終章#64 I'm happy

 推薦希望調査 氏名:百瀬雫

 第一希望:三年F組教室

 第二希望:

 第三希望:


 SIDE:友斗


 扉の前に立つ。

 正直、当たっている自信はない。一応それっぽい理屈はあるものの、階段を踏むごとに不安は増していった。

 だというのに扉に触れた瞬間、ああここだ、と確信できた。

 ゆっくりと扉を開くと、


「正解です、友斗先輩。よく分かりましたね」


 大好きな人百瀬雫がいた。

 降り始めた雨と広がる雲のせいで空は塞がれ、それゆえに夕陽は差し込む様子がない。室内灯が点いていないせいで部屋の中は薄暗く、窓際に立つその少女はどこか儚げで、なのに決して消えることがないとも感じられる笑顔を浮かべていた。


 ――ああ、奇麗だ

 

 心底そう思った。

 どうしたって見惚れるに決まってる。好きすぎる。どくんどくん、と鼓動は鳴り響き、うるさくてしょうがない。

 なのにこのうるささが、BGMが、泣きたくなるくらいに愛おしい。

 BGMがあるからこそノベルゲームで没入感が生まれるように、鼓動の音が俺の想いを実感させてくれた。


「正解です、じゃねぇよ。普通に間違う可能性だってあったからな?」

「え~、そーなんですか? 結構チョロいかなーって思ってたんですけど。三つも候補があったら正解できそうじゃないですか」

「あ、いや。色々あって答えは一つだけってことになったんだよ」


 当然だが、入江先輩と俺のやり取りを雫は知らない。一か所で十分だと啖呵を切った話を聞かせると、雫はうんうんと頷き、最後にぷっと吹き出した。


「じゃあそれ、友斗先輩が勝手に難易度上げて困っただけじゃないですか!」

「うぐっ、いや、そうかもしれないけどさ。三つもあったら答えられて当然じゃん?」

「かっこつけ、ご苦労様です」

「ヤメロ恥ずかしい!」


 こうやって茶化してくれる雫だからこそ好きなんだけど。

 でもそれはそれ、これはこれ。恥ずかしいのは事実なので自重していただきたい。俺がぷいっと顔を逸らすと、雫はくすくすと笑いながら手近な席に座った。

 視線を隣の席へ向ける。隣へ座れってことらしい。俺は破顔し、言われるがままに座る。


 隣を見遣れば、頬杖をついた雫を目が合う。


 小学校の頃、それぞれの机はこんなに離れていなかった。二列ずつ接するように並んでいて、それこそお互いの肘がぶつかりそうになるほどの距離だったはずだ。

 けれど中学校に上がってからは距離ができた。机をくっつけるのなんて教科書をシェアするときぐらいで、大抵の場合は距離がある。距離はあるのに、紛れもなく『隣にいる』と認識できる。


 そんな何の変哲もない不思議が、可笑しくて楽しかった。


「さて、探偵くん。君の推理を話したまえ」

「何だそのキャラ……」

「むぅ。いいじゃないですか~! 元々は、こーゆうお遊戯、私の十八番だったんですからね?」

「十八番て。新入生歓迎会のときぐらいしか見た覚えがないんですけど?」

「あのときの友斗先輩のさっむい返し、今でも覚えてますけど、言いましょうか?」

「ヤメロ絶対にヤメロ分かった話すからマジでやめてください」

「必死すぎません!?」


 だってあれ、本当に寒いなって思うし。言い出しっぺが雫だったから雫もギルティーだが、あの返しはなかったと思う。

 まぁこんな無駄話はどうでもいいか。

 背もたれに寄り掛かりながら、俺がどうしてここに来たのかを話す。


「俺は先輩で雫は後輩。だから雫は一緒に授業を受けてみたかったんじゃないか――と、一瞬だけ思った」

「ふぅん?」

「多分、それ自体は間違ってない。俺だって一緒に授業を受けてみたいとは思ったしな。でもわざわざ来るほどじゃない。そんなの、失恋確定の切ない後輩の考えだからな」


 百瀬雫という女の子は、俺が去った場所に来る女の子じゃない。

 俺が行くところに来てくれる女の子なのだ。


「来年俺が過ごすであろう教室に雫は来たかった。理由は色々だな。教室に押しかける予行練習とか、一番最初に教室で俺と過ごすのは自分がいいって思った、とか」


 問題はA~H組のどこに行くか、ということ。

 うちの学校は三年次に文系理系でクラスを分けない。つまり、確率は8分の1。


「ぶっちゃけ、何組なのかはマジで分からなかった。今年と同じって考えればA組だし、三年と言えばB組だよなってネタで言えばB組だし」

「じゃあ、どうしてF組にしたんですか?」

「それは……前に、文化祭で一緒に来ただろ。そのときに言ってた。『女の子は縋りたくなる生き物なんです。占いが当たるわけないって思いつつも、背中を押してほしくて、願いが叶うって言ってほしいんです』って。だからここを選んだ」


 蜘蛛の糸みたいな理由だった。

 当たる自信はなかったし、大口を叩いた自分をちょっと責めた。

 

