第34話 ネドヴェトの黄薔薇①

(マルチナ視点)


 エミーアマーリエが本当に家出をした。

 まだ、十二歳なのに……。

 あの子の性格では頭に血が上ると考えもなく、行動するのだ。


 ユナユスティーナとエミーがよく衝突するのは二人が似ているからだと思う。

 私から見たら、二人は似ているからこそ同族嫌悪を抱いているのではないかしら?

 そう指摘する勇気はないのだけど。

 「どこが似てるのよ」とそういう時だけ、息を合わせる二人の様子が思い浮かんだからだ。


 それにエミーのことだから、すぐに音を上げて、戻ってくる。

 心配ではあるけど、頭を冷やす時間が必要なのだろう。

 あの子だけではなく、私達も……。


 エミーがいなくなってから、お母様とユナの様子が明らかにおかしい。

 目を開けていても何も映していないようにがらんどうの瞳をしているとでも言ったら、いいのかしら?

 感情が抜け落ちたような表情といい、不気味でしかない。


 屋敷の様子もおかしい。

 使用人の数がこんなに少ないなんて、どうして気付かなかったんだろう。

 手入れが行き届いていないからか、庭だけでなく、邸内も荒れ始めている。

 こんな状態なのに気が付かないまま、暮らしていた私達は……。


 頭に何か、鋭く尖った針のような物を突き刺された感覚を覚えた。

 一瞬の激痛だったから、少しふらついただけ。

 でも、やはり、おかしい。

 使用人から、向けられる視線がぶしつけすぎるのだ。

 それにあんな特徴的な瞳の色がいるものなのか。

 叔母様ジャネタ・コラーアースカラーの瞳アースアイと同じじゃない。


 そこではたと気が付いた。

 ベティベアータも同じアースアイ。

 叔母様が推薦して、メイドになったのがベティだ……。

 単なる偶然ではない。


 次の日の朝早く、叔母様が訪ねて来たことで疑惑は確信に変わった。

 お母様とユナは少しだけ、正気を取り戻していた。

 エミーのことを心配して、その身を案じる二人の姿はかつての笑顔が絶えない我が家を思い出させるものだったのに……。


 叔母様がやって来てから、また、元に戻ってしまった。

 お母様とユナの虚ろな瞳が全てを物語っている。

 このままではまずいと思う。

 私の心が……頭がまだ、正常なうちにどうにか、しないといけないわ。


「あの叔母様。私、買い物に行きたいのですけれど。よろしいでしょうか」

「まぁ。そうなの? それなら、一人で行動しては駄目よ。分かるでしょう? ちゃんと護衛をつけなさいな」

「はい。叔母様。ありがとうございます」


 我が家は侯爵家としては自由な気風を旨としていた。

 腕に自信のあるユナが護衛代わりを務めることで、町への買い物を許されていたのだ。

 それを利用して、打開策を練ろうと考えていたけれど、叔母様の方が一枚、上手だった。

 護衛の騎士が二人と侍女が一人。

 全員がアースアイの持ち主だ。

 私の身を護る為というより、監視するのが目的に違いない。


「お嬢様。どちらに向かえば、よろしいでしょうか?」


 虚ろな表情をしたアースアイの馭者の言葉に暫し、逡巡する。


 マソプスト公爵家を頼ろうと考えていた。

 その令嬢ヴァネサと私は親友だ。

 王位継承権を持つ準王族であり、純然たる力を持つ大貴族である。

 当主ダリボルは天下の御意見番と謳われる気骨のある人だった。

 老年に差し掛かったお年とはいえ、未だに気概は失われていないと聞いている。

 だから、きっと力になってくれると考えたのだけど……。


 監視がいてはどうにも手の打ちようがない。

 身動きが取れないじゃないの。

 どうしよう……。


「新しい帽子を見たいわ」

「かしこまりました」


 一つの賭けに出ることにした。

 ヴァニーヴァネサはお洒落に目がない。

 新しい物好きなので確か、新しい帽子が欲しいと言っていたではないか。

 卒業後のデビュタントに向けて、準備に余念がないのは同じだから、運が良ければ、会えるかもしれない。




 私は賭けに勝った。

 やや奇抜なデザインを武器に業界に新しい風を吹き込んだ帽子屋がある。

 そこにヴァニーもやってくるに違いないと踏んだら、本当にいた。

 どうにか、出来るかもしれない。

 少しだけ、希望が抱けた。


「あら、マリー。こんなところで会えるなんて、嬉しいわ」

「ヴァニー。私も嬉しいわ」


 ぴったりと張り付くように侍女がいるので迂闊なことは口に出せない。

 何で家に戻されるか、分からない以上、慎重に行動しないと……。


「新作の帽子がすごいらしいの」


 目を輝かせて、薔薇のような笑顔を見せてくれるヴァニーは、まだ私の異変に気付いていない。


「まぁ、そうなの」


 彼女が帽子を手にしたタイミングでそっと手を触れた。

 ネドヴェトの長女として、両親から美しい容姿を受け継いだ私だけど残念ながら、特別な力は持っていない。

 出来ることと言ったら、直接、触れることで内緒の会話が出来ることくらいだ。

 それが役に立つことになるとは思っていなかったわ。


(ヴァニー)

(どうしたの、マリー)


 ヴァニーと私は表向きには帽子を手に取り、他愛もないおしゃれについて語っているだけ。

 表情を崩さず、感情を表に出さず。

 そういられるのは淑女教育の賜物だ。


(助けて欲しいの。今、詳しく説明する余裕がないのだけど)

(分かったわ。あなたが助けを求めるなんて、余程のことなのでしょう? 任せてくださいな)


 お手洗いに行くという名目で侍女を離すことに成功した。

 侍女は「奥様から、そう命じられております」と言い張り、お手洗いにまで同行しようとしたが、ヴァニーと店主に窘められるとさすがに諦めたのだ。

 お手洗いに行くと見せかけ、店主の手引きで裏口から脱出した。




 こうして、どうにか当初の目的を達成出来た。

 マソプストの家に助けを求められたのは大きい。

 あの侍女がマソプストを知っていて、叔母様に報告したとしてもネドヴェトやコラーでは手を出せない。

 王家すら一目置くマソプストに対して、物言いが出来る家などないのだ。


 今までに起きた不思議な出来事をヴァニーに包み隠さず、話すと普段、明るく朗らかな表情を浮かべている彼女にしては難しい顔になってしまった。


「どうしたの?」

「こういう時、お兄様がいたら、頼りになったのですけど」

「お兄様? ヴァニーにお兄様がいらしたのね」

「あら、知らなかったの。いつも学園でも見かけていたでしょ」

「ふえ?」


 その時の私は余程、素っ頓狂な表情をしていたのだろうか。

 ヴァニーはけらけらと令嬢らしからぬ声で楽しそうに笑いながら、驚くべきことを言った。


「ペトルお兄様はマソプストの名を出したがらないの」

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