第九話 家族に背中を押してもらって。

 いつも身につけている屋敷にいるときだけの普段着とは違って、のりの利いたパリッとしたおろしたての服。父フィリップが騎士団へ出勤するときに着ている服に少しだけ似ているデザイン。おそらくは、同じ服職業を営むところが仕立てたのだろう。


 猫っ毛なアーシェリヲンの髪は、テレジアによってくしが通される。寝癖もなくなりより可愛らしくなったように思える。


「ほら、私だって緊張したのよ? だから大丈夫。ね?」

「そうだね。お姉ちゃんだってできたんだもんね」


 アーシェリヲンは別に緊張しているわけではない。それでもこうして生意気な言葉を返したのには理由がある。


「お姉ちゃんだってって、どういう意味よ?」


 やっとツッコミが入った。テレジアはこうじゃなくてはいけない。アーシェリオンはそう思っただろう。


「はいはい。落ち着いてね」

「お父さんみたいなことを言わないの」

「そこはお父様じゃないの?」

「あのねぇ……」


 もちろんアーシェリヲンにもわかっている。この日エリシアもフィリップも、テレジアだって彼を祝ってくれている。祝ってもらうと同時に、期待もされているわけだ。


 毒づきながら、テレジアから逃げようとするアーシェリオンが軽々と抱え上げられる。椅子に戻されると目の前にしゃがんで目線を合わせてくれるフィリップの姿。


「アーシェリヲン。十歳の誕生日おめでとう」

「ありがとう、お父さん」

「お前はね、お前らしくあってくれさえすれば、お父さんはそれで十分なんだ。どんな加護を受けてもお前は俺の子だ。緊張することなはい。わかっているね?」


 フィリップぽんぽんと、整えられた髪型を崩さないように優しくアーシェリヲンの頭に手を置く。


「はい、お父さん」


 エリシアもフィリップの隣にしゃがみ込んで、アーシェリヲンの頬をつんつんと指でつつく。


「あなたばかりずるいわ。フィリップ」


 アーシェリヲンは今日十歳になったが、同世代の子よりやや小さめ。二つ年下の弟フィールズと並んでも背丈があまり変わらないくらいである。

 だからというわけではないが、フィリップと同じくらいに、エリシアも椅子から軽々とアーシェリヲンを抱き上げてしまう。彼女は見かけよりも力強いのかもしれない。


 そのままベッドに座ると、エリシアは膝の上にアーシェリヲンを乗せて、覗き込むようにして目線を合わせた。


「あのね、アーシェリヲン」

「はい。お母さん」

「多分わかってるとおもうのだけれど、どんな加護を受けたとしてもね、それはこれまでのあなたと変わらないの。変わってしまうなんてことはないのよ?」

「はい」

「私の息子ですもの。きっと治癒の加護を授かるわ」

「ちょっと待ってくれ。アーシェは俺の息子だぞ? 剛体の加護に決まっているじゃないか?」


 フィリップはエリシアにツッコミを入れる。彼女に負けず劣らず彼も親バカだったのだろう。


「あらぁ? 『お前らしくあってさえすれば』とか、かっこいいことを言ってたのはどこのだけでしょうねぇ?」

「いやその、だな……」


 アーシェリヲンに近づいて、袖をつんつん引っ張るフィールズの姿。


「お兄ちゃん、がんばってね」

「ありがとう、フィールズ」


 アーシェリヲンは手を伸ばして、フィールズの頭をフィリップのようにして優しく撫でた。


 テレジアはフィールズを抱き上げて、エリシアの横に座って膝の上に乗せる。彼女は恥ずかしそうにしてフィールズを抱きしめつつ、誤魔化すように反対側を向く。


「わ、私の弟なんだから、きっと治癒の加護を授かるわ。安心して洗礼を受けなさいね」

「あら、テレジアもそう思ってくれるのね?」

「そんな、テレジアはお母さんの味方なのか? それならフィールズは」

「んー、わかんない」

「そうきたか……」


 テレジアとフィールズは執事さん、侍女さんたちとお見送り。屋敷の前につけられた馬車の窓には目隠しがされている。これは通例で、『お披露目』前のアーシェリヲンの姿をさらすわけにはいかないから、仕方がないのだろう。


「いってらっしゃい、アーシェ」

「お兄ちゃんいってらっしゃい」

「いってらっしゃいませ、アーシェリヲン様」


 馬車に乗り込むときに、アーシェリヲンを振り向いて笑顔で答える。


「ありがとう、いってきます」


 客車に乗り込むと、向かいにフィリップ。隣にエリシアが座る。目隠しされた窓には一センチほどの隙間がある。そこから見えたのは、屋敷の敷地にある、正面入り口の門を抜けようとする瞬間の景色だった。


 アーシェリヲンは自分の足でではないが、生まれて初めて屋敷の敷地外へ出る。窓から見下ろした景色を知ってはいたが、見るものすべてが珍しく映る。


「ねぇお母さん、あれって船だよね?」

「えぇそうよ」


 ウィンヘイム伯爵領にはアーシェリオンも毎日見ていた港がある。このグランダーグ王国に港は複数あるが、ここも絶景という意味では他に負けてはいない。


「ねぇあれは?」

「あれはね、アーシェリヲン――」


 本から得た知識だけでも成長することは可能。普段はあれだけ大人びていたアーシェリヲンも、こうなると子供なんだなとフィリップは安心した。


 ウィンヘイム伯爵領から王都までは、馬車でおおよそ半日ほど。朝早く屋敷を出たからおそらく昼過ぎあたりには到着することだろう。


 海沿いの街道を馬車は進む。御者席より周りに人の姿がないと伝えてもらう。フィリップは『今だけだよ』と、窓の目隠しを外してもらった。


 そこに広がるのは大海原。いつまでも変わることのない景色を眺めながら、アーシェリヲンはこれから待っていることを想像していく。


(僕の加護ってなんだろうね? それともお母さんとお姉ちゃんみたいなもの? お父さんみたいなもの? それより僕はあれだよ。『れすとらん』のほうが気になるんだ)


「ねぇお父さん」

「どうしたんだい?」


 フィリップは、アーシェリヲンが今まで見ていた海に対しての質問だろうと思っていたはずだ。


「『れすとらん』ってさ、おいしいのかな?」

「あははは」


 予想外、それもアーシェリヲンらしくない質問を聞いて、思わずフィリップは笑ってしまった。アーシェリヲンはなぜ笑っているのかがわからないでいる。


「あのねアーシェ」

「何? お母さん」

「『れすとらん』が美味しいのではなくてね、『れすとらん』で出してもらえるお料理が美味しいのよ」

「あ、そうだった」


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