終章#70 I Love You

 SIDE:来香


 ダブルネックギターを第二の愛機あいぼうに選んだのは、ありきたりな一目惚れが理由だった。あたしは普通の女子高生だ。ギターを弾くのも歌うのも好きではあるけど、古い名曲に詳しいわけじゃない。だから友斗くんに語ったレッド・ツェッペリンの『天国への階段』やイーグルスの『ホテル・カルフォルニア』は聞いたことがある程度でしかなかった。


 じゃあ、そんなあたしがダブルネックギターに惚れたきっかけは何かと言うと。

 何気なく見ていた、ギターの演奏動画だった。

 演奏技術自体はそこそこ。だけど、二本のネックを持つギターを構える姿を見たとき、あたしはびりびりと全身が痺れるのを感じた。


 まるであたしみたいだ。

 来香の部分と美緒の部分。バラバラだけど一個の楽器しんぞうを奏でてる。

 だから、この子はあたしにぴったりのギター。

 普通のギターよりも更に重いダブルネックギターは、小柄なあたしが使うには些か重装備過ぎる。正直めっちゃしんどい。

 でも、


 ――ぎゅぃぃぃぃぃん


 清らかな、まるで天国の階段を駆け上るみたいな音が鳴る。

 あたしたちの結婚式の始まり始まり――なんちゃって。

 口の中でおどけながら、あたしは舞台の上から会場を見渡した。


 大きくも小さくもない、学校の体育館。

 ほとんど全員の視線があたしに集まってるのに、なんだか物足りない。

 もっと見ろ、もっと聴け。

 あたしの音は世界で一番美しいから。


 そんなの知ってるぜ、だから聴かせろよって顔でこっちを見てる友斗くん。

 目をキラキラ輝かせてる。まだ一音しか出してないのにそんな反応されちゃったら、心臓がばくばくイっちゃうよ。

 加速する鼓動とセッションするみたいに、あたしのライブの幕を開ける。


「大好きな人が書いてくれたラブソングを歌います。

 聴いてください――『月がきれい』」


 最初に曲名を聞いたときは、友斗くんらしいな、って思った。

 『アイラブユー』を『月がきれいですね』と訳す……なんて手垢まみれの小ネタを挟んでくることも、あたしの名前をかけてることも、なんだか友斗くんの手口だって感じがする。


 友斗くんがくれた、あたしのための歌。

 あの日――ステージの上で姉さんが歌うのを見て、悔しかった。

 どうしてあたしじゃないの、って思った。

 その気持ちも全部、この瞬間にぶつける。


「~~♪」


 昔々、友斗くんが褒めてくれた声を解き放つ。

 精巧さも、正しさも、美しさすら、あたしのステージには無用の長物だ。

 もっと野性的に。

 もっと生きてるみたいに。

 あたしが響かせたいのは、心音そのものみたいな音。

 そのために、あたしの命を全て表現する。


 12弦から6弦のスイッチ。

 奏でる音の種類が変わったことには、聴いている人たちも気付いたのだろう。

 あたしはいっそうスタンドマイクに齧りつく。

 この吐息も、がなりも、全部をその鼓膜に焼き付けろ。


 ――ラブソングを唄うなら、その責任を取るべきだ。


 ああ、だから責任を取ってやる。

 友斗くんのヒロインは私たちだけだ。他の誰にも、譲ってなんかやらない。それであたしたち以外の誰かが失恋しても知ったことか。

 誰かの想いを踏みにじる覚悟で。


「――以上、『月がきれい』でしたっ!」


 あたしは全身全霊、恋をする。

 そして、恋をするみたいに生きていく。

 分かんないけど、それがロックでしょ?



 ◇


 SIDE:雫


 会場が溺れている。

 感謝祭の盛り上がりが凄まじいことは舞台袖からひしひしと感じていたけど、この雰囲気はそーゆうのじゃなくて。


「――以上、『月がきれい』でしたっ!」


 来香先輩たった一人に、会場が溺れていた。

 私もその中に混ざっちゃいそうなくらい、来香先輩のライブに圧倒された。

 小さな体でおっきなギターを引っ提げて、スタンドマイクに食らいつくみたいに歌う――その姿はあんまりにもかっこよくて、美しくて、『いい女だな』なーんてフフクな感想が頭に過る。


