第2話 鳥取柑奈の日常
オタクの朝は、早い。
時刻は朝6時30分。
「くぅ~……ふあぁ」
布団の上で身を起こした
掃除の行き届いた彼女の部屋は、しかし、どこか散らかった印象を受ける。その原因は、大量のぬいぐるみと美少女フィギュア達が部屋の各所に居るからだろう。高級なものはショーケースに。そうでないものは棚に丁寧に飾られ、寝起きの鳥取を笑顔で見下ろしていた。
それだけであれば世に言うただのオタク部屋でしかないのかもしれない。しかし、残念なことに、鳥取柑奈という少女は、普通のオタクでは無かった。
「おはよう、ミャーちゃん」
彼女が挨拶をしたのは、部屋に飾られている無数のポスターだ。ある物は、カメラに向かって満面の笑みを浮かべる幼女。またある物は、幼い鳥取と肩を並べて泥だらけになって掘り出した芋を掲げる童女。そして、中学の運動会で歓声を浴びながら走る少女。
そのポスター全てに、鳥取の幼馴染である少女――
常人が見れば正気を疑うような部屋であることは間違いない。ただし、どれも本人の許可を取って撮った写真であることが、救いだろうか。とはいえ、
「……うぇへへ、今日もミャーちゃんはかっこよくて、
だらしのない顔で幼馴染の写真を眺める。それが
写真から元気を貰って布団を畳んだ
外観を和に、主な生活空間に洋を取り入れた平屋建ての日本家屋。それが、鳥取柑奈の暮らす鳥取家だった。
「おはよう、かんな」
「うん、おはよう、お母さん。……お父さんも」
「ああ……おはよう」
両親に挨拶を済ませて軽く口をゆすいだ後、食卓に着く。と、すぐに母親からゆで卵(半熟トロトロ)とホットカフェオレ(砂糖マシマシ)、ウィンナー(皮がパリッパリ)が出てくる。
甘々のカフェオレで喉を温めつつ、鳥取はちらりと父親を見遣る。3年前までは大手上場企業に勤め、スーツを着こなしていた父。しかし現在は、作業服を着て、建設作業員として肉体労働をしていた。
(まだ、気にしてるのかな……?)
少し気まずそうに挨拶を返したように見えた父に、鳥取が首をかしげる。
3年前。ちょうど、鳥取が中学1年生だった、その冬。彼女の父親が、出先で交通死亡事故を起こした。雪と雨がちらつく中。父親が乗る自家用車(自動運転モード)がスリップし、前の自動運転車に追突。そのはずみで追突された車が交差点に押し出され、やって来ていた大型トレーラーと衝突した。
結果、追突された車に乗っていた家族4人の内、運転席、助手席に座ってた両親が死亡。後部座席にいた子供2人の内、1人が下半身を失うという大きな事故になってしまったのだった。
争われたのは、責任問題。
スリップすることが想定された路面。AIがそのことを考慮して早くブレーキをかければ良かったのではないか。それが、AIを悪とする意見。対して、父が乗る自家用車のタイヤの溝が少し浅くなっていた。車両の整備不良が原因だとするのが、人を悪とする人々の意見だった。
(結局は、懲役5年、執行猶予3年だったっけ……)
父親の一部過失を認めたうえでの判決。結果、鳥取の父は職を追われ、現在の職に就くことになったのだった。
「どうしたの、ぼーっとして。冷めちゃうわよ?」
焼いた食パンを差し出す母親が、食事の手を止めていた鳥取を不思議そうに見る。その声と焼き立てパンの香りに思考を引き戻された鳥取は、慌てて食パンを受け取って口に運んだ。
「あ、え、あっ、ううん、何でもない! 頂きま……あちっ」
「あはは! 相変わらずどんくさいわね、うちの子は。今日はお出かけ?」
母親の問いに、鳥取がパンを加えながらコクコクと頷く。
「ってことは、くろねちゃんか。好きだねぇ、アンタも」
「ごくんっ。あ、当たり前! ミャーちゃんは、世界一可愛いから!」
「で、でも、今日はミャーちゃんと一緒に行くんじゃないよ?」
そう言った娘の言葉に、母親は食パンを
「……かんな。アンタまさか、パパ活でもやってるんじゃないでしょうね」
「な、なんでそうなるの!?」
「だって、くろねちゃん以外、かんなにお買い物に行くほど仲の良い友達なんて居ないじゃない」
「あ、う……」
母親によってこれ以上ない事実を突きつけられる鳥取が、口ごもる。
(だからって。次に浮かぶ候補が「パパ活」って、どうなの……?)
