9章#36 巫女

 あけましておめでとう。

 改めて親戚一同で口にする1月1日。家族にわざわざ挨拶をするのは些か気恥ずかしいが、それでもこういうことはきっちりせねばなるまい。

 朝から大仰に挨拶をし、その代わりと言ってはなんだが、お年玉をありがたくいだたく。小遣いはなしだが、お年玉は父さんも義母さんも許してくれるらしい。素直にありがてぇ、ありがてぇ、と財布に収めておいた。


 澪作のお雑煮を食い、程よい味におかわりをお願いして。

 デザート代わりに伊達巻きやら黒豆やらを摘まんで、お正月の朝は終わりを迎えた。


 テレビでは、社会人駅伝が始まる。

 この時期は、とにかく駅伝ばかりで弱る。明日明後日の箱根はまだしも、初日である今日も社会人駅伝をやるわけだし。どんだけ走るのが好きなんだって話だ。

 ちなみにその辺の話を澪に以前振ったところ、


『走るのは気持ちいいじゃん。一回、おかしくなるまで走ってみたいんだよね。友斗、一緒にどう?』


 と誘われたことがある。

 気軽に体力チートを見せないでほしい。声優になるための身体作りって次元は超えてるからね?


 と、そんなことを考えている俺は何をしているのかというと、社務所内部でいそいそと着替えていた。

 神社で年末年始に男手を必要とするのは、基本的に力仕事や雑用である。男女雇用機会均等法はどこに行ったんだとツッコみたいが、まぁ、接客より雑用の方が気楽だからそれでいい。

 そういうわけで雑用仕事を引き受けた俺だが、流石に外に出るため、私服というわけにもいかない。


「うーん……?」


 着替えるのは袴。

 巫女の服とさほど変わらないのだが、なかなかどうして、いざ自分が着るとなるとピンとこない。今までも着たことはあるはずなのに……と考えて、今日は今までと違い、よく見られたい相手がいるのだと気付く。


 雫と澪。

 二人も少し離れた部屋で巫女装束に着替えている。あの二人の黒髪は、それはもう奇麗で巫女姿がよく似合うだろう。その二人に劣らずに、とまではいかなくとも、ちょっとでもかっこいいと思ってもらいたいのだ。


「我ながら最低だな」


 ほんと、と苦笑する。

 叶えるべきではない恋だと、隠すべき恋だと分かっているのに。

 かっこよく見られたいって意地は、どうしたって捨てられない


「友斗く~ん。着替え終わったら、こっち来てねぇ」


 どこからか、そんな声が聞こえる。

 年に一度、この時期だけ馴染み深くなる声だ。この神社に務めている人で、バイトの面倒を見てくれている。名前は、柳さん、だ。


「了解です。二人を連れてそっち行きますんで」

「うん! よろしくね~」


 さて、いつまでもうだうだしていられなくなった。

 雫と澪の様子を見に行こうと思っていると、こんこん、と引き戸がノックされる。


「友斗せんぱ~い! 入ってもだいじょーぶですか?」

「ま、着替え途中でも私たちは構わないんだけど」

「構うし、着替え終わってるから。入っていいぞ」


 新年早々凄い勢いでセクハラをかましてくる澪。

 色々とアウトだからやめてほしい。ぱんぱんと両頬を叩いて襟元を正していると、戸が開いた。


「じゃあ、まずは私からっ!」


 言って部屋に入ってくるのは雫。

 くるりと元気よくステップを踏み、一つに束ねた髪がゆんわりと揺れる。

 白衣に緋袴。純白の靴下が畳に沈み込み、可憐さと活発さを感じる。ぎゅっと腰のあたりが縛られているせいか胸元が強調され、しかし、整った白衣によって決して厭らしさを感じさせはしない。

 えっへん、と雫は胸を張っていた。


「どーですか、友斗先輩っ! 可愛いですよねっ?」

「……ああ、そうだな。滅茶苦茶可愛い」

「っ!? きゅ、急に素直っ!?」

「あ」


 ほとんど無意識だった。

 でもしょうがないじゃないか。本当に……本当に可愛いんだから。


「悪ぃ、急だったな」

「ま、まあ、急でしたけど。素直に褒めてもらえるのはポイント高いのでオッケーです。顔もデレデレ~ってしてくれますしね♪」

「……別に、デレデレはしてない」


 雫がニヤニヤしながら詰め寄ってくるので、ぷいっ、と逃げるように顔を逸らす。


「ツインテールじゃないんだな」

「あー。巫女さん姿とツインテールが合うのって二次元だけかなーって思いまして」

「まぁ……そうか」


 髪型について厳しく言われてはいないが、ツインテールだと怪訝な顔をされる可能性もある。一つに束ねていた方が巫女らしさもあるし、何かと都合がいいだろう。


「雫、そろそろ私の番でいい?」

「あっ、うん! 友斗先輩、よぉく見といてくださいよ! お姉ちゃんの巫女さん姿、すっごいんですから!」

「お、おう……」


 雫が褒めるほどなのか……?

