きみがくれた日常を

天野 心月

きみの存在 


「え、いまなんじ!?」


 カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めて、バッと被っていた布団を投げ捨てる。

 窓の外はとっくに明るくて、すでに太陽が顔を出していた。


 時計を見てみるともう9時近くを指している。


 これじゃあ思いっきり遅刻だ。

 

 今日は高校の始業式。

 そして昨日、高校生活スタートの入学式をしたばかりだ。

 そんな次の日に遅刻するなんてさすがに怒られるかもしれない。




「お母さん! どうして起こしてくれなかったの?」


 お母さんのことを叫びながら駆けていく。

 階段を下りて、リビングを一通り見渡す。

 いつもとは違って、シーンとしていた。


「だれもいない……」


 家の中にわたしの呟きだけが響いて消えた。


 そこにはお母さんもお父さんもいなかった。

 お父さんは仕事に行ってるからいないのはいつものことだけど、お母さんは大抵いつも家にいる。

 それに、おばあちゃんは縁側でよく本読んでいるのに。


 珍しいこともあるもんだ。そう思いながらわたしは冷たい水で顔を洗ってリビングの机の方へ向かう。




【買い物に行ってきます。

 おばあちゃんは神社の方に居ます】


 簡潔に書かれた置き手紙があるのに気づく。


 どうやらおばあちゃんは神社にいるらしい。

 神社というのはわたしの家の隣にあって、我が家が代々受け継いできた大切なもの。

 だから、第二の家みたいな。


 お父さんはそこの神主で、わたしはよくお手伝いをしている。といっても、掃き掃除とかお守りの整頓とか些細なことしかまだやらしてもらえないけど。


 もう一度目を凝らして紙を見てみると、下のほうに"正"の字が小さくたくさん並んでいた。

 きっと私を起こしにきた回数を意味してるのだろう。

 こんなことをするなら起きるまで何回でも起こしてくれればいいのに。


 はぁ、と思わずため息が零れる。

 とりあえず朝ごはんを食べようと箸が入っている棚に手を伸ばす。


 ってこんなことしてる場合じゃない!


 伸ばしかけた手を引っ込め、また自分の部屋に戻るために階段を上っていく。


 鏡の前で制服を整える。


 ブレザーに水色のリボン。少し短めのスカート。

 中学はセーラー服だったから、ブレザーは新鮮で高校生になったと実感させてくれる。


 よし、胸元のリボンも曲がってない。

 まだ履きなれない新しいローファーを履き、わたしは勢いよく玄関を飛び出した。




 無我夢中で走ってると目の前に大きな桜の木が立っていた。

 昨日は車で学校に行ったからか気づかなかった。


「わぁ……」


 遅刻のことなんて忘れて、思わず見入ってしまうほど綺麗な桜の木。


 この辺の桜はわたしの家が代々管理しているらしいけど、わたしは一度も見にきたことはなかった。


 こんなところにあったんだ。


 これから毎日学校の行きと帰りに見えるんだ。

 そう思うと不思議と胸が踊る。



 桜に目を奪われてると、だれかにドスンとぶつかった。

 地面に尻もちをつく。


「ご、ごめんなさい!」


 慌てて頭を下げる。

 辺りを見てみると、鞄のチャックが空いてたから教科書やノートが散らかっている。

 ひとつひとつ拾って鞄の中に入れる。



" またあえた "


