8-38 契約! 結局、人と人を結ぶのは愛ではなく利害である!

 ヒサコを殺す。


 ヒーサの口からそれが飛び出し、意外過ぎたのか、ティースは混乱した。



「何を呆けた顔をしている。ヒサコを始末することに私は賛成だと言っているのだ。今は状況が悪い、と言っているだけで、機会が来れば、いや、機会を作って始末するさ」



「え、ほ、本当ですか?」



「ああ。はっきり言うとな、ヒサコが怖いのだ。あれは天才ではない、一種の化物だ。どう言えばいいか……。そう、立っている舞台が大きくなれば大きくなるほど、自分をより昇華させてしまう、そういう類の存在だ。最初は捨て子、次に公爵令嬢、更に辺境伯と続いて、最後に国母摂政などというのはどうだろうか?」



「国母摂政、ですって? それじゃあ、アイク殿下と仲良さそうに振る舞っているのは!?」



「次なる舞台に立つための事前準備程度なのだろうよ。アイク殿下との間に子供を作り、その子を次か次の次あたりの国王にしてしまえば、国母と摂政を兼ねた王国乗っ取りが完了する。すべてを手にし、全てを支配する、下剋上の完成と言えるだろう」



 実際、“松永久秀”はこれを狙っていた。


 王家を乗っ取り、王国を支配し、下剋上を完遂する最短の道筋が、自分の完全制御下にある者を王位に就け、自分は摂政として実権を握る、と言うものであった。


 そのための道として、“ヒサコの子供”か“アスプリク”を考えていた。


 ただアスプリクは現段階では制御可能ではあるが、王国最強の術士であり、制御が外れてしまった際の怖さもあるので、実践を諦めていた。


 一方、ヒサコとアイクの子供であれば、王家の血を引き、王位継承権が付与される可能性がある。子供を擁立すれば、それを補佐する摂政が必須であり、それにヒーサかヒサコ、どちらかを付ければ下剋上の完成だ。



「でも、アイク殿下って病弱ですから、床を同じくして子種を頂戴することなど」



「おいおい、自分の子供である必要はないのだぞ。そこら辺の子供を実子としてしまい、それをアイク殿下との子供だと言い張ればいい」



「そんなもの、【真実の耳】で看破されるのでは?」



「ああ、その通りだ。ヒサコの策にしてはお粗末な結果になるな。だが、あの性悪のことだ。それをすり抜ける何かを備えているのかもしれん。例えば、【真実の耳】を使った奴とつるんでいた、とかな」



 いかにもあり得そうな話に、ティースは引き込まれた。


 なにより許されざる暴挙に腸が煮えくり返っていた。自分の家をぶち壊したのみならず、今度は国すら乗っ取ろうとしているのである。


 ヒサコを始末する正当な理由が、次々と積み重なってきていると感じ、決意をさらに固くした。



「ヒーサ、もう一度尋ねます。ヒサコを始末するのに賛成なのですね?」



「ああ。はっきり言って、ヒサコが怖い。もう制御ができないほどに大きくなりつつある。公爵家の興隆のために色々汚れ役をやってもらって、こちらも以前の事は黙して秘密にしていたが、もう意図せぬ拡大は止めねばならん。ティースにバレたのも、一つの契機なのかもしれん」



 ヒーサとティースは互いに見つめ合い、視線と視線をぶつけた。


 互いに信頼などはない。まして愛情などもない。あるのは利益と打算による結託だけだ。



「いいでしょう。では、“契約成立”ということでいいですか?」



「そうだな。“契約”だな。こちらは一年以内にヒサコを始末する隙を探り、二人で協力してこれを始末する。ティースは毒殺事件の真相を一旦伏せておく。これでいいな?」



「いいでしょう。ですが、契約違反は死によって応じてもらいますよ」



「ああ、それは弁えている。ずっと後ろの二人が、こちらを睨んだままだからな」



 実際、ナルもマークもヒーサを睨み付けたままであった。一言一句を疑い、一挙手一投足を見張り、いつでも殺すぞと言わんばかりの態度で、さすがのヒーサも冷や汗をかいていた。



「ときに、ティースよ、ヒサコの一件はどのようにして気付いた?」



「ピカピカの鍋と箸の使い方。これに金髪碧眼の娘ときて、三つの線上に存在するのが、ヒサコしかいなかったからです。動機も十分でしたしね」



「あ~、なるほど。意外と目聡いな、ティースは」



 考えもしていなかった理由に、ヒーサは思わず笑ってしまった。



「ヒーサ、それともう一つ告げておきたい事があります」



「なにかな?」



「子供が出来ました」



「……え?」



 あまりに突然の話に、ヒーサの思考が停止した。


 どう答えていいのか分からず、沈黙のまま横に控えていたテアの方を振り向くと、テアもまた目を丸くして驚いていた。


 そして、ヒーサが向き直ると、ティースがにっこりと微笑んでいた。



「一年なんて長すぎますから、この子が生まれてくるまでにしましょう。生まれ来る新しい命のために、世の中を少しでもきれいにしておきたいですからね」



「ぜ、善処します」



「善処ではダメ。必ず完遂してください」



「はい」



 ヒーサは気圧されて、そう答えざるを得なかった。


 ティースは不気味な笑みを浮かべているし、ナルとマークは睨むしで、とてもではないが下手な反論など許されない雰囲気であった。


 そして、ヒーサの答えに満足したのか、ティースは身を翻して部屋を出ていき、従者二人もそれに続いて出ていき、扉がパタンと閉じた。


 その場に残ったのは、ヒーサとテアの二人であり、ようやく過ぎ去った嵐に、どうにかこうにしのぎ切ったと安堵のため息を漏らした。



「あ~、心臓に悪いわ。どんだけ危うかったのよ、今回」



 テアとしても完全に寝耳に水であった。


 よもや“鍋”と“箸”から推理して、ここまで到達されるとは思ってもみなかったのだ。


 毒殺事件のことなど、すでに過去の話として処理され、ようやく魔王との戦いに集中できるなと思った矢先にこれである。


 妙な爆弾を掴まされた気分であった。



「うん、どうしよう、困ったぞ」



「何が?」



「ティースにバレるの、完全に想定外」



「はぁ!?」



 まさかの暴露であった。


 てっきり真相がバレてもいい様に準備をしていたのかと思ったら、そんなことはないとヒーサ自身の口から漏れ出したのだ。



「じゃ、じゃあ、さっきまでの冷静な対応の数々は!?」



「もちろん演技。と言うか、“あどりぶ”と言うやつだ。」



即興アドリブ!? あれが!?」



 てっきりバレた時の事も考えて、事前に台本を書いていたのかと思えば、まさかのアドリブ宣言。


 よもやの告白に、テアの視界はグラッと揺れた。



「いや、だって、想定外なんだし、そんな準備をしていない。情報の矛盾がない様に気を付けて喋りながら、誤魔化せそうなところは誤魔化して、どうにか凌いだだけだ」



「嘘でしょ……」



 テアは脱力してその場に崩れ落ちた。


 帝国との決戦が迫る中、よもやのとんでもない爆弾を抱えることとなってしまった。

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