未知の集落(5)
寒天堂から通話が入った。パソコンとスマホの両方に現れた通知を少し見比べてから、西谷はパソコンの方で出た。
「はい」
「やあ。どんぶり君」寒天堂の間延びした濁声が聞こえた。「取材のことなんだけどね。来週の……」
「ああ、自然公園でしたっけ」
「運転をさあ、代わってもらえないかと」
「あ、もちろん、というかおれが車出すつもりでしたよ。家の方向的に」
「ありがとう。だったら助かる。ネコマンマ君も、結局来れるのかな?」
「来るつもりみたいでしたよ。休みが確定してないけど、いざとなったら急な高熱ということにするそうで……」
「はは。それは良い」
短い雑談を終えて作業画面に戻る。処理中のデータを半分以上残したまま、編集ツールが止まっていた。
「うわ、ミスった」
不必要なデータまで処理にかけていたことに気付き、西谷は溜息をついた。取り消しのコマンドを打ってみるが、反応が無い。
こういう些細なことで、一時間分のやる気が削がれる。西谷は諦めてスマホを手に取り、いつものアプリを開いた。
先週も見かけた新グループがまた「オススメ」タブに上がっている。どこかで見たようなネタの焼き直しだが、動きに迫力があって目を惹く。
ネコマンマは、また長文を貼り付けただけの静止画を投稿していた。
『"想像"と"予想"は違う。俺が色々な場所で、行って撮って、それを見た人に、どれほど楽しい場所だろう、自分も行ってみたい、と思ってもらえたらそれは"想像"で、だいたいこんなもんだろう、行かなくてもわかるからいい、と思われてしまったら、それはただの"予想"なんだ。』
「なるほど……わからん」
内容がというより、この長文投稿シリーズが視聴者からは意外と好評らしいことが、西谷にはよくわからなかった。
動画の合間にこういう日記のような投稿もあった方が良さそうなら、自分のチャンネルでも早めに試しておきたいところだ。背景として使う静止画の加工については、寒天堂の方が詳しいかもしれない。
更にスクロールを続ける。料理。ペット。ダンス。ゲーム。子育て。雑学。炎上ネタ。歌とラップ。ライフハック……
不意に画面が暗くなり、上部に大きく『これなに、ヤバ……』というキャプションが現れた。
薄暗い屋内を盗撮したような、ほとんど何が映っているのかわからない動画だった。こうした個人的な動画に意味ありげなキャプションがついている投稿は、大抵が「釣り」で、特に意味はない。
ただ、耳に飛び込んできた音声が自分のものだったので、西谷の手が止まった。
『それなら……のお母さんの病気が……』
不安そうに震える自分の声に被せるように、もう一人が『単発再生数五百万』と叫んだ。
『俺は百年後の世界が見たい』と、別の一人が言う。『寿命をあと百年ください』
しばらく雑音が続き、断続的に画面が激しく動いた。撮影者は畳の上にカメラを置き、自身の身体か服で隠しているようだった。
画面の奥に髑髏とそれを取り巻く人影が見えないかと、西谷は目を凝らした。しかし、スマホの画面に反射する自分の顔しか見えなかった。
『おれは……この三人で、……いや、……それは無しで……』
上擦った自分の声がごちゃごちゃ何かを言っている途中で、動画は切れていた。
投稿者のプロフィールを開いてみたが、他サービスの動画を雑多に転載しているだけのアカウントで、追加の情報は無かった。
誰が撮ったかはわかり切っているのだから、今度会ったときに聞いてみればいいのかもしれない。ただ、正直あまり気が進まなかった。
あの日は気がつけば知らない道端で眠り込んでいて、他の二人ともはぐれていた。西谷はわけがわからないままどうにか一人で帰宅し、次の日のバイトも休んだ。一番落ち込んだのは、カメラと撮影データを紛失したことだ。
自分のアカウントの変化はほとんど感じなかった。前と違う名前に変わっているはずだが、元の名前を思い出せないので実感がない。チャンネルのフォロワー数も変わりなく、「友達リスト」のメンツにもほとんど変化はなかった。ただ、あの二人のアカウントが消え、代わりに寒天堂とネコマンマが現れたというだけだ。
あの日の撮影のことが、この三人の間で話題に出ることはなかった。他の二人がどう考えているにしろ、西谷にとっては、もはや忘れたい出来事だった。あれは何かの間違いで、ただの夢だった。そう思い込んで片付けなければ、何かとんでもないことになりそうな、不吉な予感がしていた。
その週末は中規模の地震と台風の上陸が重なり、バイト先が大騒ぎになった。倒れた棚の片付けやシフトの穴埋めに追われ、撮影や編集のことを考えるどころではなかった。
