台本彼女

一畳まどか

第一章

プロローグ

〇マンションの一室・玄関(夜)


   玄関で男が、外にいる歌姫とドア越しに会話をしている。


歌姫「ねえ、私の歌、どうだった?」


男「可愛かったよ」


歌姫「歌の感想を聞いてるんだけど」


   棒立ちでだらんと垂れた男の手には、「本配信は終了しました」という画面が光る携帯が握られている。


男「愛してる。お互い親に手を引かれながら出会ったあの瞬間から。ずっと」


   ドアノブに手をかけようとする歌姫。男はその行動を遮るように言葉を続ける。


男「君には感謝してるんだ」


歌姫「だったら、ライブくらい見に来てよ」


   歌姫、ドアに背をもたれかけ、そのままずるずるとしゃがみ込む。


   一方、ドアに手を付き、苦しい表情を浮かべる男。


男「最後にひとつだけ。勘違いしないでほしい。僕は、君に期待してない」


   歌姫が、我に返ったように勢い良く立ち上がり、拳を握る。


歌姫「どういう意味?」


男「言葉のままだよ」


歌姫「あなたのことが分からない」


男「それでいい。僕は、後から後悔したくなくて伝えてるだけだから。もう、そんな思いをするのは嫌なんだ」


歌姫「さようなら」


   歌姫、力強い足取りでその場を去る。男の微笑み、バストアップで。






 Actions speak louder than words.

 行動は言葉よりものを言う


 私は、このことわざが嫌いだ。というより、信じていない。だって、必ず相手に動機を察してもらえる保証がない不確かな行動なんかより、言葉の方がよっぽど信憑性がある。それに、言葉は他人の人生を変えてしまうほど影響力を持っていることを知っているから。


 マネージャーからこんな仕事がある、と紹介がてら渡されたこの台本を読んで最初に思ったこと。それは、きっとこのシナリオ作家も私と同じ考えの持ち主なのだろうという予感だった。女優になって初めて絶対に出演したいと思える作品に巡り合えたのだ。あわよくばこれを書いた人に会って話を聞いてみたいと思った。だから、死ぬ物狂いで挑んだオーディションで合格を掴み取ったときには、この上ない喜びが私の心の芯を明るく灯した。


 撮影が始まってからどれくらいの時間が経ったのだろう、さっきまで熟読していた台本から顔を上げると、ここがまさかマンションの一室とは思えないほどの人でごった返していた。


 ブラックのベンチコートに身を包んだ彼らの俊敏な動きからは、止まったら死が待つ世界で生きる、人に叩かれる寸前の蠅のような焦燥感さえ感じてしまう。こんなにも人というユニットで室内の酸素と窒素がかき回されているのに、物音ひとつしないこの空間に息が詰まりそうだ。


 私は、長い間同じ位置にとどめたせいで紙に張り付いてしまった親指を、音を立てないよう慎重に剥がしてから、再び指先に全神経を張り巡らせ台本を閉じ、そっと席を立つ。


 外に出た瞬間、顔にまとわりついてくるヒンヤリ冷たい風が十二月本来の季節を感じさせてくれる。その冷気があまりにも鋭かったので、雨の粒がついていないか自分の頬に手を当てて確認してみるが、どうやら勘違いだったようだ。


「うのさん、お顔に触れちゃダメって何度も言ってるじゃないですかあ」


 私が外に出るタイミングを見計らい追ってきたらしいメイクさんが、語尾を揺らして言う。注意の言葉とは裏腹、迷惑なんて一切感じていなそうな嬉々とした表情から、ああ、みんな退屈だったんだな、と納得する。


「もう新人さんじゃないんですからあ。あ、ちょっとだけしゃがんでもらってもいいですか?」


 芸能界に入ったのはたった二年前なのにもう新人ではないということは、〝新進気鋭の女優・千堂せんどううの〟という世間への売り出し方とは逆で、この業界が入れ替わりの激しい厳しい世界だということを暗に教えてくれているのかもしれない。

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