 おまけにダブルネックギターなんてズルい。

 私も詳しくはないけど、なんか強そうだし、かっこいい。大きな剣を小さな女の子が振り回す光景からしか摂取できない何かを感じた。


 来香先輩は本当に滅茶苦茶な人だ。

 友斗先輩もそーだし、お姉ちゃんもチート性能の権化って感じだけど……一番『滅茶苦茶』って言葉が似合うのは来香先輩だと思う。

 圧倒的な歌唱力と表現力。

 ――それらによって象られる、飛び抜けた存在感。

 その全てをこの刹那に費やすような生き様こそが来香先輩の魅力だ。


「さ、次は私たち。準備はいい?」

「は、はい」

「負けてられないよねっ」


 来香先輩のステージが終われば、次は私たちの番。

 調子を確かめるように首を回すお姉ちゃんと、少し緊張した様子の大河ちゃん。

 二人と並んで、私は深く息を吸う。


 来香先輩は漆黒のドレスで、私たち三人は純白のドレス。

 『あなた以外に染まりません』と『あなた色に染まります』。

 別にどっちがどっち、ってわけじゃない。私も友斗先輩以外に染まる気はないしね。

 私たちと来香先輩で違う色のドレスにしたのは、想いが違うとか、来香先輩を異物扱いしてるとか、そーゆうことじゃない。

 じゃあなんで、と聞かれると困る。対バンライブだから色が違ってた方がコンセプトが分かりやすいかなーって気持ちもあったりなかったりするけど、それはあくまで上っ面の答え。本当の答えは上手く説明できない。


 来香先輩には黒が、私たちには白が似合うと思った。


 ただそれだけ。

 だってそうでしょ?

 ウェディングドレスだもん。誰と一緒とか、誰と一緒じゃないとか、そんなの関係ない。その子にとって一番似合うドレスを選ぶべきだ。


「皆さんこんにちは。『スリーサンタガールズ』改め、『スリーフェスティバルガールズ』ですっ♪」

「月瀬先輩が作ってくださった余韻を壊したくないので、早速ですが私たちの曲に移りたいと思います」

「この曲は私たちが大好きな人が私たちに作ってくれた曲なんです。今年一年間をいーっぱい頑張ったあなたに捧げます♪」


 ステージの中央。

 カシャカシャとシャッター音がしそうなほどの熱視線を受けながら、私と大河ちゃんが交互にMCをする。

 お姉ちゃんは、もう集中していた。

 今日のお姉ちゃんはいつもと違う。今持ってるもの全てをパフォーマンスに費やすつもりらしい。だからお姉ちゃんの分のMCも私たちがやる。


 大河ちゃんと頷き合って、言った。


「聴いてください。『I Love You』」


 聴いててね、友斗先輩。

 見ていてね、友斗先輩。

 この瞬間はじまりにたくさんの大好きを詰め込むから。



 ◇


 SIDE:大河


 歌うのが得意なわけではないし、姉さんのように演技が上手いわけでもない。雫ちゃんほど華やかな性格でもないから、正直この場に立つのは少し恐れ多い。


 雫ちゃんはどこまでも可愛くて、100%の女の子だな、って思う。

 澪先輩は息を呑むほど洗練されていて、かっこいいひとだと感じる。

 月瀬先輩はひたすらに鮮烈で、命を燃やして恋をする乙女のようだ。


 舞台上で三人と戦えるだけの武器は、私にはない。

 けれど、そのことを残念だとは思わない。

 緊張はするけど、恐れ多いけど、大丈夫。

 私は私で戦ってるから――。


「……『I Love You』、でした。ご清聴ありがとうございます」


 私たち三人は歌い終えた。

 精一杯に歌ったから、たった一曲でヘトヘトになってしまう。もう少し振付が激しかったら、歌い終える前に息切れしていたかもしれない。


 ぱちぱちぱち、と大きな拍手が返ってきた。

 『月がきれい』が歌や音の綺麗さで聞かせる曲なら、『I Love You』はどちらかというと可愛い系のポップな曲だ。あまり聞いたことはないけれど、アイドルが歌いそうな曲だと思う。

 澪先輩はともかく私や雫ちゃんは人並みだから、三人で歌ったときに変な雰囲気にならないようにしてくれたのだろう。伊藤先輩とはあまり交流がないけれど、本当にすごい先輩だ。


 ――と。

 そんなことを言っている間に、拍手と重なってアンコールを求める声が聞こえ始める。ずっと視界の中心にいるユウ先輩が心配そうな顔になった。


 本当にあなたは……過保護ですね。

 穏やかな気持ちになりながら、私は澪先輩を一瞥し、このライブを準備しているときのことを思い出す。


『澪先輩、月瀬先輩。私から提案があるのですが……聞いていただけないでしょうか?』


 そう言って私が先輩二人に提案したのは、対バンライブの三曲目のことだった。

 対バンライブと言いながら、一曲ずつ歌って終わり、とするのも少しもったいない。だから最後に、歌唱力に富んだ二人で歌ってほしい、と。


『姉さんからも、二人が切磋琢磨する様子は聞いています。それをステージで見せてほしいんです』


 私や雫ちゃんが歌唱力で劣る以上、澪先輩は三人で歌うときに加減をせざるを得ない。一人だけ飛び抜けて上手すぎるとかえってバランスが悪くなり、ライブとしてのクオリティが下がるからだ。

