・1-8 第8話:「文章地獄」

 エドゥアルドたちは馬上で会議をくり返し、様々な決定を下し、方々に連絡を入れるための使者を出したり、迎え入れたりしながら帝都・トローンシュタットへと進んで行った。

 慌ただしい日々だった。馬上で会議をするのは必要があった時だけだったのだが、それ以外の時間は、眠ったり食事をしたりする時間以外はずっと、手紙を書き続けていたからだ。

 もちろん、手紙のすべてを自身の手で書くわけではない。何人かの祐筆ゆうひつに主だった部分は書いてもらい、自身が命じて発行した正式な文章だということを証明するためのサインと、捺印なついんをするだけだ。

 ただ、内容はすべて自分の目で確認する必要があった。

 なにしろ書いているのは諸侯に対してどういった処遇をするのかを知らせるための書状なのだ。

 今回の内戦で、自身に味方し、力を尽くしてくれた諸侯に対してはそのお礼と、後々皇帝代理となった後で褒美を授ける旨の手紙を。

 歯向かった諸侯に対しては、その罪を不問とし爵位や領地を安堵することを伝えるのと同時に、武装を一時解除し、自身に帰順するように求める手紙を。

 どれも、確認を怠って後々で「約束が違うじゃないか」などということになったら大変なことになるものばかりだ。

 なにしろそこには、エドゥアルドが出した書状だと示すサインと捺印なついんがされている。後になってから「あれは間違いだった」などと言っても、受け入れられない性質の公式文章なのだ。

 意味を誤認されかねないような言い回しや、誤字脱字に注意しなければならなかった。

 ひとつの文章であっても読み手によって受け取り方が異なり、いったん合意に至ったものの双方の認識の違いにより後に問題となる、などというのは歴史上に見られる出来事だ。

 ノルトハーフェン公国はかつてオストヴィーゼ公国との国境問題を抱えており、公爵位を引き継いで最初にその問題に取り組まねばならなかったエドゥアルドとしては、どちらかにとって都合のいいように解釈できてしまう曖昧な言い回しや、勘違いを招きやすい言葉選び、誤字脱字などを無くしておくことの大切さは骨身に染みている。


(それにしても……、量が多い)


 一切手を抜くことが出来ないだけに、疲れる。

 祐筆はみな字が美しかったが、少年公爵自身が雇っている者だけでなく、今回はユリウスにも頼んで人手を増やしている。

 タウゼント帝国ではみな同じ言語を話し、同じ文字を使用しているが、地方によって若干言い回しが異なることがあるし、いくら美しく整っていても人によって文字にクセがあるから、それらをすべて確かめるのだから大変だ。

 しかも、手紙はタウゼント帝国のすべての諸侯に対して出さねばならない。

 この国には三百以上の諸侯がいる。必然的に、それだけの数の手紙を出さなければならない。

 さらには、こちらが出した書状に対する返書も確認し、それに対する返事、というのも書かなければならないのだ。

 まだ手紙を出し始めたばかりだし移動途中なので返書はまだ届いてはいないのだが、そうした大仕事が待っていると想像するだけで頭がくらくらとして来るような心地になる。

 目が疲れた、と思い、ふと、視線を上にあげる。

 するとそこには、こちらのことをじっと伺っていた様子のメイドの姿があった。

 エドゥアルドは、馬上会議を行っている時間以外は、馬車で移動していた。

 馬に乗って移動するのは徒歩よりもずっと楽だったが、馬車の座席に座って移動するのには到底、及ばない。

 まして、馬の背中に乗ったまま手紙を読んだり書いたり、サインや捺印なついんをすることなどできはしない。

 だからそうしたことのできる馬車で移動している。そして時折、休憩にコーヒーを飲んだり、その他の用事を頼んだりしたいので、こうしてメイドが乗っているのだ。

 黒髪ツインテールの少女、ルーシェは、主がこちらを見たのに気づいて少し慌て、それから嬉しそうな笑顔を見せる。


「はい、エドゥアルドさま! ルーに何かご用でしょうか? コーヒーをお淹れしましょうか!? 」


 エドゥアルドの役に立ちたくて仕方がない。

 そんな態度だ。


「ルーシェ。そう言えばお前は、字が読めるんだったな」


 別に喉は乾いていないな……。そう思いつつしばらく少女の屈託のない、能天気そうな朗らかな笑顔を眺めていた少年公爵は、ふとそんなことをたずねていた。


「えっ……? は、はい。書くのはまだ十分ではありませんが、読むだけなら」


 どうして急にそんなことをたずねるのか。

 ルーシェは不思議そうな顔をする。

 彼女はスラム街の、社会の最底辺の出身だ。当然、まともな教育など受けたことがなかった。

 しかし、ノルトハーフェン公爵家のエドゥアルドのメイドとなってからはいろいろと学ぶ機会を得ている。

 最初は、主人が家庭教師としてやってきたヴィルヘルムから授業を受けるのを聞いているだけだった。後に彼女がその内容にかなりの理解力を示していることが判明すると、それなら、ということで、彼女も個人的な教育を受けるようになったのだ。

 そのせいか、ルーシェは時折、鋭い指摘をすることがある。

 難しい政治や科学の本も読んでいるので、書くのは万全でなくとも、読んでその内容を理解するだけなら下手な貴族よりも遥かに優秀かもしれなかった。


「……いや、なんでもない。ただ聞いてみただけだ」


 ほどなくしてエドゥアルドは思い直してそれだけを言うと、手紙を確認する作業に戻って行った。


「……? 」


 メイドは不思議そうに首をかしげたが、純粋な性格をしているし主君のことを信頼しきっているのでなにもたずねては来ない。


(我ながら、しょうもないことを……)


 そんなルーシェの様子になんだか気が楽になった心地になりながら、少年公爵は苦笑していた。

 ———彼が一瞬、真剣に思い悩んでいたのは、この、数百通にもなる手紙の内容を精査してサインし、捺印なついんするという仕事を、自身に代わって、主君に用事を言いつけられない間は暇そうに、だがなぜか楽しそうにじっとこちらを見つめているメイドにやらせることが出来ないか、ということだったからだ。

 それは、あまりにも荒唐無稽な空想だった。

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