寒天堂たちとの撮影も中止にしてしまいたかったが、取材先の宿泊施設がこの「ダブル災害」の影響で大量キャンセルに苦しんでいると聞き、断りづらくなった。
待ち合わせ場所は、西谷にとっては使い慣れた駅のひとつだった。駅としてはあまりパッとしないが、周辺の道路が広くて渋滞も無いから気楽で良い。ホームから地下通路で繋がる裏口前に、一般車が縦列で停車できるスペースがあり、すでに三台ほど停まっていた。西谷も自分の軽ワゴンを列の最後尾につけて、スマホを見ながら二人の到着を待った。
台風一過で、急激に真夏が戻ってきたような暑さだった。前に停車する車の排気筒から水滴が絶え間なく落ちて、道路を濡らしている。エアコンから出た水だろう。西谷の車も、送風口がときどき深い溜息をつくように唸っていた。車としての推進力より、車内を冷やすためにエネルギーが使われているような気がしてくる。
どうせなら、夏を涼しくしてほしいとか、そういう実用的な願い事でもすれば良かったな。
西谷は遠い悪夢のような前回の撮影をぼんやりと思い返した。今になって冷静に振り返ると、自分に何の得があるのかもよくわからない、妙な願い事を口走っていた気がする。他の二人の願い事もなんだか変だった。いや、「単発再生数五百万」は明快でストレートか。もう一人は、「百年後を見たい」だったか。
電車が一本到着したらしく、地下通路の出口からわらわらと人が出てくる。そのうちの何人かはこちらの停車場にやってきて、待っていた身内の車に乗り込む。待ち人を拾った車は列を離れ、空いたところを詰めるように西谷も数メートルだけ車を前進させた。
寒天堂とネコマンマからそれぞれ、もう少しだけ遅れるというメッセージが入った。
待ち時間は苦手だ。つい、余計なことを考えてしまう。
ネコマンマによく似た彼はあの日、母親の病気のせいで活動が続けられないかもしれないと悩んでいたのに、結局その件を願わなかった。そして西谷の願いに良い顔をしなかった。本当は彼は、何か理由をつけて穏便にやめたかったのかもしれない。西谷の願いは、三人ともが、自分がやめたくなったとき以外やめないことだった。あの直後、五百万再生という夢をおそらく叶え終わった彼が、自分の意志で活動をやめていたとしたら?
もう一人の願いについても思い返す。
百年後の世の中がどうなっているか見たい。寿命を百年ください。
あの人は無意識に願いを二つ言ってしまった。そして、有効なのは先に口に出したほうの願いだ。もし、寿命を延ばすという願いが無効で、百年後を見るという願いだけが有効だったら、どうなるだろう。
あの人は百年後を見にすでに旅立ち、今のこの世界にはもういないのではないか。
三人とも、互いの本名を知らない。だから、願い事の代償として認識できなくなったのはアカウント情報のほうだ。アカウントを識別する三つの要素、表示名とIDとアイコン。その全てが思い出せなくなった。自分のも、他二人のも。それでも、現れたタイミングと投稿の傾向から、ネコマンマと寒天堂が彼らで間違いないと思ったのだが……。
もともと、撮影仲間とは言っても、実際に会う頻度は少なかった。それぞれが独立して活動しているし、互いの都合だってある。月に一度会えれば良いほうだ。人の顔を覚えるのが苦手なあの人は、あの日も西谷ともう一人に向かって「本人かどうか」とわざわざ念押しした。関係者のような態度で車に乗り込まれたら、それが別人だとしても気付かない可能性がある。元からその程度の関係性なのだ。
電車がまた一本、着いたらしい。地下通路の出口から次々と人が出てくる。そのうちの何人かは、待ち合わせ相手の車を探しながらこの停車場へと向かって来る。知り合いのようにも見えるし、そうでないようにも見える。世の中の大半の人の雰囲気はよく似ている。奇抜で明らかな個性を放つ人は少数で、大抵の人間はそうならないように、悪目立ちをしないようにと努める。
今からこの車に乗ってくるのは誰なのだろう。
それが明らかな別人だったとして、おれは問いただせるだろうか?
そもそも、そうすべき状況、そうすべき立場なのだろうか?
西谷は平静を装ってスマホを弄りながら、ハンドルを掴むもう片方の手がじっとりと汗ばんでくるのを感じた。
この世には、知らなくて良いことがあるのかもしれない。叶えなくて良い願いがあるのかもしれない。
一番大きな願いを叶えたはずのあの二人は、今どう思っているのだろうか。
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