第六話 満足そうなもの。

 五歳のときの急な発熱がきっかけとなり、アーシェリヲンは同世代の子供より、一つ間違えたら母エリシアよりも魔力の総量が多いかもしれない。そうわかってからもう五年近くが経つ。


 ウィンヘイム伯爵家の屋敷用に設置された『魔力えんじん』は、厨房の隣の部屋にある。そこには五歳のころから見覚えのあるもの。『魔力えんじん』の近くには、数多くの『魔石でんち』が並んでいる。

 毎晩、日課になっているこの『魔石でんち』に魔力を充填する作業。左腕につけている『魔力ちぇっかー』の魔石が黄色くなるまで続けることで、アーシェリヲンの身体にある魔力が溢れてしまわないよう、安定させるためのものでもあった。


「アーシェいいこと? 倒れるまで続けちゃ駄目ですからね?」

「うん、わかったよお姉ちゃん」

「こーら。お姉ちゃんじゃなくお姉様でしょう? あなたは貴族の一員なのよ? 初頭学舎へ入学したらね、言葉使いがなっていないとお父様とお母様が恥をかいちゃうの。わかる?」

「……お姉ちゃんだってお母さんに比べたらさ、言葉使い結構いいかんげんだよ?」

「こらっ、そこはお母様でしょ? 私だって普段から気をつけようとしてんだからね」


 このように注意しながらも、ずっと付き添っている姉のテレジアは、アーシェリヲンが万が一倒れてしまわないかと心配している。もしアーシェリヲンの魔力が枯渇して昏倒したとしても、治癒魔法使いは自らの魔力を分け与えることが可能だからだ。


 アーシェリヲンは、テレジアが自分を心配してついていてくれるのを十分に理解している。じっと見ているのを知っているからか、彼女の視線にくすぐったさを感じ、彼は妙にそわそわしていた。

 ここ数年毎日行っている作業にも似た、具合が悪くならないための対処方法。それでも見られていると意識するだけで、なんだか恥ずかしく思えてしまうのも仕方のないことなのだろう。


 テーブルの下に置かれた『魔石でんち』の入った箱から一本取り出す。鈍色の筒状になったもので長さは五センチほど。直径は三センチくらい。筒の中央あたりに魔石が埋め込まれている。

 ちなみに、長さの単位はセンチ、メートルなどが採用されてきた国が多い。なぜなら聖女ユカリコが生前、『わかりにくい単位は駄目』と、ユカリコ教内で教えたのが最初である。その単位は彼女の私物を元にして決められたとのことだ。


 この筒の中と、外にある魔石は別の特性がある。中の魔石は魔力を蓄積するもの。外の魔石は中の魔石に魔力がどれだけ残っているかを示すもの。

 魔石の色が透明なものは、中の魔力が空の状態。魔力が増えていくと、赤色、朱色、黄色、緑色、青色と変わっていく。青くなったらほぼ満充填。それ以上注げなくなる親切設計だ。


 この色は一般家庭にもある『魔力てすたー』や、アーシェリヲンの左腕にある『魔力ちぇっかー』と同じ。赤が空に近い枯渇という意味になっている。彼の前に置かれた『魔力でんち』の魔石は透明になっていることから、これは空っぽの状態。


 壁に設置されている『魔力えんじん』の扉を開けると、そこにはこの『魔石でんち』が十個入っている。魔石が確認しやすいようになっているから、色が透明になっているものを入れ替えるだけで大丈夫。

 この屋敷は、『魔石でんち』十本でおおよそ三日持つようだ。だから毎日使用人が確認して入れ替えているということになる。


 アーシェリヲンは『魔石でんち』の筒を左手に持って、右手の指先に『にゅるっと』魔力を絞り出すようにイメージする。そのまま魔石に触れるだけで充填が開始されるようになっている。この方法はテレジアから教わった。彼女もユカリコ教の神殿で教わった方法である。