「え?」


 どこからか声が聞こえて、思わず顔を上げる。

 そこにはわたしと同じくらいの年の男の子が制服を着て立っていた。

 ぶつかってしまったことに怒っているのかなにも言わない。


「あの……すみません。失礼します!」


 その場をすぐ去った。


 さっきのひと、同じ高校の制服だった。

 わたしと同じで遅刻なはずなのに、どうして学校と反対方向に歩いているんだろう。

 そんなことを思いながら走った。





 やっと教室のドアの前に着いた。

 耳をすましてみれば次々と、名前を呼んでいるからどうやら健康観察をしてるみたいだ。


「はぁ……はぁ……」


 教室のドアを開ける前に息を整えないと。

 はやる鼓動を手で抑えていると、


水原みずはらあおいさん」


 わたしの名前が呼ばれた。



「あの……おはようございます」


 扉を開けて、いきなり出てきたわたしにみんなは目を丸くしてこっちをうかがっている。


 本来ならこんな注目されることもないのに。

 やだな、この空気。


 はやく席に着こう。

 そう思い、早足で前を歩く。


 そのまま先生にペコッとお辞儀をして前を通り過ぎようとしたら、


「水原さん。後で職員室に来るように」


 と言われる。


 にっこりしてるけど、声色から怒ってるように感じた。


「は、はい!」


 緊張しながら返事をした。






「はぁ……。疲れた」


 机に顔を伏せる。


 あのあと職員室にいったわたしは先生にしっかり叱られて、雑用を3個もやらされた。


 ほんとありえない。

 まぁ、たしかに。わたしが悪いといえば悪いんだけど。

 今日は始業式だよ?

 だからもうちょっとくらい優しくしてくれてもいいんじゃない?

 ひとり心の中で愚痴る。



「あおちゃん、お疲れさま。朝から大変ね」


 顔を上げると、小学生のときからの親友、佐倉さくら由乃ゆのがいた。そしてわたしの机の上に紙パックのココアをひとつ置いてくれる。


「由乃〜! ありがと!」


 わたしの大好きな飲み物だ。

 さすがわたしの好きなものをよくわかっている。


 小学生の頃、同じクラスになって由乃から話しかけてくれた。それからすぐ仲良くなれて、そのときから由乃はいちばんの友だちで親友。

 中学のとき、わたしが冷たくして遠ざけていた時期があったけど、それでもまた仲良くしてくれた。話してくれた。

 だから、由乃はわたしの大切なひと。

 この子だけはなにがあっても裏切らないって信じてる。





「ほんと知ってるひとがいてよかったー」


 安堵すると共に零れた本音。親友と同じクラスでよかった。

 これだけで一年間やっていける。


 大袈裟かもしれないけど、わたしにとってクラスに友だちがいることは大切なのだ。

 ひとりにならないためにも。


「わたしもあおちゃんがいてよかった」


 由乃も安心したように呟く。



 わたしたちが通っているのは星ヶ丘高校。


 中学のときから勉強は苦手だったけど、勘だけはよかったから運良くここに入れた。

 そのせいで、授業にはついていけないこともしばしばある。

 この高校は学力に結構力を入れている進学校だ。

 由乃は大学にいくからここを選んだらしい。

 わたしは、大学にいくつもりなんてないけど、家からいちばん近いからここを選んだ。


 だって、わたしの将来はもう決まってるから。

 自分の家の後を継ぐ。ただそれだけ。

 自分の夢なんかもうとっくの昔に割り切っている。




「あ、そういえば。昨日由乃に借りてたペン……」


 昨日、一緒に遊んだときに由乃に借りたもの。


 鞄の中を漁る。

 おかしいな。朝、確かに入れたはずのペンがどこにも見当たらない。


 嘘。もしかして置いてきた?

 いやでもちゃんと持ってきたはず。

 思考を巡らすと、あっ!  と思いあたることがひとつあった。


 今朝急いでいてだれかとぶつかったときに落としたのかも。

 鞄、開けっ放しだったからな。どうしよう。


「あおちゃん?」


 由乃が不思議そうに見つめる。




「由乃、ごめん! ペンどこかに落としちゃったみたいで。

 でも必ず見つけるからもう少し待っててくれない?」


「うん。全然いいよ」


 いつでも大丈夫だから、とにっこりと笑う。

 そんな由乃に「ありがとう」と返す。




 ふと隣の席を見ると荷物がなにもない。

 お休みなのかな?

