1章#27 走る
新学期が始まって二週間ほどが経つと、教室の情勢もだいぶ安定してくる。
仲がいいメンツとクラスが分かれてしまった者も座席や趣味嗜好、部活動などの繋がりから新しい友達を作っていた。
スクールカーストを扱ったラノベのように教室の情勢を分析することは容易いのだが、それをするといよいよぼっち主人公っぽくなってしまうので遠慮しておきたい。最近はリア充主人公も増えているが未だにマイノリティーだしな。
いいや、そんな心配をする必要もあるまい。
何故なら!
今年の俺は、ちゃんとクラスメイトと話しているからだ!
からだ、からだ、からだ……(哀しい反響)。
「……主に綾辻姉妹二人のことで話しかけられるんだけど、俺ってマネージャーか何かなのか?」
「ははっ、マジどんまい」
空がどんよりと曇った火曜日。
更衣室で体育着に着替えながら愚痴ると、八雲が苦笑いしながら背中を叩いてきた。
八雲とこうして話すのにもだいぶ馴染んだものだ。二週間の長さと八雲の懐に入る早さに思いを馳せつつ、ムッと言い返す。
「お前は当事者じゃないからそういうことを言えるんだ。実際にあの二人について聞かれてみろ。そこまで知ってることがない上、ちょっとでも口を滑らせたら綾辻さんに何されるか分からないんだぞ?」
「綾辻さんへの謎の怯えようはさておき……おかげで反感買わずに済んでるんだし、結果オーライだと想おうぜ」
「……まぁ、そうなんだが」
綾辻と雫と共に昼食を摂るようになってから二週間ほどが経ち、クラスの奴らも俺が二人と程々の関係を築いていることには違和感を抱かなくなった。
だが、それに伴って俺から二人の情報を得ようとする輩が増えたのだ。特にクラスの男子に。
おかげで妬まれずに済んでいるので、八雲が言うように結果オーライな面は否めない。でもそれはそれ、これはこれ。
クラスの奴らに話しかけられて密かにガッツポーズしていたのにあの二人の話だったときの悲哀と言ったら酷い。あとぽろっとまずいことを言わないように注意するのが怠い。ぶっちゃけそっちのがデカいね。人に話しかけられないのには慣れてるし……。
そんなことを思っているうちに俺も八雲も着替え終わったので更衣室を出る。
向かう先はグラウンド。
そろそろ授業も始まるので少し早足になった。
「二人が誰かと付き合ったら変わるのかもな」
道すがら、八雲がぼやく。
言わずもがなさっきの話の続きだ。
「それはないんじゃねぇの。多分、あの二人は誰とも付き合わなそうな気がする」
「そいつはまたどうして? 二人とも可愛いじゃん」
不思議そうに八雲が首を傾げた。
もっともな反応だ。俺は靴を履き替えながら付け加えて言う。
「可愛いからって誰かと付き合うわけじゃないだろ。恋愛に興味がないとか、高校生のうちは恋するつもりないとか。そういうのがあるんじゃねぇの。知らんけど」
とんとん、とつま先で地面を叩いて靴を足に馴染ませた。
横を向くと、八雲がやたらと楽しそうにニヤニヤしている。
「さっすがマネージャー」
「マネージャーじゃねぇつってんだろ! ほら、チャイム鳴るからさっさと行くぞ」
「へいへーい。じゃあよーい」
「やらないからな?」
「どん!」
「やらないからなっっ!」
とか言いつつ走っちゃうあたり男の子ってほんと馬鹿。
◇
体育が男女で分かれたのは、確か中学生になってからだった。更衣室が分かれたのもそれくらいで、小学校の頃は教室にカーテンを敷いて男女を分けていたように思う。
その頃には男女別の保健の授業も始まっていたっけ。
在りし日の思い出 (保健体育)に浸っている俺は今、ぼーっと女子の体育を眺めていた。
今日の体育は、男子も女子もグラウンドで100m走のタイムを計測することにたっている。何しろ体育祭が5月下旬に待ち構えているからな。
とはいえ、基本的にうちの学校の体育は二クラス合同だ。
100m走のタイム計測ともなると待ち時間もかなり長く、その間は好きに過ごしていいとご達示を受けている。
本気の体育会系はウォーミングアップをしているが、大抵の男子は俺のように女子が頑張って走っているところを眺めていた。だから俺は変態じゃないよ、うんうん。
「お、次、綾辻さんだぞ」
「やっとかぁ。B組から計るって言われたときは焦らされた気分だったけど、これはこれでいいな」
「それな。あ、お前次だぜ」
「は? 嘘だろ……そんな殺生な」
「いいから行けって。遅れると怒鳴られるぞ」
「そうだーそうだー」
「ぐぅ……おのれ……この恨み、忘れないからな」
以上、男子たちの会話でした。
雫が教室に来たときの反応とかでも思ってたけど、高校二年生って案外馬鹿なのかもしれない。
っていうか、綾辻人気すぎない? 3位なのにプチアイドル扱いなんだけど?
