第15話 やらかし




 微睡みの中でふと保健室に入ってくる足音が聞こえる。



(ああ、誰か来たんだ……)


 ぼんやりとほとんど働いていない頭の片隅で理解した。わたしの寝ているベッドは四方カーテンに囲まれているため、誰が入室したかは分からない。


(具合が悪いのかな)


 足音は真っ直ぐにこちらに向かっている。恐らくは空いている隣のベッドを使いたいのだろう。一人であれば気兼ねなく使えたけれど、こればかりは仕方ない。どうせここで寝ているだけなのだから誰が来ようと関係ないはずだ――そう思っていたのに、足音の主は迷いなくわたしが寝ていた方のベッドにやってきて、無遠慮にカーテンを開けた。




(え、なに、なに、なに……?)


 突然の来訪者に関わりたくなくて、ぎゅっと眼を閉じる。わたしが居るのだからすぐにカーテンを閉めて、隣でベッドで横になればいい。

 それなのに、その人は何故かベッドに侵入し、わたしを背後から抱き込んできた。




「ちょっ……」



 叫ぼうとした口はすぐにその人の手によって塞がられた。そしてあろうことかわたしの首筋に顔を埋めて匂いを嗅いでいるのだ。



(ひっ! 気持ち悪い!)


 男の荒い息が耳元の近くに聞こえてくる。逃げようとしても身体はガッチリと抑え込まれていて、抵抗出来そうになかった。

 生理的な嫌悪と、もしかしたらこのまま犯されるのかもしれないという恐怖で、情けなくもガタガタと身体が震えた。だけどこのままなにもしなかったら男のされるがままになってしまうだろう。そんなのは嫌だ。いっそ男の手を思い切り噛んでやろうかと口を開けた時、ゆっくりと塞いでいた手を外し、わたしの名前を呼んだ。




「一花。怖がらないで」

「れ、ん、くん……」



 無茶を言うな。誰とも知らない相手にこんな痴漢行為をされれば誰だって怖がるだろ。

 というかよりにもよって蓮くんか。これなら誰か分からない相手のほうがまだマシだった。だって彼はわたしが保健室に逃げ込むことになった元凶だ。ましてや朝の登校から会話もしていないし、気まずい思いをしたまま解散している。

 よりにもよってどうして彼がこの場にいるのか。というかなんでわたしが保健室に居るのを知っているのか。色々とツッコミたいことはあるけれど、とりあえず今すぐに言いたいことは一つだ。



「お願いだから離れて」



 この状況はまずい。先生の居ない二人きりの保健室で、一緒のベッドで抱き合っている姿なんて、誰が見てもこれから先の展開を予想出来るものだろう。もしも他の誰かに目撃されたらどうするのか。言い訳のしようがないじゃないか。

 

 ましてやわたし達は今日噂されているばかりなのだ。下手したら退学か停学の処分がくらってもおかしくない。見られたらまずいのは彼だって同じはずなのに彼は全く退く気配がない。



「なんで一花と離れなきゃいけないの?」

「こんなところ見られたらまずいでしょ」

「そんなこと気にしていたの? 恥ずかしがり屋さんだなぁ。大丈夫。ここに入った時に鍵閉めといたから誰も来ないよ」



 全然大丈夫じゃない。なにをもって大丈夫と言えるのだろうか。彼は大丈夫の意味を知らないんじゃないか。



「蓮くん」

「…………だってこうでもしなきゃ一花逃げるでしょ?」




 それはまぁ確かにそうだ。彼のファンクラブの子達に噂されている状態で蓮くんに関わるなんて面倒だ。だけど、この体勢で過ごすくらいなら逃げることは諦めよう。



「逃げないって言ったら離れてくれる?」

「そうだね。あと別れるって発言も撤回してくれたらいいよ」



 なにげなく投げ込まれた突然の爆弾に喉がひゅっと鳴った。すぐ傍に居る彼にも聞こえただろうに、知らないフリをして、わたしの頰に口付けている。



「蓮くん……」

「ねぇ、なんで別れるなんて言ったの? 俺の何が不満で、どこが嫌いなの?」

「と、とりあえずっ、離れて!」

「やだ。せっかく二人きりなんだから少しだけくっついていたい」


 何度も頰にキスを送りながら、お腹を撫でられる羞恥心で死んでしまいそうになる。

 平均的な身体つきだと思うけれど、運動もしていないお腹は多少なりとも柔らかい。引き締まった身体を持つ彼に触られると、自分のだらけた生活を晒している気がして、すごくきまりが悪い。


 せめて少しでいいから離れて欲しいのに、それすらも彼は許さないつもりか、尚更強く抱きしめてくる。


(そういうところが嫌なのに……)



 彼は慣れているかもしれないが、こちらは初心者だ。少しくらいは手加減しても良いじゃないか。

 なんでもかんでも自分本意にことを進めようとする精神が気に喰わない。けれどもがけばもがく程に拘束はきつくなっていく。その上、あろうことが耳朶を舐めあげてきたのだ。



「…………やっ」


 不意打ちのせいで自分でも信じられない程、甘い声が洩れる。それを聞いた彼は気を良くしたのか背後で笑った気配がした。わたしが逃げないように強く抱きしめながら、柔らかく唇で耳朶を挟み込み、形を確かめるようにゆっくりと舌が這っていく。時折感じる吐息がくすぐったくて身体を丸め込ませれば、可愛いだなんて見当違いなことを述べている。


(やだっ。こんなのいやだ!)



 大体別れたがっていた理由を聞こうとしてきたのに、どうしてこんなことしてくるのか。

 離れて欲しいと伝えたのに、ちっとも聞き入れてくれない。遠慮なく舐められていくせいでダイレクトに卑猥な水の音が聞こえてくる。生き物のように蠢くそれに反応して、声を上げそうになって慌てて手を口で抑える。そんなことをしたら好き勝手に嬲る彼が余計に調子づいてしまう。それだけは阻止したくて、手の甲を噛んで抑えれば彼は驚いた様子で猛攻を止めた。


 そして、彼の気が緩んだ隙に、思い切り力を込めて腕を剥がしてベッドから抜け出す。勢い余って尻もちをついてしまったけれど、拘束されていた先程の体勢よりはマシだ。無様に転んでしまったわたしに彼は手を伸ばすが勢いよく叩いて、自力で起き上がる。



「一花?」

「なんで嫌だって言っているのに好き勝手に身体触るの? 蓮くんは同じことされて嬉しいの? わたしは蓮くんのそういうところ大嫌い!」




 呆然とこちらを見つめる彼に思いの丈をぶつけてとんでもない事実に気付く




 しまった。

 保健室の鍵は彼が持っているんじゃなかった?



 ああ、またやらかした。


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