がるように作られて焼かれた生地に、絞ったクリームを乗せて、その上に煮た林檎が飾りのようにちょこんと乗せられているだけのそれは、この国では庶民でも食べられるような、子どものおやつとして民らに馴染み深いものである。
「はじめてか」
噛み締めるようにそう言った男は、初めてフロスティーンに笑い掛けた。
「甘いものは好きなのだな?」
「これがあまいもの……」
男は凝視してフロスティーンの動かぬ顔を観察し、侍女はいたましそうに眉を下げながらもやはり同じようにフロスティーンの表情を観察している。
──聞いてはいたが、ここまで変化がないとはな。育ちの影響か?
男は内心を悟らせないようにして、フロスティーンに魅力的な言葉を掛けた。
「気に入ったようだな。毎食後に甘いものを食べられるよう手配しておこう」
──間違いないわ。天に召されているのよ。これは近いうちに乳母にも会えるのではないかしら?
「どこにも召されていないからな」
心の声を漏らさぬように注意をしていたつもりのフロスティーンは、ぱちぱちと目を瞬く。
それを見た男と侍女は、それぞれに嬉しそうな笑みを零した。
──動きそうだな?これは鍛え甲斐がありそうだ。
男はにやりと笑うと、何故か侍女へと視線を移した。
「我が妻を知るのは愉快そうだ。なぁ?」
しかしこの侍女は、男が相手となると大層に辛辣だった。
フロスティーンには慈愛に満ちた対応をするというのに、声まで別人のようである。
「そのような呼び方をされる前に、必要なことがございましょう?」
「……そうだな。まずは……名を呼んで構わないか?」
再び視線が戻ってきたフロスティーンは、間を空けずに頷いてみせる。
「お好きなようにお呼びください」
「では、フロスティーン。悪いがこのまま俺と結婚してくれ」
「分かりました」
ここでもフロスティーンは間を空けることなく、淡々と答えるのだった。
侍女が僅かに眉を上げている。
「驚きもないか。まぁそのつもりではるばる遠いところをやって来たのだな」
「この身を受け入れて頂けて嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします」
小さなマフィンをあっという間に完食したフロスティーンは、膝に手を揃え頭を下げた。
男はもう一度にやりと笑みを零してから問い掛ける。
「フロスティーンと共に来た侍女と騎士らだが。本当にこちらの好きにして構わないか?」
すでに好きにしていた男であったが、これが最後とフロスティーンに問い掛けた。
「はい。どうぞお好きなように」
男の口角がますます上がる。
「分かった。あとのことは任せてくれ」
この言葉には何も感じていなかったフロスティーンであったが、男の次の言葉には安堵した。
「俺のことはゼインと呼んでくれ。ではまた後でなフロスティーン」
結局王と名乗ることはなかったけれど、フロスティーンにはこれで十分だった。
男の名はゼイン。
その名はアウストゥール王国の王のもの。
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