 三人でステージに立つからこそ生まれる輝きもあると信じたい。

 だけど、せっかくの感謝祭だ。澪先輩にも本気を出してもらいたい。


『別にいいけど。トラ子、分かってる? 私たち、一応ライバルのつもりなんだけど』

『勝ちを譲られるつもりはないよー?』

『――違いますよ。二人のステージを用意することが、私の勝負の勝ち方なんです』


 ユウ先輩は、二人が一緒に歌うところを見たがるだろうから。

 雫ちゃんが衣装を決めたように、私もパフォーマンスとは別のところで戦って勝つ。

 勝ちを譲るつもりなんか、あるはずがない。


「アンコールにお応えして、三曲目は私と――」

「――あたしが歌います~! みんな、ありがと!」


 月瀬先輩とバトンタッチして、私と雫ちゃんは舞台袖に引っ込む。

 うぉぉぉぉぉ、と会場が熱狂しているのを背中で感じた。


「やっぱり盛り上がってる。ナイスだよっ、大河ちゃん!」

「ありがとう。でも、雫ちゃんの選んだ衣装のおかげでもあるから」

「えへへー! じゃあ、最後は私たち四人で創ったステージだね」

「うん!」


 スポットライトの下、純白と漆黒の花嫁が隣り合っている。

 澪先輩はマイクを握って、月瀬先輩はギターを構えて。

 お姫様と魔女みたいに、太陽と月みたいに、負けず嫌いの姉妹みたいに。


「「――『Dear Myself』」」


 ただ、その曲名だけをまじなうように唱えて。

 二人は歌い始めた。



 ◇


 SIDE:澪


 ――ぎゅぃん

 と、来香のギターが鳴る。文化祭のミュージカルのときは録音だったけど、今日の音源は違う。鏡にヒビを入れるような音がジンジンと血液に伝わってくる。

 あの日の『Dear Myself』とは何もかも違う。

 でも、あの日と違うのは綾辻澪わたしも、だ。


「~~♪」


 ただ歌うだけじゃ、物足りない。

 綾辻澪ならもっと魅せられるはずだ。

 聴衆の心を攫え。友斗の視線を奪え。刹那の世界を我が物にしろ。

 全能感に酔い痴れる。

 だけど、


 ――ギュィィィィィン


 溺れかけた私を、隣で弾き鳴らされた音が引き上げた。

 あっ、と驚いてられるのは一瞬。

 私が歌うはずだった場所を、来香が平然と掻っ攫っていく。まるで『あたしの方が上手く歌えるから』とでも言うように。


 事実、上手いのが腹立たしい。

 癖のある野生的なソプラノボイスは綺麗なのに刺激的で、どちらかと言えばお利口な曲である『Dear Myself』に新たな色を加える。

 いい度胸だ。

 そっちがそのつもりなら、私だって――。


 練習のとき、来香が一番気持ちよく歌ってた場所を奪い去る。

 これ見よがしに研ぎ澄ました、氷の炎みたいな声で歌い上げた。

 気持ちよくなってばっかりの生娘には、こんな澄んだ音は出せないでしょ?

 女としての経験が違うんだよ。


 ――やるじゃん

 ――そっちこそ


 交錯する視線で、短く互いを認め合う。

 やばい、めちゃくちゃ楽しい。

 心臓が、血液が、絶叫してる。

 体が熱い。

 頭が熱い。

 心が熱い。

 こんなにも全身全霊の綾辻澪わたしになれるだなんて、一年前には想像もしてなかった。


 来香が歌声にがなりを混ぜ込んでくる。

 ――ああ、最高だ。

 彼女の悦に入った笑みが視界の隅に映り込む。

 堪えきれなくなって、私は観客の方を見るのをやめた。体ごと来香を向いて、ついでに彼女のスタンドマイクを移動させる。


 ここからはもう、私たちだけでいいでしょ?

 ついてきたい奴だけ、ついてくればいい。

 コロシアムの観客が熱狂するみたいに、私たちの喧嘩に溺れてろ。


 『Dear Myself』を土足で弾き壊す。

 残るのがもう二度と使えないガラクタだったとしても、知ったことじゃない。

 全部、私が羽化するために必要なことだ。

 もっともっと、最高のヒロインに。

 選ばない友斗が思わず選んでしまいたくなるほど、美しい女に。


 それでもまだ友斗は選ばないはずだ、と。

 友斗と間違い続けた私が、一番よく分かってるはずだから。


 氷漬けの炎を贅沢に溶かして、心を燃やす。

 ずっと剥き出しでいるほどガキじゃないけど。

 ずっと熱を秘めたままでいるほど大人でもない。

 あんたの熱を寄越せ。

 私の熱を、受け取れ。


 ――奇麗になり続ける私をずっと見ててね、友斗。

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