地獄、あるいは灼熱のお遍路(四国巡礼日記 second season)

土橋俊寛

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JR土讃線の伊野駅からドラゴンバスに乗り、土佐市内の停留所でバスを降りた。ドラゴンの水色の車体ははっきりと記憶に残っていた。それに引き換え、停留所付近の風景にはどことなく見覚えがあるものの、前回のお遍路を区切ったのが確かにこの場所なのだと断定できるほどではなかった。実際、どちらの方角に向けて歩き出せばよいのか、私にはよく分からないのだった。それでも、ともかく、およそ四か月ぶりに、私は再び四国へ戻ってきたのだ。


「真夏のお遍路は地獄だよ」とは前回のお遍路でも散々聞かされていた。あるいは自分自身の経験から、あるいは誰かの経験談から、千二百キロを歩くという酔狂な目的を共有する新参の歩き遍路に向けての思いやりたっぷりの助言だった。それにもかかわらず私が八月を選んだのは、地獄の苦しみの中にこそ修行の真髄があるのだ、などという神妙な考えを抱いたからではない。そうではなくて、単に日程上の都合である。私は一年以内に結願することを目指していた。そして、その目標を果たすためには、夏季休暇を利用してある程度の距離を稼いでおくことが必須だった。


昨日、私は岡山駅で新幹線から在来線へ乗り換えて高知県に入ったのだが、その行程のどこかで私は麦わら帽子をなくしてしまった。数年前に沖縄県で開かれた研究会に参加した際に手に入れた代物で、値段は安かったがお気に入りの愛用品だった。それだけにどこかに置き忘れてきてしまったのはショックだったが、実用的な意味でも損失は大きかったのだ。つまり、真夏の太陽が容赦なく照り付ける中、日除けなしに長時間歩き続けるのは自殺行為に等しいのである。


私は歩き始めてすぐにそのことを思い知ったが、何でもよいから帽子が欲しいと思っても、帽子を売っていそうなお店など全然見当たらない。青龍寺まで後一時間ほどという場所で道沿いに立つコンビニに入り、私はようやく安物の麦わら風帽子を手に入れた。帽子は海水浴グッズを集めた一角に並んでいた。そう言えば、私はずっと左手に海を見ながら歩いてきたのだった。


横波半島へと続く赤塗りの長い宇佐大橋を渡り切ると、道が二手に分かれていた。選択肢は県道を行くコースと旧へんろ道で、前回の教訓を活かして今回新たに持参した歩き遍路用の地図帳を開くと歩く距離にはほとんど差がない。今日はまだ遍路道らしい道を歩いておらず、私は迷わず旧へんろ道を選択した。


三百メートルほどを一気に登って峠の頂に出ると、そこから青龍寺まではおおむねなだらかな下り坂だ。前回の歩き遍路では、急傾斜の険しい山道を何度も経験したはずなのだが、どうやら経験値はリセットされてしまったらしい。このなだらかな下り坂で私は何度もつまずき転びかけ、いずれ出会うはずの、まだ見ぬ遍路ころがしを頭に浮かべ、先が思いやられた。もっとも、好意的に解釈すれば、これは今後のための良い予行演習になったと言えるかもしれない。


それにしても、今回のお遍路のスタート地点であるバス停から青龍寺まではわずか十キロだというのに、十キロとはこんなにも長い距離だっただろうかと首を傾げた。四か月ぶりのお遍路で身体がまだ慣れていないこともあるが、暑さが体感距離を大幅に引き延ばしているようだった。

宇都賀山に囲まれた三十六番札所青龍寺の境内では虫や蝉、鳥の声が四方から折り重なって聴こえてくる。木陰を作り、日差しを遮ってくれる樹木の存在がありがたく、私はいたく感動した。


納経所の先にある長い階段を登ると大師堂、本堂、薬師堂が横一列に並んでいるのが見える。なんでもこの配置は唐にある本家の青龍寺と同じらしいのだが、本家の境内もこんなに小ぢんまりとしているのだろうか。


久しぶりのお参りで、私は手順を思い出しながら般若心経と真言を唱えた。納め札を持参するのを忘れてしまい、手を合わせながらご本尊の波切不動明王とお大師様にご寛恕を乞うた。


納経所では荷物台の上に白いぶち猫が寝そべっていた。きっと、ここが青龍寺の境内で一番涼しい場所なのだ。納経帳に墨書と朱印を頂くと、お遍路の感覚がようやく蘇ってきたようだった。