 気になって由乃にいてみる。


「わたしの隣の席の子、お休みかな?」


「えっと、たしか最近この街に引っ越してきた子だから明日から登校するみたい」


 先生が言ってた、と由乃が思い出しながら説明してくれた。


「へぇ、そうなんだ」


 最近引っ越してきた子か。

 じゃあこの街のことまだよく知らないってことだよね。

 色々教えてあげたいな。

 せっかく隣の席なら、男の子か女の子かわからないけど、仲良くなれたらといいな。


 だれもいない席のほうを見つめそう思った。





 次の日。


「おはよー!」


 扉を勢いよく開けて、大きな声でクラスのみんなに挨拶してる子がいた。

 それはまるで太陽のような明るさだった。


 髪色が茶色でシャツのボタンの一番上だけ外している少し着崩した制服。

 昨日は見たことないから、転校生の子かな。


 最初はみんなびっくりしていたみたいだけど「おはよー」と次々と返していた。




 トンと隣で荷物を置く音が聞こえる。

 やっぱり転校生の子だ。


 どうしよう。

 やっぱ、声かけないとだよね。

 緊張するけれど、友だちをつくるチャンスなのだから。


 戸惑いながらわたしが口を開こうとすると、


「あ、俺、高野たかの伊織いおり。よろしくな!」


 こっちを向いてにっこり挨拶してくれた。

 先程とおんなじ元気で明るい声に安心をおぼえた。


「うん」


 席を立って、わたしもおなじような笑顔を返す。


 よかった。

 なんだか話しやすそう。

 これなら友だちになれるかもしれない。




 安心して席に座ると、


「あのさ、これ。昨日落としてた」


 高野くんがわたしの机に静かにペンを置く。


「え、あ! 由乃のペン! でもどうして?」


 それはかわいいピンクのペンで、"yuno"と名前が書かれている。

 これはどこからどう見ても由乃のペンだ。

 なんで高野くんが持ってるの?

 でも、そんな疑問はすぐ解けた。


「……ぶつかったときに」


「あぁ! 高野くんだったんだ。

 あのとき急いでてほんとごめんね」


 咄嗟に謝る。


 気づかなかった。

 ぶつかったとき、相手の顔をしっかり見る余裕なんてなかったから、全然わからなかった。


 同級生、しかも隣の席のひととぶつかるなんて。

 そんな偶然もあるんだ、と驚く。


「葵が謝ることじゃないでしょ。じゃあ」


「え……」


 向こうの男子たちのほうへ歩いていく高野くんを見ながら、聞こえた言葉に耳を疑う。



 あおい。たしかにそれはわたしの名前だ。

 でも、名前まだ教えてないのに。


 うーん、と考える。でも答えなんて出るはずない。

 もしかしたら、わたしの聞き間違いだったかもしれない。

 だから、これ以上は深く考えないようにした。






 ガラッと重たい教室の扉を開ける。

 わたしはこの瞬間があまり好きではない。

 なぜなら、教室にいる生徒のほとんどの視線が一気に集まるから。

 注目されると、なにも言えなくなる。


 わたしも高野くんみたいに元気よく「おはよー!」なんて言えたらいいのに。

 そしたらきっとすぐに友だちだってできるはずなのに。


 そのまま視線を落として、自分の席に着く。

 すると、先に来ていた由乃が「おはよっ!」と挨拶してくれた。

 わたしも同じような調子で返す。




「高校生活もだいぶ慣れたけど新しい友だちつくれなさそう」


 はぁ……と少し短めにため息をつく。


「わたしもだよ」


 すかさず、由乃が相槌を打つ。


 もともと友だちをつくるのは苦手。

 中学の頃、正確には、あのときから友だちを信用できなくなった。

 途中で裏切られるくらいなら友だちなんていらない。

 そこからわたしは臆病になってしまったんだ。



 クラスを見渡してみると、高野くんが目に入る。

 もうほかの男子とわいわい話していた。

 すっかりクラスの中心的人物だ。


 すごいな。もう友だちつくっている。

 転校生で知り合いもいないはずなのにもうクラスに馴染んでいた。

 わたしとは正反対すぎる。




「由乃、これ借りてた教科書」


 ひとりの男子が由乃の前にくる。

 教科書を渡したのは、昨日から高野くんとよく話してる松永まつなが颯太そうたくんだ。

 たしか、部活も同じだった気がする。


 結構、騒がしいタイプで、だれとでも笑顔で話す。


「あ、うん」


 いつでもいいのに、と笑いながら由乃はそれを受け取る。


 そのひとはわたしの顔を見てニコッと笑った。

 だから、わたしもペコッと会釈する。




「仲良いの?」


「あ、うん。中学から塾が同じで結構仲良いんだ」


 由乃は松永くんから受け取った教科書を机の中にしまってもまだ松永くんのことを目で追っていた。


 由乃が男子と話すなんて珍しいな。

 男子と話すのが苦手という由乃は、普段あまり男子と話さない。

 そういうわたしもあまり話さないけど。


 きっと、気を許して話せる相手なんだろうな。

 わたしも由乃以外でそんな友だちができたらいいな。


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