8 トリスタン様にばれたくない(ジャンヌ視点)

カタレヤ様と示し合わせておこなったデリア様への忠告事件からしばらくして、クラーク様とナタリー様が学園を辞めた。それぞれの家から縁を切られ勘当されたと噂される。


「やはり真実の愛が勝つのね。とても素敵なラブストーリーですわ。権力者に打ち勝つ愛って素敵」

 

 カタレヤ様は浮かれていたけれど、これで勝ったと言えるの?

 ファニー様と私は微妙な顔をしながらも、小さく頷いた。カタレヤ様のほうが身分は上だし、ここで反論しても良いことはない。


「平民になった勇気あるお二人に敬意を払いたいわ」

 なおもカタレヤ様はうっとりとした表情を浮かべながらおっしゃったけれど、勇気というよりは一方的に家から追い出されただけなのでは?


 自ら手を取り合って駆け落ちするのと、家から勘当されて縁を切られるのと、結果は似たようなものだけれど、そこにまで至る覚悟が違うと思う。二人の恋を応援していた私だけれど、このような結果を望んでいたわけじゃない。


 私のお母様はゴシップ好きで、クラーク様のその後のお話を度々夕食時に話題にした。


「貧困層が住む下町で二人を見かけた人がいるそうよ。あのあたりは治安も悪いし日の当たらないアパートばかりひしめいているから、その一室に住んでいると思うのよねぇ。なんて陳腐な結末かしら? クラーク様は日雇い労働者、ナタリー様は掃除婦か娼婦になっているかもね」


「あぁ、そうだろうなぁ。今まで、のほほんとグラフトン侯爵家の婿になる予定でいた男さ。生活力などあるはずもない。これが文官や騎士になることを目指して努力をしてきた男なら大商会の経理や護衛として雇われただろうが、クラーク様にはそんな気概も能力もないだろうよ」


 両親はこの二人の愚かしい恋物語の顛末を鼻で笑った。それが大半の貴族の大人たちの反応だった。グラフトン侯爵家に逆らうなんてあり得ないことだからだ。


 私がデリア様に関わっていたことがバレたら、お母様たちはどんな反応するのかしら? たまらなく怖くなった。黙っていよう。この秘密はお墓までもっていかなくてはいけない! このままひっそりと生活していれば大丈夫よね?


 ところが、カタレヤ様が急に学園に来なくなり、四年も婚約していたジュリアン様から婚約破棄された。でも、グラフトン侯爵家の派閥の令嬢との結婚を優先したラリュー男爵家を責める貴族は一人もいなかった。理由はラリュー男爵家がグラフトン侯爵家の庇護下に加わったからよ。


 グラフトン侯爵家の制裁? あのクラーク様の件で、デリア様にまずいことを言ったのはカタレヤ様だから、この流れは理解できた。でも、私は横にいただけだから、大丈夫よね。


 カタレヤ様がいなくなってもう何ヶ月も過ぎて、私はひと安心していた。このままなにごともなく穏やかに日々が過ぎていくと信じていたのに。





 ある日、お父様にシュリ伯爵家の次男トリスタン様との縁談を勧められた。

「とても有能な青年だよ。シュリ商会の会長を任されており、特産の織物を利用して女性向けの製品を製造販売している。これからきっと急成長していくと思うし、兄のシュリ伯爵とも仲が良く信頼されている。爵位は継げないが良い条件だと思うよ」


「そうですね。私にはもったいないほど良い条件の男性ですわ」


 ユゲット男爵家はそれほど裕福ではないし、社交界でも影響力はほとんどない。そんな家柄の次女である私は、とても爵位持ちになる立場の男性は狙えない。

 だから、次男でも家業を手伝いしっかりとお金を稼いでいる方は、私にとっては好条件だった。

 

 文官や騎士には過酷な出世争いがあり、失脚すれば生活は苦しいものとなる。けれど爵位を継いだ兄と良好な関係を築き、事業を手伝う地位を確保できた次男は、食いっぱぐれのない安定さがあるのよ。




