7章#10 月下美人

 ――夢を見ていた。

 その夢を夢だと判別できたのは、頭の片隅に今日がハロウィンだという意識が残っていたからだろう。ハロウィンは日本のお盆に似た、死者の魂がこの世に帰ってくる日らしい。だから夢に出てきてくれたのだろう。


「美緒?」


 その女の子は、記憶にある姿よりもずっと成長していた。

 もし生きていたら中学生だ。俺の母校の制服を着た、澪と似た顔の少女。髪はモブヘアーで、理知的な眼鏡をかけている。

 一目で分かった。

 彼女は美緒だ、と。


 ここは……ああ、家の近くの公園か。

 ベンチに座っている彼女に声を掛けると、美緒はふっと微笑んだ。


「待ってたよ、兄さん」

「待ってた?」

「うん。今の兄さんには帰る場所があるから……ずっとここにいようとは思わないでしょ?」


 なるほどな。

 確かにそうだ。少し前なら、美緒と会える夢の中で生きていたいって思っていたかもしれない。でも今の俺には生きていく居場所があるから、夢から出ていくことをちゃんと選べる。


「――って兄さんが思ったから、こうして安心して私の夢を見れるようになっただけなのかもしれないね」

「……だな」


 所詮は夢だ。美緒が生き返ったわけではなく、俺が見たがったから見れている。そういう捉え方もあるし、多分真実に近いのはこっちだ。

 まぁどちらでもいい。

 ちょうど、美緒に会いたかったから。


「……兄さんは元気にしてる?」

「うん、してるよ。忙しくて眠れないときも多いけどな」

「生活リズムを崩すのはよくないよ。兄さん、そういうところあるからなぁ……」

「うっ」


 どうして夢の中でまで美緒に叱られてるのか。しかも睡眠不足を。


「で、でもな? 頑張ったおかげでようやく向き合えたんだよ。澪の知らなかった一面を知れたし、大河に押し付けてた幻想も晴らした。今の俺は、三人と真っ直ぐ向き合えてると思う」

「そっか」

「ありがとな、美緒」

「……どうしてお礼?」

「あの三人と出会ったり再会できたりしたのは、美緒との初恋のおかげだから」


 きぃ、こぉ、とシーソーの音が聞こえた。

 風が吹き、ブランコが少しだけ揺れる。誰のこともおんぶできない滑り台は、少し寂しげに佇んでいた。


「悔しいけど、嬉しい」

「それって……」


 月瀬も使っていた、とあるキャラクターのセリフの引用。

 これは俺の夢だから、美緒が紡ぐ言葉も、今の俺の記憶が構成しているのだろう。でも悲しくはならない。この夢が作り物であることは自覚しているから。


「ねぇ兄さん。そろそろ新しい恋、始められそう?」

「それは……どうだろうな。まだ分かんない。向き合ってはいきたいんだけど」

「だけど?」


 胸に痞えたものの正体を確かめるように、俺は言葉を選ぶ。


「まだ見えてないものがあるんだ。……って、違う。この言い方もなんかしっくりこない。ただ、なんかモヤモヤするんだよ。恋とかそういうのを考える前に、向き合わないといけないことがある」


