第八章『亡者の国のアリス』

8章#01 スノーホワイト

 欲しいものが簡単に見つかれば、誰も苦労はしない。

 サンタクロースに頼めばいいのだから。

 もしも貰えないのならそれは、サンタクロースがいないのではない。

 欲しいものを本当に欲しいと望んでいないからなのだ。


 ――だから、あの日も今も、欲しいものが何なのか分からずにいる。



 ◇


 SIDE:時雨


「もう、冬も近いなぁ」


 生徒会長ではなくなったボクは、屋上からグラウンドを眺め、呟いた。

 馬鹿と煙は高いところが好き、とよく言う。

 ボクは屋上とか、高層ビルとか、高いところが好きだから、おそらくはどちらかなのだろう。前者ならば面白いけれど、どうかな。馬鹿と誹られる人種からは程遠いと思う。期待には応えてきて、一度だって失望させたことはないはずだから。


 ――ううん、一度を除いて、と言うのが正しいかな。


 まぁそんな厳密な指摘をしてくれる子は、ここにはいない。

 だから『馬鹿と煙は高いところが好き』という言葉が、『愚かな人ほど名誉や地位を欲しがる』って意味なのだと指摘されるわけでも、ない。


 ついでに言うならば。

 立冬は既に過ぎ去っているから暦の上では冬なんだ、と知識比べをするように言う愛しい子もいないし、今日は最近の中じゃ温かい方じゃない?と苦笑しながら言ってくる生意気な子もいない。


 一人っきりの、屋上だった。


【お父さん:さっきの話だけど、大丈夫になったらしい】

【お父さん:友斗くんが駆けつけたそうだよ】


 お父さんから送られたメッセージを見て、ボクは顔をしかめた。

 そもそもこういうSNSのやり取りは、あまり好きではない。時間もないので電話ではなく、メッセージのやり取りになるのは仕方がないけれど、それでも気分はあまりよくなかった。


 ――なんて、自分をそれっぽい理屈で諫めてみても、本当に気分が悪い理由はそれじゃないのだと分かっている。

 分かってしまっているからボクは、はぁ、と溜息をついた。


 まだ吐く息には、色はない。

 冬じゃないんだな、と思いながら、ボクは春のことに思いを馳せた。



 ◇



 4月。中旬と下旬の狭間みたいな春に、ボクはパソコンと向き合っていた。かた、かた、かた、とキーボードを叩く。今は特別忙しいわけではないから彼に来てもらっていないけれど、そろそろ常勤してもらった方がいいかもしれない。


「霧崎会長。何か、問題が起こったんですか?」

「えっ?」


 考え事をしながら仕事を進めていると、生徒会の子に声をかけられる。

 見遣れば、眼鏡が可愛らしい女の子が心配そうな顔をしている。この子の名前は如月白雪ちゃん。2月の雪だなんてとても綺麗な名前だな、と思ったのを覚えている。

 ボクが首を傾げると、白雪ちゃんは苦笑した。


「すみません、勘違いだったら。少し機嫌が優れないように見えたので」

「具合、じゃなくて、機嫌?」

「はい。あ、それとも具合の方でしたか?」

「うーん、どうだろ」


 具合は、うん、少なくとも悪くはなかった。少し寝不足だけれども、元々ショートスリーパーなので眠いわけではない。

 なら機嫌は……と考えて、別に悪いわけではないことに気付く。

 ただ複雑な気分なのだ。


「大丈夫だよ。ごめんね、心配かけちゃって」

「い、いえ……無理はしないでください」

「ふふっ、ありがとう。でも本当に大丈夫だから」


 生徒会長のボクが、弱いところを見せるわけにはいかない。

 それでは彼にも、申し訳が立たないから。

 くすりと笑んで、仕事に戻る。

 とはいえ、今はお昼休みだ。生徒会の中には来ていない子だっているし、ボクも来るように頼んだわけではない。ボクと副会長と、それから白雪ちゃんだけが自主的に仕事を処理しているだけ。