 ☆彡 ★彡




 私はトリスタン様と顔合わせも済ませ、今日は初めてのデートに臨む。王都でも人気のレストランに連れてきていただいたのよ。


 とても目立つトリスタン様に、周りの女性がチラチラとこちらを盗み見る。その羨望の眼差しは、初めて私が受けるものだ。平凡な容姿で目立たない私がトリスタン様といるだけで、このような視線がもらえる。誇らしい気持ちがムクムクと沸き起こった。


 涼しげな切れ長の目に、高い鼻梁。形の良い唇からは、微笑むと真っ白い歯がのぞく。トリスタン様は背も高く、どこから見ても惚れ惚れするような美男子だった。


 爵位なんて継げなくても全然構わない! さほど裕福でない男爵家の地味令嬢の私には、これ以上ないくらい最高の男性だわ。

 絶対に気に入られなければいけないわ。嫌われたくない。


 楽しく会話が弾むなかで新しく来店した方々に、トリスタン様は目を輝かせた。


「シュリ商会のお得意様のグラフトン侯爵家の方々がいらっしゃった。一緒にご挨拶に行こう。デリア様とグラフトン侯爵夫人はシュリ商会の大お得意様だし、大金を出資してくださっているグラフトン侯爵閣下は私の大恩人でもあるんだ」


「え! 私は行けません。ちょっと具合が悪くなって来たので・・・・・・帰ろうかと・・・・・・」


 どうしよう・・・・・・デリア様が私の顔を覚えていたら、絶対まずい。なんだって、こんな偶然が起こるのよ! 神様は意地悪すぎる。


「それは帰った方がいいですね。ですが、帰る前にひと言だけでも一緒にご挨拶に行ってくださいませんか? あの方達を無視して帰るなんてできません。私との結婚を望むのなら是非そうしていただきたい」


 そう言われたら一緒に行かないわけにはいかない。私はなるべく髪で顔を隠し、顔を上げないようにうつむく。


「失礼します、グラフトン侯爵閣下。ご挨拶申し上げたくて、お声をかけさせていただきました。お会いできて嬉しいです」


「ん? おぉ、シュリ伯爵家のトリスタン君じゃないか。やぁ、奇遇だな。おや、そちらの令嬢は?」


「はい、彼女は私のお見合い相手のジャンヌ・ユゲット男爵令嬢です。お恥ずかしながら、今日が初めてのデートでしてね。このような記念すべき日にグラフトン侯爵閣下にお会いできたのもご縁ですね。これからもシュリ商会をよろしくお願いします」


「ほぉーー。それは記念すべき日だな。お祝いに、こちらの食事代は私が払おう。お見合いと言っても形式的なものだろう? 実質的にはもう婚約者になったようなものだな? おめでとう!」

 グラフトン侯爵閣下は気さくな口調で、思っていたよりずっと優しそうだ。


「ありがとうございます。さぁ、ジャンヌもご挨拶をして」

 トリスタン様が私に催促する。


「ジャンヌ・ユゲットでございます。以後、お見知りおきを・・・・・・」

 顔をあげずにモゴモゴと挨拶した私に、トリスタン様が困ったように顔を歪めた。


(わかっているわよ、このような態度が失礼なことは。でも、顔をあげたらバレちゃうかもしれないから、しょうがないのよ)


「あら、こちらの顔も見ないでご挨拶する方は初めてですわ。お顔をあげなさい。それがユゲット男爵家の礼儀ですか?」

 グラフトン侯爵婦人の不快そうな声音に怯えながらも、おそるおそる顔を上げるとデリア様と目があった。


「まぁ、お久しぶりですわね。あなた方の忠告どおりに、クラーク様をナタリー様にお譲りしました。あの時はご親切な忠告をくださって、感謝しておりますのよ?」


 レストランにいた貴族達がピタリと会話をやめた瞬間だった。先ほどまでの羨望の視線とは違う、冷たい責めるような視線を感じた。


 これから私は公開処刑されるの? もちろん物理的な意味では無くて、社会的な意味でだけど。どうしよう・・・・・・トリスタン様に嫌われる・・・・・・



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