10-26 承諾! 最後の願いの“逆”を叶えてあげる!

 片足をもがれ、地面にひれ振るナル。どう足掻いても助からない重症だ。


 それでも、ヒサコは油断なく、間に黒犬つくもんを挟み、対峙していた。


 そして、死にゆく者に対して、口を開いた。



「ねえ、前にも言ったでしょう? 主人が暴走したら、それを止めろって。互いに不幸になるだけなんだし、復讐なんて止めて、平穏無事に過ごす生き方だってできたはずよ?」



 ヒサコのその言葉を聞き、ナルはようやくにして気付いた。


 ヒーサの提案が完全に茶番、どころかそれ以前からも“一人芝居”であったことに、である。



「ああ、ちくしょう……、なんで気付かなかったの。ヒサコなんてどこにもいなかった。全部ヒーサ、あなたの仕組んだことなのね!?」



 絞り出した言葉に勢いはなくとも、それはナルにとっての最後の閃きであった。


 どう言う原理かまでは分からないが、ヒーサとヒサコが“同一人物”であることに、ここにきて気付いたのだ。



「ハイ、正解! ようやくたどり着いたわね。まあ、無意味な閃きだけど」



「ぐっ……!」



 実際、無意味な閃きであった。


 今からこの最重要な情報を、誰かに伝えることなどできないからだ。ティースやマークに伝える事が出来るのであれば最良であるが、この際他の誰でもいい。


 ヒサコの存在自体がまやかしであり、すべてはヒーサの仕組んだ策謀の小道具に過ぎない。


 これを伝えさえすれば、その野望を打ち砕くことができる。


 だが、それがすでに不可能なのは、ナル自身が分かっていた。


 もう手紙を書くことも、あるいは余さず誰かに話すことも、今の自分にはできそうもないからだ。



「さて、最後に何か言い残すことはある? あるいは、ティースへの遺言でもいいけど?」



 これは慈悲ではなく嘲りであると、ナルは受け取った。


 絶対的勝者の、完全敗北者への嘲笑だ。


 なにより、遺言とやらがあったとしても、それをそっくりそのまま伝えると言う保証もなにもない。


 完全になめられている。そうナルは感じた。


 だがそれでも、残しておかねばならない言葉があった。



「ヒーサ……、あなたに頼みがある」



「聞きましょう」



 もうヒサコとすら呼ばなくなった。


 あの悪魔のごとき聖女は、夢幻であり、存在していない。


 存在しない者になど、祈っても願っても無駄な事だ。そう思うからこそ、ヒーサの名を、主君の伴侶の名を呼んだのだ。



「私がかつて、あ……、あなたに伝えた願い、それを……、叶えて欲しい……。どうか、て、ティ……ス様を……、幸せ……、に……」



 そこで言葉が途切れた。


 最後まで言い終わらぬうちに、ナルはとうとう事切れてしまった。


 足をもがれたにしては、よく持った方かと、ヒサコが感心するほどであった。


 なにより、最後の最後まで主人への忠義を貫き、その未来を案じている姿勢には、ヒサコも称賛を惜しまぬ思いであった。


 そして、動かなくなったナルにそっと手を添え、髪留めを外し、それを唯一の遺品とした。



「でも、ごめんなさいね、ナル。あたしは意地悪だから、あなたの願いの“逆”を叶えちゃうのよ。いや、ほんと、ごめんなさいね」



 ヒサコは手にした髪留めを弄びながら、そう呟いた。


 ナルの願いは二つある。かつてヒーサの耳で、それを聞いた。


 曰く、“ティースの幸せ”と“カウラ伯爵家の復興”、この二つだ。


 主人の幸せと没落した主家の再興、伯爵家に仕える者としては真っ当な回答と言える。


 同時にヒーサはこう尋ねた。



「二つの願いが対立した時、どちらを選ぶか?」



 これに対して、ナルは“ティースの幸せを選ぶ”と即答した。


 あくまで重要なのは、“家”ではなく“人”である。そのようにナルは断じた。


 だが、もうティース個人の幸せなど、望むべくもない。愛していた夫は偽りの仮面をかぶり、その下にはどす黒い野心と、自分を貶めた過去があった。


 そんな男と一緒に過ごして、どうして幸せになると言うのか。


 なにより今、許し難い罪状が一つ加わった。


 かけがえのない大事な家臣を、情け容赦なく殺めた、ということだ。


 理由は単純明快。そうした方が“自分”の利益になるからだ。


 そこにティースの意志も望みも希望も何もない。ただただヒーサ、その中身である“松永久秀”の策の内である。



黒犬つくもん、余すことなく食べちゃって」



「バァウ!」



 黒犬つくもんはヒサコの指示に従い、まずは齧り取った右足を、次いでその動かなくなった体を、ムシャムシャと食べてしまった。


 満足したと言いたげに、黒犬つくもんはグポォ~ッとゲップをして、出番は終わったものと認識し、ヒサコの影の中に溶け込んでいった。



「これでもう、何もかも証拠は隠滅。ナルの存在は消え去った」



「本当にやっちゃんたんだ~」



 一部始終を見ていた女神トウも、取り返しを付かないことをしてしまったとの罪悪感を覚えつつ、もう引き返せないところにまで進んだのだと認識した。


 ちなみにテアが赤毛のトウの姿を取っているのが、【瞬間移動テレポーテーション】を使えるのがトウであると、一部の人々に伝えているからだ。


 また、テアとトウが同一人物であるとバレてはいないため、場面場面で切り替え、 正体のバレるリスクを回避するためである。


 あくまでヒーサとヒサコ、テアとトウ、それぞれは別人であると認識してもらっていた方が、まだまだ都合のいい場面も多いのだ。



「それでこれからどうするの?」



「銃が数発発射されたから、じきに衛兵が来るわ。まあ、見ておきなさい。まだまだ大芝居は続く。そして、ナルが残した最後の願いを、“カウラ伯爵家の再興”を叶えてあげる。ティースの精神を犠牲にすることになるでしょうけど」



「あんた、どこまで外道なのよ!?」



「ん? 伯爵家の再興も、ナルの望みでもあるのよ? 毒を盛った暗殺者の最後の頼みを聞いてあげるなんて、あたしって奇特・・な性格しているわよね~」



「道徳心が危篤・・状態よ、まったく!」



 顔馴染みの知己を抹殺したと言うのに、何一つ反省も後悔の色を見せないヒサコに、テアは呆れかえるよりなかった。


 しかも、この状況をダシにして、更なる悪行を重ねると宣言したのだ。


 これからどうなるのかと、陰鬱な気分に心が浸食されていくのを感じていた。

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