第十七話 アーシェの夢。その2

 探索者になりたいという、アーシェリヲンのいうことは実現可能に思えてきた。だがそれでも、十歳で親元を離れるというのは心配で仕方がない。だからフィリップは言わずにいられなかったのだろう。


「アーシェ、あのな。使用人のふりをして、この家で暮らすことも可能だと思うんだ」

「お父さんはさ、僕がフィールズに心配されてもいいの? 僕は嫌だな」


 確かにフィリップの言うことは『幽閉』と同じ意味だ。フィールズがもっと大きくなったなら、余計な心配をすることだろう。そう考えると何も言ってあげられなくなってしまう。


「僕はさ、お父さんとお母さんの息子なんだ。それくらいできなければさ、お爺さん、お婆さんにも笑われちゃうよね?」


 涙を流していたアーシェリヲンはもういない。その先の展望を見つめているからか、自信に満ちた表情になっている。


「例えばさ、探索者になるための条件が足りなくてね、このままの僕じゃなれないなら、一年でも二年でも待ってもいいと思う。でもここにいたら甘えちゃうから駄目だと思うんだ」

「……あなた」

「何かな?」

「私たちの負けよ。アーシェは思っているほど子供じゃないの。私たちはもうね、この子を見守ることしかできないわ。でもね、……アーシェ」

「はい。お母さん」

「辛くなったらいつでも戻ってきて、やり直してもいいのよ? 少し休んだらね、また頑張ればいいの。ここはあなたの家なんですからね」

「ありがとう、お母さん。でも大丈夫。約束するよ。僕は立派な探索者になって、依頼を建前にして、絶対に会いにくるからね」


 十歳とは思えないほど、しっかりとした大人に見えるアーシェリヲン。さっきまで貴族のしがらみで思い悩んでいた自分たちは、いったい何だったのだろうと思えるほどだった。


 こうしてアーシェリヲンはウィンヘイム伯爵家をでる覚悟を決めた。もし、自分が跡継ぎとなったなら、フィールズが家を出ることになっていた。同じことだからと彼はそう、笑っていた。


 その夜は久しぶりに、フィリップとエリシアと三人で眠ることになった。

 近いうちにアーシェリヲンは、ただのアーシェリヲンとして生きていくことになる。そのことが怖いかといえば、怖いと答えるだろう。


 もしあのまま跡継ぎになったとしても、外を自由に歩けるわけではない。成人するまでは領地の中や、王都にある『れすとらん』までの間を馬車で移動することになるはずだ。

 実際、テレジアが中等学舎へ行く際は、馬車での移動している。彼女もまだ、領内を歩いたことが一度もないのである。


 探索者になることができたなら、色々な町、色々な国を旅できる。生活に余裕ができたら『れすとらん』で食事もできるだろう。


 アーシェリヲンは正直言えば、フィリップの跡継ぎになりたかった。ただ、なれないものを悩んでも仕方がない。

 それにあと八年も我慢するのなら、すぐにでも歩ける身になるのも有りだと思っている。色々と楽しみになってしまい、なかなか寝付けなくて困ってしまった。


 アーシェリヲンは、自分せいもあって、かなり酒の匂いがするフィリップのほうを向かないようにし、いい匂いがするエリシアに顔を埋めるようにして、なんとか眠る努力をしてみた。


 ▼


 翌朝、朝食のときにエリシアがいない。代わりにフィリップが珍しくいる。それは大事な話があるからだという。不思議そうにしながらも、いつものように朝食を終えた姉と弟にとって突然の話だっただろう。


「アーシェはな、ある理由があって、この家で『お披露目』をできなくなってしまった。そのため早ければ夕方にでも、この屋敷を出ることになったんだ」


 『ある理由』というのが加護のことだとテレジアは気づいただろう。フィリップの表情を見たなら、それが冗談ではないことがわかるからだ。


「おかしいわよ、なんでアーシェが出て行かなければいけないのよ? 嫌よ、絶対に嫌っ」


 テレジアは、アーシェリヲンを抱きしめてフィリップに抗議をする。


「お姉ちゃん痛い、ごりごりってして痛いってば」

「悪かったわねっ、お母さんみたいじゃなくて」


 それでも離そうとしない、思った以上に弟大好きなテレジア。


「いやーっ、どうしてっ、どうしてっ」


 フィールズは拳を握って肩を叩くように、座っているフィリップの太ももを叩いて抗議している。アーシェリヲンが悪くて出て行くわけではないと、肌で感じているのかもしれない。

 フィールズの抗議が受け入れられないと悟ったとき、テレジアに抱きつかれているアーシェリヲンのそばへくると、服の裾を握って涙ながらに訴える。


「ぼくいやだよ、ね? お兄ちゃん」


 抱きつかれたまま、自由の利かない腕を伸ばして、フィールズの頭を撫でる。


「フィールズ、あのね。僕が決めたんだ。このままだとね、お母さんもお父さんもかなしくなっちゃう。だからね、お父さんの代わりはフィールズしかいないんだよ。騎士団に入って、お父さんに勝つんでしょう? ほら、いつまでも泣いてたら駄目だよ。お父さんに勝てなくなっちゃうよ?」

「……うん、わ゛がった。(はなをすする)ぜったいにね、かつから。ぼく、まけないから」


 しっかりとアーシェリヲンの目を見て約束してくれた。アーシェリヲンに似て負けず嫌いな性格をしている。剣の腕もアーシェリヲンはずっと敵わなかった、フィリップも太鼓判を押している。から、この子は強い、きっとやり遂げてくれる。そう思っただろう。


 アーシェリヲンはテレジアの背中に手を回して、一度ぎゅっと抱きしめた。そのあと右手で背中をぽんぽんと叩いた。


「ありがとうお姉ちゃん。僕ね、フィールズに負けたくないんだ。この屋敷の中だけでずっと生きていくなんて、僕にはできないよ。お姉ちゃんだって外を歩きたいでしょう?」

「そうね。あと五年だもん」


 テレジアも成人まであと五年だ。そうすれば彼女も、護衛がつくから一人でというわけではないが、堂々と町を歩ける。


「僕はほら、初等学舎へ入学決まってたじゃない? そうしたら二年は寮住まいだったんだ。それと同じでしょ?」

「う、うん」

「だからね、ちょっと早いけど先にね、僕、外を見てくるよ。大丈夫。頑張って一人前になって絶対、戻ってくるから、ね?」

「……そうね。アーシェなら大丈夫だと思うわ。私が知っちゃうくらいに有名になりなさい。約束よ? いいわね?」

「うん。約束する。絶対なってみせるから」

「うん、うん……」


 テレジアの涙腺は決壊している。瞬きをする度に、頬を伝って涙の滴が流れていた。


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