10章#32 分からず屋の兄妹

 演劇部の練習が終わった私は制服に着替え、帰路についていた。スマホを確認すれば、トラ子と雫からRINEが来ている。


【大河:ユウ先輩は責任をもって私が連れ帰ります!】

【しずく:私も大河ちゃんを手伝う!】

【しずく:その後で大河ちゃんと一緒にご飯作るね!】


 とのこと。やっぱりこうなったか、と笑ってしまう。トラ子が吹っ切れた時点でこうなるとは思っていた。主人公だのなんだのとややこしい考えに陥ってる雫や友斗を動かすには、トラ子みたいな馬鹿正直な子が適任だ。


 入江先輩と別れて玄関に向かうと、私の下駄箱の前に人影があった。

 その立ち姿は、さながら薄幸の美少女。

 LEDに照らされた内と曇って暗い外。その狭間をこすって曖昧にするように、彼女のいる場所の明暗が誤魔化されていた。


「随分と満足そうですね、姉さん。もう兄さんのことは諦めていただけたと思っていいんでしょうか?」


 私を見るやいなや、美緒は言った。

 入江先輩との勝負を見てた……わけじゃないだろう。おそらくトラ子の変化から私たちが吹っ切れたことを察して、こうして待ち伏せていた。ってことは、トラ子は無事、友斗を拉致れたわけだ。


「残念、不正解。お姉ちゃんが添削してあげるよ」


 美緒が来ることは予想していた。その日のうちにってのは流石に行動が早いなと思うけど、だからって不意を打たれるようなことはしない。


「私の偽物のくせに、よく平然と話せますね。もう罪のことはお忘れですか?」

「お生憎さま。役者はいつだって本物より本物に近い偽物になるの。偽物扱いされた程度で傷ついたりしないよ」

「…………」

「それに、レプリカもゴーストも、罪の重さは同じようなものだと思わない?」

「…っ」


 ようやく私の刃が届いたらしい。美緒はくしゃっと顔を歪める。


「行こうか、幼気な白雪姫ちゃん?」


 さあ、ここからは澪と美緒の舞踏会だ。



 ◇



「姉さんって根に持つタイプなんですね。またこの公園ですか?」

「安心して、ちゃんと送ってあげるから」

「……不要です。どうせ電車に乗るだけですから」

「あっそ。ま、誰かさんみたいに過保護になるつもりもないしね。美緒がそれでいいなら、そうするよ」


 私たちは前回待ち合わせた公園にやってきていた。痣みたいな紫色に染まった空がどこか不穏だ。人気ひとけのない公園で、かぁかぁ、と烏が鳴く。ベンチに座ろうかと思ったけれど、美緒は立ったまま話すつもりらしかった。

 さて、何から話そうか。思案する私に美緒が聞いてくる。


「姉さんは何をなさってたんですか? あんな時間まで学校にいたってことは、何かしてたんですよね?」

「あー、それ? 演劇部に行ってたの。声優になるための修行をね」

「……声優。だからさっき、役者って言ってたんですね」

「そ」


 この前夢の話をされたからてっきり声優を目指してることも込みで知っているのかと思ったけど、そうじゃなかったのかもしれない。考えてみると、私って意外と誰にも話してないかもな……。

 って、そうじゃなくて。


「ま、だからってわけじゃないけど、美緒みたいな三流役者には負けるつもりはないよ」

「……どういう意味ですか?」

「そのまんまの意味。分かるでしょ」


 美緒が目をすぅと細めた。怜悧な睥睨は、どこか強がっているようにも見える。雪解けてしまいそうな儚さに目を奪われそうになり、かぶりを振りながら彼女に踏みこんだ。


悪役ヒールを演じてたんでしょ。だから私たちをあえて否定した」

「……変なこと言わないでください。私は兄さんを守ろうとしただけです」

「もちろん、それも目的だったかもね。でもそれだけにしては過保護すぎる」


 美緒は驚いた様子を見せない。おそらく既に誰かから指摘されていたんだろう。一太刀といかなかったのは業腹だけど、今は話を続ける。


「なんとなくだけど、雫やトラ子からも話は聞いたよ。美緒が私たちに突きつけた問題は、全部開き直ればそれで済むことだった」

「…………」

「美緒の悪役ヒールは、私たちに考えさせることが目的じゃなかった。もしかしたらそういう部分もあったかもしれないけど……それ以上に、私たちを傷つけることが目的だったんじゃない?」

「…………どういうことですか?」


 頬に触れる風は湿っていて、冬らしくなかった。

 これは本格的に降ってきそうだな。そんなことを考えながら、美緒の言葉に返す。


「友斗が私たちを助けるヒーローに戻れるように、美緒は悪役ヒールになった。私たちじゃなくて友斗に倒されるための悪役ヒールだったんだ」

「…………」

「つまり、誰より友斗にヒーローを求めてたのは美緒だったってこと」


 違う?と視線で美緒を見つめる。

 彼女の瞳が蝋燭の火みたいに揺れた。きゅいっと目尻が弱々しく沈む。美緒は何も言わなかった。唇の戦慄きを私は見逃さなかったけれど、その紅から言葉が紡がれることはなく、静寂が公園にぽちょんと落ちる。


 私も何も言わない。どれだけ時間が経とうとも、美緒の言葉を待つつもりだった。こうなんじゃないか、と私が補助線を引くことは容易いけれど、そんな風に恣意のやり取りをするつもりはない。私は美緒と話したかった。

 やがて美緒は、


「だったらなんなんですか」


 と窮鼠みたいに言った。


「あなたたちは皆、兄さんの優しさに甘えて、助けてもらったじゃないですか。それなのに私が兄さんに助けてもらうことは許してくれないんですか? そうやって……仲間はずれにするんですか?」

「別に、そんなこと言ってないよ。私はただ、やられたことをやり返してるだけ」


 一拍置いて、美緒との距離を縮める。


「私は自分が独りよがりでわがままな女だって自覚した。それでも私のわがままで友斗たちを攫ってやるんだ、って開き直った。だから友斗のことも、『ハーレムエンド』も諦めない」

「……っ」

「あの二人だってそうしたよ。だからあなたも開き直ればいい。友斗に、私たちに、助けてって言えばいいじゃん」


 私は別に、彼女を倒したいわけじゃない。こてんぱんにやられた身としては負けっぱなしは許せないけど、だからって言い負かしてもしょうがない。


「私を偽物だって言う前に、まずあなたの本物を見せてよ」


 彼女を覆う膜をすっと刃で切り開きたかった。

 友斗ではなく、私が彼女のヒーローになるために。

 だけど、


「じゃあ、私を殺してくれますか?」

「――は?」


 返されたのは、歪で悲痛な言葉。

 殺す、って……なに?

 意味が分からずにいると、彼女が失望したように笑う。


「ほら、どうせやっぱり分からない。あなたにも、時雨さんにも、私の気持ちは分からないんですよ」

「霧崎先輩? どうして――」

「遅くなっちゃうので、もう帰りますね。さよなら、先輩」

「っ、待って!」


 引き留めようとするけれど、彼女は止まってくれない。伸ばした手はぬるりと躱されて空振り、彼女は私から逃げていった。

 ――その後ろ姿は、どこか彗星のようにも見えて。


「だったら分からせてよ。……兄妹揃って、分からず屋なんだから」


 何もない暗闇を握って、チッ、と舌打った。

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