当の本人は、男子たちが言っているようにスタートラインで準備をしていた。
一つ前の組のタイムを係の生徒が記録し終えると、綾辻ともう一人の女子に合図が出る。二人はクラウチングスタートの構えを取った。
「あれ、後ろから見たかったな」
「……天才かよ」
「変態博士だな」
……馬鹿は放っておこう。
今一度綾辻の方に目を向ける。
係の生徒は先生に合図に従い、よーい、と言って手を挙げた。きゅっ、と綾辻が腰を上げる。
「どん!」
勢いよく下がる腕。
それと同時に綾辻が走り始めた。
そのフォームは、まるで教科書にでも載っていそうなほどに洗練されていた。
低姿勢から、だんだんと体を起こす。
体の重さなんてどこかにポイ捨てしたかのように、みるみる加速していく。
何者にも止められない疾風。
或いは、目にも止まらぬ迅雷。
そのどちらかだと錯覚するほどに美しく、速い。
ああ、やっぱり速いな。
中学校の頃から綾辻は運動が得意だった。足は女子の中ではダントツで速く、各種の競技もずば抜けた活躍をしていた。完璧超人の時雨さんよりも凄いんじゃないだろうか。
綾辻澪らしい綾辻澪の姿に、ほっと安堵する自分がいる。
あの子は綾辻澪だ、って。それ以外の誰でもない、って。そんな風に、自分の間違いを正すことができるから。
はらはら、ちりちり、眼前に春の幻想が浮かび上がる。
『ねぇ、兄さん』
俺を呼ぶ妹の顔は、綾辻と瓜二つだった。
「――っっ」
寒くもないのに鳥肌が立つ。
嫌な汗が額に滲む。
飲み込んだ唾が、鉛のように感じられた。
「綾辻さんってあんなに速いんだな……って、友斗。顔色悪いぞ?」
肩を小突かれて初めて、綾辻がゴールしていたことに気付く。
ハッとした俺は咄嗟に淡泊な表情を取り繕った。
「悪い。走るのが憂鬱すぎて別のこと考えてた」
「そんなにかよ……」
「ちょっと不安になってきたし、水でも飲んでくるわ」
「了解」
八雲に言い残し、グラウンドから少し外れた水飲み場に行く。
先客がいたのに気付いたとき、俺は自分の浅慮を呪う。先客は、綾辻だった。
「百瀬じゃん」
周囲に生徒がいないからだろう。『くん』を付けずに綾辻が俺を呼ぶ。
がぶがぶ水を飲んだ綾辻は、口元を手首のあたりで拭っていた。手はクラウチングスタートで汚れたらしい。
「おう。相変わらず運動だけは凄いな」
「夜の運動とか、超セクハラだから」
「言ってねぇよ!」
冗談だよ、と綾辻が微笑んだ。
こんなところで下ネタを言うなんて綾辻らしくない。どうしたのかと不思議に思っていると、月の光みたいに優しい声が返ってきた。
「浮かない顔してたから、
「……っ」
違うとも違わないとも言いたくなくて、俺はぎゅっと唇を噛んだ。綾辻が、一度ゆっくりと瞬きをした。
「ま、なんでもいいけど。私はそろそろ行くから」
「お、おう。ありがとな」
「別に。自分のセフレがひっどい顔してるのに何もしないのは、流石に女が廃るかなって思っただけだから」
――セフレ
綾辻が口にした言葉が、見失いかけていた境界線を取り戻してくれる。
あぁそうだ。そうなのだ。
百瀬友斗と綾辻澪はセフレ。セックスをするための関係であり、世界で一番、兄妹からは遠いはずだ。
それなのに、
『ねぇ、兄さん』
澪と美緒が重なって、離れてくれない。
告白しよう。
澪と美緒は、よく似ているのだ。
まるで美緒の亡霊だ、と思えてしまうほどに。
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