 それが何なのかは分からない。

 でも、その“何か”から目を背けるのはダメだと思うんだ。

 それに、


「雫のことも見えてない。雫にも色んな幻想を押し付けてる……はずだ」


 思えばずっと、雫は綺麗でいい子だと思っていた。

 でもそんな風に一方的にイメージを押し付けるべきじゃない。大河と向き合ってみて、そのことを痛感した。

 どうすれば向き合ったことになるのかも定かじゃないから、まだすべきことは不確かだけれど――。


「兄さんの物語はまだ途中なんだね」

「……うん。でもいつか、きっと新しい恋をすると思う」


 そっか、と美緒が微笑む。

 彼女は眼鏡を外す。すると、その眼鏡はしゅわしゅわと溶けて、一輪の花へと姿を変えた。

 この夢が匂いを伴わないことに、香りのしない白い花を見て気付く。


「その花は?」

「月下美人。そろそろ季節から外れちゃうんだけどね」

「これが……」


 聞いたことはある。

 年に一度、夜にしか咲かないときもあるという花だ。

 まるでこの夢が最後だと言われているような気がして、ふっ、と微笑みながら花を受け取った。


「兄さん。勘違い、しないであげてね」

「え?」

「気付いたきっかけは私だったかもしれない。でも本当はずっと宝箱にしまっていた、大切な想いだから」


 花びらみたいに美緒だった夢の欠片が舞う。

 夢の出口へと進んだ俺は、大丈夫だよ、と呟く。

 勘違いなんかしないさ。

 美緒との初恋のおかげで出会えたのだとしても、彼女たちを美緒の代わりになんかしないから。



 ◇



「ん、んぁ……」

「あっ、やっと起きた! そろそろ昼休み終わっちゃうよ」

「月瀬? ……昼休み?」


 しょぼしょぼとした目をこすり、俺は辺りを見渡した。

 目覚めたのは生徒会室。向かいの席に座る月瀬が、少し呆れた笑みを浮かべているのが見えた。


「せっかく一緒にいられると思ったのに、しれっと居眠りしてるんだもんなぁ……いくら教室から逃げる口実とはいえ、もうちょっと真面目に生徒会活動をしてほしいなぁ」

「教室……ああ、やっと思い出した」


 今は31日の昼休み。

 どこもかしこもハロウィンムードすぎて馴染めなかった俺は、生徒総会の準備をするって理由をつけて生徒会室で昼飯を食うことにした。似たような理由(びっくりすると心臓に悪いから)で教室から逃げてきた月瀬と遭遇し、二人でだらだらと時間を潰していた……ところまでは意識が残っている。

 ってことは、その流れで弁当を食い終わってすぐに寝ちゃったんだろうな。そりゃあ美緒に寝不足を叱られるわけだ。


「まったくもう。まぁ気持ちよさそうに寝てて可愛かったし、いいんだけどね」

「なっ……そう言われると一気に恥ずかしくなるんだが? 寝顔とか見るんじゃねーよ事務所NGだっつーの」

「勝手に居眠りした百瀬くんが悪い!」


 顔が熱くなっていくのを感じ、ぷいっとそっぽを向く。

 涎を垂らしてはいなかったかと口許をごしごし拭った。


「こんなところで寝るもんじゃないな。体中が痛い」

「それね。……もっと早く起こした方がよかった?」


 申し訳なさそうに月瀬が聞いてくる。

 俺は眠っていた間に見た夢を思い出して、いいや、と首を横に振った。


「体は痛ぇけど、結構気持ちよく寝れたから」

「ならよかった」


 いい夢を見たと思う。

 俺が望んで作り出した幻想だったとしても、今と向き合うのには欠かせなかった。


「それはそうと、百瀬くん。今日はハロウィンらしいよ」

「何を分かり切ったことを……だから避難してきたんだろ」

「まあね。でも、あたしもちょっとはハロウィン気分を味わいたかったりするんだよ。ほら、夏とおんなじで」

「……また俺に何かしろと?」

「嫌そうな顔! 流石にあのときみたいなことを言わないよ。夏とハロウィンを同列に扱うのも夏に悪いしね」


 じゃあなんだ?と視線で尋ねると、月瀬はラッピングされた何かを渡してきた。


「えっと、これは?」

「パウンドケーキだよ。お菓子作るの、結構好きなんだ」

「ほーん……で、これをどうしろと?」

「食べる以外にある!? いや、この場でとは言わないけどねっ?」


 どうやら、月瀬は手作りのお菓子をくれるらしい。

 ……何故に?


「ありがたいし、普通に甘いの好きだから貰うが……別に俺、トリックオアトリートとか脅してないよな?」

「それを『脅す』って表現するのは違うんじゃないかな、ってツッコミはさておくとして……これはあれだよ、あれ。上納金的なやつ」

「俺をなんだと思ってるの!?」


 あと、ハロウィンをなんだと思ってるんだ……?

 今年だけでハロウィンの概念がどんどん変わっていく。こうして価値観がアップデートされるのかしら。やだわぁ。

 ま、まあ、何はともあれ。

 くれるって言うのであれば、ありがたくいただくとしよう。


「しょうがない。お返しに放課後、俺のブラックガムも何粒かプレゼントしてやろう」

「それ、上納金の意味なくない?」

「ブラックガムはやっぱりトリック側かぁ……」

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