 テレジアはは理論派のアーシェリヲンと違って天才肌。神殿で教わった手順がわずらわしく思ったのだろう。彼女は自分の可能な方法を編み出してしまったわけだ。おかげで彼が最初教わるときにかなり悩んだということがあった。

 母のエリシアは、彼が五歳のころに魔力を抜いていたときは手のひらで覆うようにさせていた。この方法でも可能なのだが『にゅるっと』意識的に魔力を出したほうが、魔力を出力させる量も速度も速く、充填が早く終わるからであった。


 みるみるうちに透明だった魔石が、赤を通り越してあっという間に青くなってしまう。それを見たテレジアは呆れるように言う言葉があった。


「この馬鹿魔力さん……」


 困ったという感じの声に聞こえないからアーシェリヲンも普通に応える。


「褒め言葉だと受け取っておくねっ」


 本を読んでいるときのように、振り向かずに次の『魔石でんち』へと取りかかる。


 アーシェリヲンは一本、また一本と充填を終えていくと、透明な色の『魔石でんち』も同様に減っていく。それは半分ほどの充填を終えたあたりだった。


「アーシェ、左腕左腕」

「え?」


 集中していたアーシェリヲンは、テレジアの声に気づいて自分の左腕を見る。するとそこにある『魔力ちぇっかー』の色が黄色を通り越して朱色に変化していた。おそらくこれで、彼の魔力総量のうち八割近くが消費されたということなのだろう。


「あ、うん。これで終わりにするね」

「やめないのね……」


 テレジアは本当に心配している。なぜなら以前、まるで遊んでいるかのように夢中になって充填していたとき、倒れてしまったことがあるからだ。


「だってすぐだもん」


 ささっと魔力を込めて、あっさりと最後の一本を終わらせてしまった。


(えっと、まだいけそうだね)


 テレジアの目を盗んでこっそり空の『魔石でんち』と入れ替える。音を立てないでそっとそっと。無事入れ替えが完了した。

 アーシェリヲンは今まで通り『にゅるっと』魔力を注いでいく。実はこの『魔力ちぇっかー』がどれだけ赤くなれば苦しくなってくるのか。これは書物にも書いていなかったので、作った人にしかわからなう。だからこんなチキンレースにも似た、遊び感覚で実験してしまう。


 ちなみにいうと、アーシェリヲンが五歳になる前は、母のエリシアと父のフィリップが寝る前に充填していた。治癒魔法使いとして名の通っていたエリシアでも、五本程度。フィリップは二本がいいところ。

 最近テレジアも試してみたのだが、二本目で気持ち悪くなってしまった。ということは現時点で、アーシェリヲンは両親を軽く超えてしまっているのだ。


 先ほど注意されてから数えて、早くも三本目。全部合わせて八本になる。二十本入るはずの箱の中、『魔石でんち』は半分近く染まっていることになる。左隣の魔石はまだ朱色。前に倒れたときは、ここあたりで気持ち悪くなってきた。けれど今夜はまだいけると思っている。

 テレジアに注意されると実験も終了となってしまう。だからつい、頑張って『にゅるっと』してしまったその瞬間――


「あ……」

「どうしたの、アーシェ――ってあなた」


 アーシェリヲンは声を発したと同時に、テーブルの上に突っ伏してしまう。彼の腕にあった『魔力ちぇっかー』の魔石は真っ赤に染まっていた。左手に握っていた『魔石でんち』がころりと転がる。色は青くなっていた。

 そう。アーシェリヲンの魔力は枯渇してしまったというわけだ。


「…………」

「アーシェ、アーシェ、返事しなさいっ!」


 呼びかけても返事がない。


 テレジアは慌ててアーシェリヲンを抱き上げる。彼は十歳になる前とはいえ、同世代の子供と比べたら華奢きゃしゃで軽いほうだ。心配になって顔を確認した彼女は呆れてしまった。

 なぜなら、魔力を枯渇しているなら苦しいはず彼の表情は、とても満足そうなものだったからである。


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