結婚前の一波乱 ⑤
どうしようかと途方に暮れつつ、ラエラが室内を見回していた時だった。
視線が窓へと向いた時に、窓の外から中を窺っている人物とバチッと目が合う。ラエラは驚いて「ひっ」と声を上げた。
よく見れば、先ほど家の中に連れ込まれた時に、遠くからこちらを見ていたあの男の子ではないか。
警戒心を強めたラエラだが、男の子は窓の向こうで何か言っているらしく、口をパクパクさせている。だが、距離があってよく聞こえない。
近づこうにも、ラエラが寝かされていたベッドは部屋の真ん中、両手両足を縛られている状態では窓まで歩いて行く事も出来ない。
ラエラは縛られている両手を上げてみせて、それから視線を足下へと移して両足も縛られている事を知らせた。男の子はぎゅっと眉根を寄せ、焦った様子で窓に手を伸ばした。
ガタガタと窓が揺れる。とその時、廊下からまた足音が聞こえてきた。ラエラのいる部屋に向かって近づいている。
ラエラは男の子に向かって首を左右にふってから視線を扉へと向け、人が近づいて来ている事を伝えた。最初は怪しんだが、男の子の様子から誘拐の共犯ではないと判断したからだ。
察した男の子は、こくりと頷くと窓から姿を消した。ラエラが再びベッドの上に横になって目を瞑ったとほぼ同時に扉が開いた。
「なかなか起きないな。薬が強すぎたか?」
苛立った口調でそう言いながら近づいてきた足音が、ラエラの前で止まる。顔を近づけた気配がした。
―――この声、やっぱり間違いない。
もう一度声を聞いて、ラエラは自分を攫った人物が誰か確信した。
だが、理由が分からない。
彼と会ったのは、もう2年以上前。
最後の印象はお互いに最悪だったとは思うけれど、街中で攫われる程ではない筈だ。
「・・・まあいい。邪魔が入る前にさっさとすませよう。寝ている間に終わらせた方が、面倒がないかもしれないな」
呟きが聞こえたと同時に、ブツと音がして足が自由になった。足を縛っていた縄が切られたのだと気づく前に、男の手が伸びてラエラの体を上向きにする。そして、縛られた両手を掴むと、ぐい、とベッドの上へと押しつけた。
ラエラは眠ったふりを忘れて、驚きで目を見開いてしまう。
それを見て男は軽く目を見開いたが、ふん、と鼻を鳴らすと口を開いた。
「なんだ。とっくに気がついてたのか。わざと寝たふりとは、相変わらず可愛げがない女だ」
「・・・グスタフ・ケイシー。これは何の真似ですか?」
「生意気に呼び捨てか。前のようにグスタフさまと呼べ」
「グスタフ・ケイシー。わたくしから離れなさい」
「はっ、なぜ俺がお前の言うことを聞かないといけない? お前が内助の功をするのを渋ってから、ロクな事がなかった。だが、ここでお前の純潔を散らせば、俺にも運がまわってくるんだ」
「は? 何を馬鹿な事を」
「よかったな、やっと俺の役に立てるぞ。ああ安心しろ、ちゃんと責任取ってお前を娶ってやるから。もう平じゃない、役付きの騎士の妻だ、嬉しいだろう」
縄を切ったナイフを持つ右手を見せびらかすようにひらひらと動かしながら、グスタフは楽しそうに笑った。
だがその目は至って真剣で、言っている事は全て本気なのだと、否が応でもラエラに伝わってしまう。
ラエラの縛られた両手を左手で押さえ込んだまま、グスタフはナイフをラエラの胸元より少し上、ドレスの襟ぐりにぴたりと当てた。
「脱がせるのは面倒だし、ビリビリに切り裂いてしまおうか。そうしたら、ヤッた後も逃げられないだろうしな」
貴族令嬢と護衛騎士。力で到底敵う筈もない。それでもラエラは、抵抗と拒絶の意思を示す為にグスタフを睨み上げた。憎悪と嫌悪を、その視線に最大限に込めて。
「ははっ、睨まれたって怖くないぞ。むしろ余計に燃えるってもんだ」
グスタフがナイフを持つ手に力を込めようとした時、ガン、という音がした。それから数秒経って、グスタフの体がぐらりとよろめき、ベッド脇へと倒れ込む。
「ごっ、ごぶじですかっ⁉︎」
続けて聞こえてきたのは、少し高めの子どもの声。
ついさっき、窓越しに対面した男の子が、手に大きな花瓶を持ったまま、ラエラに安否を尋ねた。
扉が大きく開け放たれているから、どうやら家に入り込んで助けに来てくれたらしい。
ラエラは取り敢えず、こくこくと頷いた。すると男の子は、はああと大きく息を吐いてその場に蹲った。
「よかった、よかったぁ・・・ラエラさまに何かあったら、ヨルンさまに怒られちゃうもん。もう・・・もうっ、ラエラさまったら、今日は一日ずっとおやしきにいるはずでしょうっ? 予定とちがうことをしちゃダメじゃないですかぁ・・・っ」
「え、ええと?」
安堵したせいなのか。
何故か誘拐、監禁された挙句に強姦未遂という目に遭ったラエラではなく、助けに来た男の子の方が、えんえんと泣き始めたのであった。
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