 放課後のようにがつがつと進めることを想定しているわけでもないので、少しまったりとした気分で仕事を処理する。

 そうして、まぁお昼に来た甲斐はあるかな、というくらい仕事を終えたところで、


 ――こん、こん、こん


 と、生徒会のドアがノックされた。

 副会長と白雪ちゃんと顔を見合わせ、ボクが代表して応対する。


「どうぞ、入って大丈夫だよ」

「失礼します」


 がらりと扉が開く。

 入ってきたその生徒を見て、ボクは息を呑んだ。


 ボクにとって世界で一番大切な二人のうちの一人。

 かけがえのない、なのにいなくなってしまった少女の名前を持つ女の子が、そこにいた。


「おやおや、澪ちゃんだよね? どうしたのかな」

「先日のクイズの件で、お話したくて。今少しいいですか?」

「…………」


 先日のクイズ――それはつまり、彼女と初めて出会った日のことだろう。

 彼女の妹と彼女に、彼とボクがどんな関係なのかクイズを出した。まさか従姉弟であることを疑われているわけではないだろう。

 なら一体、と考えて、何の気なしにご褒美を提示したことを思い出す。


 ――ご褒美として何でも一つ、質問に答えてあげる。


 まさか、彼女が質問をしにくるとは思わなかった。

 けれど彼女の真剣な目を見れば、のらりくらりと躱させるつもりがないことはよく分かっている。

 ボクは副会長と白雪ちゃんを見遣って、


「ちょっと行ってくるね」


 と告げた。

 きっと長い話になるから、パソコンの電源は落としておく。

 彼女と共に生徒会室を出て、ボクは行くあてもなく歩いた。屋上で話せればよかったけれど、今は彼が使っている。彼のいるところで話すわけにもいかないだろう。

 少し歩いて、人気ひとけのない空き教室を見つける。鍵は開いていた。


「ここで話そうか」

「……別に、場所はどこでもいいです」

「そっか、じゃあここで」


 そういうところも、あの子に似ている。

 名前だけじゃないんだな、と思う。

 顔だけでもないんだな、と思った。


「それで、クイズの件って?」

「何でも一つ、質問に答えてくれる。そう言いましたよね?」


 空き教室は、当然だけど空っぽで、少し物寂しい雰囲気だった。

 消し方が雑な黒板の上に指を走らせると、指先が白く汚れる。


「言ったかもね。じゃあ澪ちゃんは、ボクに聞きたいことがあるのかな? もしかして彼の女の子のタイプ? 篭絡するための作戦なら――」

「私は、誰に似てるんですか?」

「っ……」


 まさか、と思った。

 ボクが目を見開くと、彼女はきゅっと目尻を下げる。たんぽぽを彷彿とさせるようなその柔らかさに、ボクは唾を飲み下した。

 やはり似ている。この子は、とても似ているのだ。あの子のように聡いところも含め、悪趣味な神様のいたずらかと思うほどに、似ている。


「どうして、そんなことを?」

「百瀬は時々、私を見て、哀しそうな顔をします。私以外の誰かを私に見ているように、私には見えるんです」

「ふぅん? よく分からないかなぁ」

「惚けないでくださいよ。だったらどうして霧崎先輩は、私の顔を見てムッとしたんですか」

「ムッとなんて、してないよ? それは澪ちゃんの感じ方じゃない?」

「感じ方ですね。だから聞いて、事実を確かめています。少なくとも私への対応が他の人と違うのは明白ですよね。霧崎時雨先輩に特別扱いされる覚えが私にはありません」


 淡々とした口調。

 冷たさを孕んでいるのに、その声に強い欲望を感じた。彼女はきっと、何かを求めている。その感情は愛などではなく、もっと利己的で醜いものなのだろう。


 刹那、ボクの中に強い希望が生まれる。


 彼女は――あの子の想いを継いでくれるかもしれない。

 ボクとあの子と彼。

 三人で過ごした心地いい時間を取り戻せるのかもしれない。

 我ながらバカげている、と思う。顔と名前が似ているだけの他人を代わりと見做すなんて、どうかしている。


 けれども――彼女は“それ”を求めている。

 だったらお互いに利用しあえばいいじゃないか。


「いいよ、教えてあげる」

「…………」

「少し個人的な話になるのだけど、いいかな?」

「えぇ。覚悟はしてます」


 ぱちぱち、と頭の中で何かが弾けた。

 世界が色づいていく。あの子がいなくなってから、凍りづいていた世界が、色づく。ボクは愛おしく鮮やかな過去を彼女に語る。


「彼には、とても大切な妹がいたんだよ。もう亡くなってしまったんだけどね。名前は美緒ちゃん。美しい玉の緒と書いて、美緒」

「……名前が、同じ」

「うん、でも名前だけじゃないよ。顔も、声も、表情も、美緒ちゃんによく似ていた。あの子は小学三年生になる頃に死んでしまったけれど……きっと育てば、澪ちゃんにそっくりだっただろうね」

「……っ」


 だから彼は今、葛藤しているのだと思う。

 彼女を美緒ちゃんの代わりとして見ていいのか、と。

 美緒ちゃんの正しさが彼を守る限り、きっとどこかで思いとどまってしまうだろう。じゃあ、どうすれば彼に踏み出させることができる?


「彼は、美緒ちゃんをとても大切にしていてね。妹としてだけじゃなくて、一人の女の子としても愛していた。だから、美緒ちゃんが死んでしまってから、ずっと苦しんでいるんだと思うんだ。澪ちゃんも、覚えはない?」

「……明確には、ないですけど。もしかしたら、ということはあります」

「そっか」


 ――答えは簡単。

 美緒ちゃん自身に背中を押させればいいんだ。

 

「もしかしたら、澪ちゃんは彼に寄り添ってあげられるかもしれないね」

「えっ……?」

「彼は恋人ではなく、妹の代わりを求めている。だから彼の恋人になろうとしている澪ちゃんの妹ではなく、澪ちゃんなら、彼に寄り添って救ってあげられるのかも」

「……それって」


 どこからか風が吹き込んで、澪ちゃんの髪が靡いた。

 あの子と同じ長さの、あの子と同じ色のいい黒髪だ。


「澪ちゃん。お姉さんからの、お願いだよ。もしも彼のことを大切に想ってくれるのなら――彼に寄り添って、一緒に堕ちてあげて?」


 澪ちゃんは、目を見開いて、それからきゅっと唇を引き結んだ。

 曇り空のような逡巡の後、私はもう行きます、とだけ告げてその場を去る。


「美緒ちゃんの想いは終わらせないよ」


 全てはボクのカミサマのために。

 舞い散る桜に、あえかな信仰を捧げた。

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