納経所の方が「おすがたをどうぞ」と言いながら、縦十五センチ、横十センチほどの白紙にご本尊様の姿が印刷された「御影」を手渡してくれた。御影にはご本尊様の姿と一緒に札所の番号や寺院の名前も印刷されており、一種のブロマイドのようなものだと言ってよいだろう。札所によってはご本尊様が公開されていないこともあり、その場合には頂いた御影でのみ仏様の姿を拝むことができる。前回はお大師様とご本尊様の御影を二枚一組で頂いていたのだが、今回はご本尊様の一枚のみである。それが不思議で理由を尋ねてみると、どうやらお大師様の御影の配布は期間限定だったらしい。前回がラッキーだったというわけだ。


青龍寺という寺名から力士の朝青龍を連想する人がいるかもしれないが、これは順番が逆である。朝青龍の母校は青龍寺からほど近い明徳義塾高校で、かの横綱力士は毎朝、境内の石段を上り下りしながら身体を鍛えていたそうだ。そして、トレーニングでお世話になった青龍寺が四股名の由来というわけなのである。そう言えば、前回のお遍路では阿波の難所・焼山寺道を走って上り下りしながら修行中というお坊さんと話したことがあった。お寺というのは修行や稽古にうってつけの場所なのだろう。


境内を吹き抜ける小風が気持ちよいが、そろそろ出発しなくては。


青龍寺まで十キロほどの道のりは良い肩慣らしになったが、本日の難所はこの後に控えている。次の岩本寺はここから五十キロ以上も離れているため、今日中にたどり着くのはそもそも不可能なのだが、問題は、宿が集まる須崎市の市街地までの距離が二十五キロもあるということだった。いや、実はその手前にも二軒ほど宿はあるはずだったのだが、実際に空き部屋の有無を訊ねてみたところ、それらの宿からは異口同音に休業中という答えが返ってきた。肩慣らしのつもりの初日にしてはかなりの歩行距離だ。一体、どれほどの時間がかかるのだろう。


青龍寺から須崎へと至る道筋は三つあるのだが、私が選んだのは浦ノ内湾を左手に見ながら内海の北側をぐるりと周るルートだ。青龍寺の住職と思しきご老人が、昔からある遍路道はこれなのだと教えてくれたからである。実は、巡航船で浦ノ内をゆく洋上の古道も捨てがたいと思っていたのだが、これは船の時間が合わず断念した。

往路に通った宇佐大橋を再び渡り、浦ノ内湾沿いの遍路道を歩いていく。暑さにやられ口呼吸に頼っていると、喉の奥にかすかな塩味を感じる。湾の入り口が狭いせいで川とも見えた浦ノ内はやはり海なのだった。所々で親子連れが水遊びを楽しんでいた。


それにしても、今日は風景を楽しむような余裕がまるでない。暑さで体力の消耗が激しいだけでなく、異常なほどにのどが渇く。前方だけに集中し、無心になって一時間ほど歩き、自動販売機を見つけたらすかさず水分を補給する。普段の私は定価販売の自動販売機など決して利用しないのだが、今日は自動販売機が輝いて見える。無機質な直方体に過ぎない自動販売機の存在を今日ほどありがたいと感じたことはない。


我ながら面白いと思うのは飲み物の選択である。日頃、絶対に選ばない飲料水を好んで選ぶ。冷やしあめ(初めて見たが、西日本では定番の飲み物なのか?)、クリームソーダ、コーラ、桃のネクター……。もちろんミネラルウォーターやお茶も飲んだが、甘い飲み物や炭酸系が圧倒的に多い。身体が何を欲しているのかがよく理解できるというものだ。


歩行距離が二十五キロを超えた辺りから足取りが急速に重くなってきた。これは前回のお遍路でも経験していたが、今日はペースダウンが著しい。三十分ほど歩いて木陰が見つかれば、ひとまず荷物を全部下ろす。場合によっては地べたに寝転がる。足に根が生えてしまわないよう、十分間もそうしていたなら、自分を叱咤してでもまた歩き始める。とにかく足を前に進めなくてはならない。


須崎での宿をようやく確保できたのは、須崎市街地まで後十キロという地点だった。片端から宿へ電話をかけ、満室ですという返事を聞くたびに落胆しながら、ついに六軒目で空き室を見つけたのだ。


「先ほどちょうど一軒キャンセルが出まして」


電話の先でそう答える声が天使の声のように感じる、いや、天使ではなくお大師様の声か。ありがたいことこの上ない。自分の顔がこの日一番の笑顔でほころんでいるのが鏡を見なくても分かる。それにしても、今まで考えたことさえなかったが、予約にはキャンセルの可能性があるので、時間を空けてからダメ元で同じ宿に空室状況を訊ねるのも大切なのかもしれない。


今日はとにかくゆっくりと休みたい。また本当に、四国巡礼が始まったのだ。

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