4章#26 次の季節に進んでみせる
「おお……っ、夜だと微妙に冷えるな」
「ですねぇ。お姉ちゃんが上着持ってきててよかったです」
「うん、私もよかったよ。雫が風邪引いたら悲しいし」
月下、俺たち三人は近所のコンビニまで歩いていた。
そう三人である。
アイスでも買いに行こうと言い出した時雨さんはここにいない。祖母ちゃんに手伝いを頼まれてしまったのだ。
流石に雫や綾辻を残して手伝いに回すのも気まずかろうという判断により、結果としてこの三人になったわけである。
まぁ俺抜きで三人で話されるのも、それはそれで何を話すのか分からなくて微妙に不安になるし、これでいいんだけどさ。
そんなわけで時雨さんからは幾つか欲しいアイスの候補を貰っている。こういうところは子供だよな、とちょっと可笑しく思った。
夜風で冷える肌を掌で擦っていると、雫が口を開いた。
「先輩の親戚の人、みんな優しくて面白くて、いい人でしたね」
「急だな……」
「それは、今日は先輩とこうしてゆっくり話せるタイミングがなかったですから。ずっと思ってましたよ。いい人だなぁ、あったかいなぁって」
そうだね、と綾辻は雫の言葉を引き取った。
「みんな元気で、少しびっくりしちゃったけどね。お義父さんがいつも静かに見えるのって、ママがうるさいからなんだなぁって気付いたよ」
「確かに! 私はそれも思った!」
二人の感想に苦笑する。
父さんは父さんで割とうるさいけど、あれは基本俺に対してだもんな。雫や綾辻には比較的大人しいかもしれない。
まぁいい年こいたおっさんが義理の娘相手にノリよすぎるのも引くし、あれくらいでいいと思うけどな。
だから、と話を区切るように雫が優しい声を出す。
「やっぱり家族って似るんだなぁ、って思いました。先輩も優しくて面白くていい人ですから」
「何故だろうな。褒められてるはずなのに、あの人たちと似てるって言われると複雑な気持ちになる」
「そーやって! 誤魔化すところが先輩らしさなのかな、とか思いますけど」
「…………はぁ」
敵わねぇな、ほんと。
何もかも見抜かれてしまう。付き合いが長いのも考えものだ、と思えてしまうくらいだ。
「でも、そう言う二人だってもう、家族なんだからな?」
話を逸らすためにそう指摘すると、雫はくすぐったそうに笑った。
ですねー、と雫が相槌を打つと、綾辻は微笑混じりの声で言う。
「入江さん以外にはまだ隠してるけどね」
「まぁ、それはな。吹聴して回ることでもないし」
俺たちが義兄妹だと話したことについては、既に二人にも伝えている。そういう意味では俺たちの関係を秘密にしきれていないわけだが……大河はあくまで特殊なケースだろう。
実のところ、どこかでうっかりバレるんじゃないかと思っていた。というか、ラブコメディならそろそろバレないと話がダレてくる頃だ。
どうしてこうも楽に隠し通せているのか。
その理由は幾らでもあるだろうが、その中でも分かりやすいのは――
「私と百瀬は友達がいないしね」
「えっ、あ、おう――いや待て!? 友達はいるからなっ?
「片手で数えるほどでしょ。そんなの四捨五入できちゃうから」
「大事な友達を四捨五入すんじゃねぇ!」
ぷっ、と雫が吹き出して楽しそうに笑いだす。綾辻もそれに続いて、どこか楽しそうに破願した。
その光景が欺瞞なのか、それとも未来の前借なのかが分からなくて、俺は口にしようとした言葉をぐっと呑み込む。
『義兄妹なんかよりも分かりやすくて鮮烈な関係になったからだろろうな』
そんな俺たちの関係を隠し通せた明け透けな理由を声に出してしまうのは、憚られた。
くぉぉぉぉん、と自動車が道路を走る。
ざー、ざー、と海の気配を感じる気すらした。
雫は、綾辻は、何を考えているんだろう?