少なくとも友人関係における母親からの信頼が無いことを、鳥取は悟る。一方で、言われっぱなしなのは妙に気に食わない。で、誰なの? と目で聞いてくる母親にドヤ顔を見せて、言い放つ。
「友達くらい、居るよ? 今日も、その人とゲームのコントローラー買いに行くから」
口の端にイチゴジャムをつけて胸を張る娘を、母親が痛々しいものを見る目で見遣る。
「そう。現実じゃ無理だからって、ゲームで出会いを……」
「か、悲しい目やめて!? いたたまれないから! それに、ちゃんと同じ学校の人……だよ?」
「良かった、同級生なのね。……いえ、まだイマジナリーフレンドの可能性も――」
「もうっ! お母さん!」
カフェオレが入ったマグカップを手に叫んだ鳥取に、母親が顔をほころばせる。と、この時になってようやく、父親が口を挟んだ。
「……
「うぐっ、けほっ、けほ……」
父親の言葉に、カフェオレを飲んでいた鳥取がむせる。
その反応で、今日会う相手が男であることを悟る両親。父親が目を見開き、手にしていた新聞を取りこぼす。一方、嬉しそうに手を打ったのは母親だ。ほとんど友人の居ないぼっち生活16年目の娘にやって来た“春”。まるで年頃の女子のように目を輝かせた母が、鳥取を
「どんな子!? どんな子なの!? 名前は!?」
「た、小鳥遊くん――」
「小鳥遊くん! 身長は!? 体格は!? 何部に入ってるの!? 写真は――」
「そういうのじゃないってばっ! あと写真もない!」
喜ぶ母の顔を、鳥取がグイッと押し返す。
「た、小鳥遊くんとは……」
本当にただの友達。そう言いかけて、鳥取は自分自身に待ったをかけた。
(わたしと、小鳥遊くん。別に、友達って言うほど仲いいわけじゃない……ような?)
ただ“隠しボス”という共通の敵が居て、それを倒すべく協力しているだけの間柄というのが鳥取の認識だ。
「う~ん……。小鳥遊くんは……」
「「小鳥遊くんは?」」
同級生男子との関係を言い表そうとする鳥取の言葉を、今か今かと待ち構える母。対して、戦々恐々としながらも、娘はやらんという
「同志、かな?」
「「……どうし?」」
聞きなれない単語が出て来て、両親の頭の中に同時に疑問符が浮かんだ。
「あ、えっと……。
「ええ、分かってるわ。ただ、まさか口語でその言葉を使う人が居るなんて思わなかっただけ」
とありあえず期待していた関係ではなかったことに落胆する母。一方で、余裕のある顔でコーヒーに口をつけた父親が、きちんと確認してみせる。
「コホン。とりあえず……彼氏では無いんだな?」
「え? あ、うん。だってわたしには、ミャーちゃんもニオちゃんも居る、から」
三次元と二次元。推しへの愛が飽和している状態ゆえに、他に回す愛は無いと平然と言ってのける鳥取。そんな愛娘に、ほっと安堵の息を吐いた父の横で。
「さすが、かんなね……」
呆れ混じりに呟いた母親が、今なお口の端にジャムをつけたままの娘をジトリとした目で眺めていた。
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