「だからまぁ、俺が信じたのは雫だな。雫は俺がどこに行っても、きっとついてきてくれる。そんな風に信じてた」

「それじゃあまるで、私が友斗先輩を追っかけてるストーカーみたいじゃないですか」

「健気についてきてくれる後輩ほど可愛いヒロインもいないだろ? それが小悪魔ならなおさらだよ」


 言い切ると、雫は呆気に取られたような顔をする。

 そんな雫も最高に可愛い。

 気付けば頭に手を伸ばし、二本の尻尾ごと撫でていた。


「えへへ……友斗先輩って、そーゆうとこ、ズルいですよね」

「そういうところ?」

「笑いかけて、一撫でして、たったそれだけで私を惚れ直させちゃうところです。ズルいですよほんと。友斗先輩の方がよっぽど悪い魔法使いです」

「――っ、そう、かもな」


 唇を尖がらせる雫。

 俺がくしゃっと笑うと、雫は気持ちよさそうに目を細めて言った。


「ねぇ友斗先輩。変なこと、聞いてもいいですか?」

「……ダメって言っても、聞くんだろ?」

「えへへ、バレちゃってますね。じゃあ、失礼して」


 耳元に口を寄せ、甘やかに雫が囁く。


「友斗先輩って、実は昔から私のこと好きでしたよね?」

「えっ」

「もちろん一番になれてなかったのは分かってますよ? でも二番目には……なれてませんでしたか? あの子を選んだの、後輩のお前が好きだぞってメッセージだったのかな、とか。今更思ったりしてみちゃったんですけど」


 小学生の頃だ。


『ねぇ。き……も、百瀬くんは、このゲームだとどの子が好き?』


 雫にそう問われた俺は、小悪魔な後輩ヒロインを選んだ。

 だから雫は小悪魔な後輩になろうと自分を変えた。

 ……だけど俺が本当に好きだったのは『小悪魔』じゃなくて『後輩』の方だったんじゃないか、って。

 ――本当に今更すぎることを雫は聞いてくる。


「……気付くのが遅ぇんだよ」

「~~っ、や、やっぱりそうなんですか……?」

「当たり前だろ。考えてもみろ。俺のどこが小悪魔ヒロイン好きに見えるんだよ」

「え、それは普通に見えますけど」

「えぇ……」


 俺がげんなりとした声を出すと、雫は心底可笑しそうに笑った。

 その頬は可愛らしい桃色に染まり、なんだか上機嫌に見える。

 彼女はそのまま席を立ち、とことこと教室の広めの場所に移動した。俺もそれに倣えば、雫はお上品にスカートの裾を摘まんで言う。


「踊りませんか?」

「……えぇ、喜んで」


 雫の手を取り、腰に手を当てる。

 ステップなんて知らない。音楽だって聞こえない。

 それでもそれっぽく踊れるのは、俺も雫もオタクだからなのだろう。小説で、ノベルゲームで、アニメで――創作の世界で描かれていたものを、経験なんてないくせに知ったふりをする。


 俺たちは付き合いが長い。

 五人でいる限りそれは変わらなくて、だから、お互いのことを知った気になってすれ違うこともたくさんあるだろう。

 それでも雫は、きっとついてきてくれる。

 俺が間違えば、俺のいる場所まで堕ちてくれて。

 正しくなろうとすれば、優しく背中を押してくれる。


「ねぇ友斗先輩。前に言ってくれましたよね。疲れたときは頑張らなくてもいい、って。主人公でも脇役でも家族だから、って」

「……ああ、言ったな」


 思えば、随分とクサいことを口にしたものだ。

 でも全て本心だ。


「私、いっぱい頑張りますけど――頑張らない私のいいところも、ちゃんと味わってくださいね?」

「最初からそのつもりだよ。俺が最初に好きになったのは、まだ頑張ってない雫なんだから」

「えへへっ」


 俺たちは恋をし続ける。

 それはともすれば、憩うことのできない関係に見えてしまうかもしれない。

 でも違う。

 もう彼女たち四人は、他と比べられないくらいに特別で。

 頑張ってるところも頑張ってないところも、何を見たってもっと好きになれる自信があるんだ。


「私すっごく幸せです」

「俺もすっごく幸せだ」


 幸せそうに笑う彼女の顔は、恋そのものみたいに可愛らしい。


 ――ああ、好きだな


 どうしようもなく思った。


「なぁ雫。キス、してもいいか?」

「ふぇっ? きゅ、急にですか……?」

「言うほど急か? お姫様と王子様が躍った後は、お上品に口づけしあうものだと思ってたけどな」

「……そーゆうキザな言い方、フツーにダサいですからね? 私たち以外に言っても引かれちゃうだけなんですから」

「それでいいよ。俺のヒロインは雫たちだけだから」

「………………そーゆうの、ズルいです。こんな口説き文句で落ちちゃうチョロ~いヒロインに愛されてよかったですねっ?」

「それな。めっちゃ最高だわ」


 雫は、目を閉じはしなかった。

 ん、とほんの僅か目を細め、唇を突き出す。俺との距離をほぼゼロにして、早く、と可愛らしく待っていてくれた。

 だから、


 ――ちゅっ


 少しも初めてじゃない、キスをした。


「……私が見たお話だと、お上品なキスで終わりじゃなかったです」

「おねだりが上手なお姫様だな」

「えへへ。これからもいっぱい、おねだりしますよ?」

「上等だよ。――今はあと一回だけ、な。続きは家で」

「大変ですね、王子様」

「ほんとだよ、お姫様」


 恋人とののキスは、甘いレモンのど飴の味がした。

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