7章#41 眠れぬ街の美女
SIDE:友斗
「くあぁ……やべ、寝落ちしたか」
気付けば寝ていて、そして起きていた。まだ朧気な意識の中で数度の欠伸をし、口の中に空気を頬張る。
秋の朝特有のやや冷たい空気を吸ったら、少しは覚醒してきた。次第に昨日のことを思い出し始め、しまった、と思う。
「しずく――は、いないじゃん」
昨日は雫の話を聞いたあと、久々に二人でゲームをしていた。そのはずだったんだが……雫がいるべき場所には誰もいない。
パソコンはシャットダウンされて枕元に置かれ、イヤホンとマウスがまとめられていた。完全に俺が寝落ちし、雫が呆れたパターンだ。
「我ながら最低すぎる……」
寝不足だったくせに徹夜しようとした無謀さのせいで、若干体が重い。ぐーっと伸びをしてから、とりあえずベッドから起き上がる。一瞬千鳥足になって、いよいよダメさ加減が極まってるな、と苦笑した。
そもそもである。
よく考えてみたら、頭がおかしいのだ。病み上がりの雫と一緒に徹夜でゲームとか、澪にバレたら怒られかねない。大河に知られようものなら怒られるだけじゃすまないだろう。修学旅行をサボって何やってんだ、という話だ。
そのうえ、寝落ち。病み上がりの雫を差し置いてぐっすり寝るとか、マジで最悪すぎる。これは刺される姿をクリスマスに全世界配信されるのが伝統になってもおかしくないレベル。
そんなことを思いながら時計を見て、更に居た堪れない気持ちになった。10時よ、10時。堂々と休みの日の寝方をしてしまっている。
反省しつつ、とりあえずリビングに向かう。
きぃ、きぃ、きぃと階段の音。
ぼやけ混じりの意識の中で、ふかふかと温かい匂いが漂っていることに気付いた。
「友斗先輩、おはようございますっ!」
「んあ。雫……おはよう」
「もうご飯できるので、顔洗ってきちゃってください。ひっどい顔ですよ~」
「うい」
ん……? 今、なんかいつもと違かった気がするんだが。
何が違ったかなぁと思いつつ顔をぱしゃぱしゃと洗い、ついでに水道水でガブガブとうがいをした。ふむ、だいぶ目が覚めたな。
そうしてリビングに戻ると。
エプロンを着けた雫が、食卓に朝食を運んできていた。
今日のメニューは……あれ?
「うどんって……昨日、作らなかったか?」
「むぅ。なにか文句でもあるんですかー?」
「いや、文句はないんだけどさ。連日食うのは飽きないのか、と思って」
言うと雫は椅子に座りながら、ふふんと笑う。
俺の席を指でさすので、俺はこくと頷いて座った。二人で『いただきます』と口にして、うどんを食べ始める。
雫のうどんは、めちゃくちゃ美味しかった。朝食べたくなる、程よく優しく染みる味だ。
「ふふー♪ どーですか、友斗先輩?」
「どうって……めっちゃ美味いけど」
「ですよねー」
えっへん、と胸を張る雫。
それを見て、俺は雫がうどんを作っている理由を悟った。
「つまりあれか。俺より自分の方が料理の腕が上だと証明したかった、と」
「正解です♪」
にんまりとブイサインを見せる雫。
くいくい、とカニみたいに動く人差し指と中指が可愛らしい。
そっかと漏らしてから、美味いよ、と改めて呟いた。
「あ、それと。他の誰かに一番乗りされたくないから、今言うんだけどさ」
「んー、なんですか?」
「――誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて嬉しいよ」
雫にそう言ってもらえて、俺はとても救われたから。
しかし雫は、くすくすと笑って首を横に振った。
「残念でしたね、友斗先輩。既にお姉ちゃんと大河ちゃんからメッセージが来てます」
「なっ……そりゃ、そうか。こんな時間だもんな」
「そーですよ、こんな時間ですから。とんだ寝坊助さんでしたもん」
それは、完全に失敗した。つーか本当は日が変わるまで粘って、誕生日になった瞬間に言うつもりだったんだけどなぁ。そこまですら粘れなかったとか、我ながら情けない。
苦笑していると、
「でもね、友斗先輩」
と、呼ばれる。
そこでようやく、違和感に気付いた。
呼び方がいつもと違う。『先輩』の頭に、俺の名前がついている。
ハッとしている俺を、雫は最高の笑顔で照らしてくれていた。
「大好きなお姉ちゃんに祝ってもらえて、大好きな親友に祝ってもらったけど――それでも、一番嬉しかったですよ。大大大大大好きな先輩からの、おめでとう、が」
「……ッ」
「だから私、百瀬雫16歳はここに宣誓しようと思います。私の
雫は胸に手を当てて、にこっ、と満面の笑みを浮かべる。
まるで『月』みたいだな、とタロット占いを思い出す。
キラキラしてるに決まってるその表情からそれでも目を逸らさぬようにして、俺は頷いた。
「私、百瀬雫は今日から本気で
「……っ、ああ」
「よ~く覚悟しておいてくださいねっ? 私にとっては友斗先輩の方が攻略対象なんですから!」
やっぱり、凄く眩しかった。気恥ずかしくて、もどかしくて、歯痒くて、雫の笑顔から目を逸らしそうになりながら思う。
日常の雫一滴一滴を大切に集めたら、どうしようもなく幸せなその日に辿り着けるのかもな、って。
――だからこそ。
直視できないなんて言い訳はしない。
「なぁ雫。改めて言ってもいいかな?」
「……何をです?」
「誕生日おめでとう。新しく生まれてきてくれてありがとう。おかげで、雫のことをもっと好きになれそうだ」
「~~っ!」
救うためでも恩返しのためでもなくて。
俺はただ、湧きおこる感謝を花束にして手向けた。
「せ、先輩の女たらし! そーゆうことばっかり言ってるからこんなことになっちゃうんですからねっ!?」
「こんなことって?」
「知りませんっ!」
ぷいっ、と雫が顔を逸らす。
朱の差したその頬はまるでさくらんぼ。窓から入ってくる日光が彼女を照らしていた。
夜が明けて、朝がやってくる。
毎日はきっと不変ではなくて、いつかこの心地いい日々も姿を変えてしまうのだろう。
どこかの街の朝が別の街の夜とセットであるように、誰かの望みが叶えば他の誰かの望みはきっと叶わない。
だから朝は時々落ち着かなくて、夜に何かを置き去りにしたんじゃないか、って不安になったりもする。
それでも――。
この子がいるならきっと怖くない、って思えるのだった。
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