望んでくれていたらいいな。こうして皆で過ごす、ありふれた青春の一時を。
そんな風に思いつつ、ようやく近づいてきたコンビニへ目を遣った――そのときだった。
「――……っ?!」
嘘、だろ……?
信じられないその姿に足を止めると、雫が不思議そうにする。
「先輩、どーかしました? もしかしてお化けとか……」
「え、お化けじゃなくて……いや、生霊なのか?」
「百瀬にわざわざ取りつく生霊もなかなかいないと思うけど」
「だよなぁぁ?! ってことは、あれは――」
信じられない
「百瀬先輩。人を指さすのはやめてください。不快です」
「い、いやそういっても……どうして大河がここにいるんだよッ!?」
「それはこっちの台詞です。会えるのは明日だと思っていたんですが……」
「おい待て。その言い方だと、会うのは分かってたみたいに聞こえるんだが?」
ここにいるはずがない大河は、少しだけ雫に似た悪戯っぽい笑顔で言った。
「はい、そのことは分かっていましたよ」
◇
「で、どういうことなのか説明してくれるか?」
「そうですね。本当は明日、雫ちゃんにだけこっそり話してから会うつもりだったんですが……こうなっては仕方がありません」
大河と遭遇するという、唐突なイベントから数分後。
四人でコンビニ前にたむろするのは迷惑だろうと大河が言い出し、俺たちは二手に別れることになった。
雫と綾辻はコンビニで買い物、俺と大河はコンビニ前で状況説明。
桃太郎とお爺さんとお婆さんを彷彿とする。嘘、するわけがない。頭が混乱しすぎですね、俺。
「簡単に説明すると、私の実家もこの辺りなんです。それで……百瀬先輩もこの辺りだと知っていたので、お会いできると思っていました」
「なるほど。あれ、俺の実家がこの辺だって言ったことあったっけ? 雫から聞いたとか?」
違いますよ、と大河は首を横に振った。
「百瀬先輩は覚えていないでしょうけど……小さい頃、私は百瀬先輩と会ってるんです」
「…………マジで?」
「はい。何年前のことなのかは分からないですが、あの頃、百瀬先輩の隣には小さい女の子がいました。きっとあの子が美緒さんなんですよね?」
「えっ」
思わず息が詰まってしまう。
喉元で堰き止められた感傷に、こみあげる記憶が追いつく。その思い出は、しゅわりとサイダーの泡のように弾けた。
甘くて、苦くて、痛くて、淡くて……っ。
『兄さん、ダメだよ。一人でいたい人だっているんだから』
蘇る美緒の言葉。
湿ったその肌触りと共に、俺は大河のことを思い出した。
「あのぼっちか!」
「っ、最低の思い出し方をしないでください!」
「あっ、悪ぃ。最初の印象がそれだったからさ」
あれは小学四年生の夏だった。
時雨さんたちが帰省するのが遅れていたから、俺と美緒は二人で街を歩いていた。そんなときに出会ったのが、一人で過ごしている金髪の女の子だったわけだ。
紆余曲折あって俺は彼女と友達になり、その夏を共にした。
しかし――次の春には美緒が死んでしまった。
だからだろうか?
今日の今日まで大河のことだと気付けなかったのは。
「美緒さんがもういないと聞いて、正直すごく哀しかったです。初めての友達でしたから」
「……そうか」
「だからこそ、百瀬先輩がちゃんと美緒さんに向き合えるように、私が傍にいて差し上げます。これはあの夏の恩返しみたいなものなんですよ」
りんりん、と鈴虫が鳴いていた。
花火みたいに咲った大河は、こちらをじっと見つめる。大河は、笑えてしまいそうなくらいに頼もしかった。
「そっか」
「はい。だから――」
「向き合うよ。ちゃんと次の季節に進んでみせる」
美緒が死んだ春をなあなあに生きて、俺は不確かな夏に足を突っ込んだ。
けれどその夏で雫に出会ってしまった。
あれから俺は、ずっと足踏みをしている。
そうですか、と大河が頷いた。
それから俺たちはぽつぽつといつもRINEでしていたような取り留めのない会話をして、雫と綾辻が出てくるのを待った。
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