 つい、ごくん、と生唾を呑んでしまう、そのとき。

 巫女姿の雫が入ってくる。


「ふふ。どう?」


 服装は、雫と同じ。

 髪型もそっくりで、なのに雫とは雰囲気が全く違う。

 純黒の髪を赤い紐で一つにまとめ、形のいい耳もむき出しになっている。すーっと流れるように奇麗な首筋はどこか色っぽく妖艶で、なのに澪の浮かべる表情や立ち居振る舞いが性的な雰囲気を一切合切浄化しつくしている。

 また巫女に関する誰かを剽窃したのだろう。巫女そのものの如き所作は、神聖さと美しさが着付けされているんじゃないかと思えるほどだった。


「マジで巫女って感じだな」

「開口一番がそれって、酷くない? 雫に言ったみたいに、しっかり可愛いって言ってほしいなぁ」

「……奇麗だぞ」

「ん」


 こくりと一つ頷くと、澪は俺に身を寄せてくる。

 そっと耳を近づけてきて、溶かすように紅色の唇で言ってくる。


「巫女は処女じゃダメってよく言うよね」

「っ……!?」

「もしそうなら、私は巫女になれないかも。友斗に女にされちゃったし?」

「っっ!?」


 頭がどうにかなりそうだった。

 圧倒的に際どい、ビリビリと痺れるような攻め方。それなのに神聖さのある服装のせいか、理性が飛ぶことはない。否、飛んではいけないという背徳感が、余計にごりごりとHPを削っていた。


「……ギブ。そのレベルはマジでなしで頼みます」

「あ、ごめん。シてない日数が多いせいで、つい」

「………………」


 どこまで確信犯かは分からんが、もう考えるのはやめよう。考えたら死ぬ。


「あ、あー。いつまでもこうしててもしょうがないし、あっち行くぞ」

「ん、そうだね」

「ですねー。あ、その前に一つ」


 柳さんの方に行こうとすると、雫に引き止められた。

 ん? と振り向けば、雫が俺をジロジロと見てくる。


「えっと。なんだ?」

「その恰好、意外と様になってるなーって思いまして」

「お、おう」

「友斗って、絵に描いたような日本人顔のイケメンだしね。何だかんだ和服の方が似合うんじゃない?」

「日本人顔のイケメンって、褒められてるのか微妙なラインだよな」

「と言いつつ、口もとがへにょ~ってなってる照れ屋さんな友斗先輩なのでした」

「――……っ!? 照れてねぇよ!」


 不意打ち、ダメ、絶対。

 俺は心底、そう思った。



 ◇



「友斗くん、あっちの掃除お願いできる?」

「了解です」


 働き始めてしばらく。

 俺は柳さんに言われ、境内に出た。昼間近いとはいえ、ひゅうるりと吹く風は冷たい。袴姿だけではキツいだろうな。コートを羽織ってきておいてよかった。


 境内には、深夜と打って変わってたくさんの参拝客がいた。

 ずらりと長い列が出来ており、それに比例するように喋り声も聞こえる。わいわい、がやがや、随分とめでたいものだ。

 たくさんの中には、着物を身に纏っている人もいた。


 あれは……振袖だろうか。

 こんな小さな神社にわざわざそんな派手な服を着てこなくてもと思わなくもないが、初日から景気よく行きたい気持ちは分かる。


 色んな人がいるんだなぁと思いつつ、さー、さー、とほうきで掃除していく。

 神社でゴミの出ようがないだろうと思っていたが、想定よりも汚れている。落ち葉だとか、紙ごみだとか、そういうものが多い。

 だが、特別に大変かと言えばそうではなかった。

 さっきまで結構過酷な肉体労働をしてたからな。柳さんも気を遣って、楽な仕事を寄越してくれたのかもしれない。


 ふと見遣れば、売店の方で雫と澪が見事に接客している。

 あの二人、どっちも接客は得意そうだもんな。

 遠目からでも二人に会計をしてもらいたそうな客が多く見えるのだが、大丈夫だろうか。ちょっぴり心配になってくる。


「大丈夫だよ、そんな心配そうな目で見なくても」

「うおっ!? ……びっくりしたぁ、時雨さんか」

「ふふふっ。幽霊だと思った?」


 ひょいっといきなり現れた時雨さんは、くすくすと笑っていた。

 いつもの銀髪はすっぽりニット帽で隠されており、ジャンパーを着こんでいる。そんな恰好でも様になるんだから流石だ。


「幽霊っていうか、ただ上司に叱られたのかもってビビっただけだよ」

「そっか。じゃあ叱ってあげようか? 女の子に見惚れてないで手を動かしなさい、って」

「手は動かしてるからやめてね」


 勘弁してくれ、と首を横に振る。

 時雨さんは、そうだね、と微笑を浮かべていた。


「っていうか、時雨さんは何しに来たの? 働きなよ」

「ナチュラルに辛辣な言い方になったね……違う違う。ボクだって仕事に来たんだよ。キミに仕事を頼みに来たの」

「仕事……?」


 掃除よりも優先度の高い仕事。

 まぁ山ほどあるだろうが……わざわざ俺に言わなくとも、時雨さんがやればいいのに、と思ってしまう。

 はてと首を傾げていると、時雨さんは悪戯っ子のように笑って言った。


「恵海ちゃんと大河ちゃんのところにお家にいってきてほしいんだ」

「は?」


 『のように』は要らない、ただの悪戯っ子だ。

 俺は強く、そう思った。

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