第12話 いよいよ上陸……のはずなんですが

 5泊6日の航海を終え、下船するテプレンの港町が遠目に見えてきた。


 甲板で遠く浮かんでいた淡い影が次第に色濃く、くっきりとした線を描き始める様子を眺めながら、私は上陸を心待ちにしていた。


 直線距離だとそれほど遠くないはずの大陸の玄関口であるが、大型船舶はコカル諸島を横切れない。


 コカル諸島はカロナー島を含め大小38の島々だけど、それぞれの島の占有権が複数の国家で入り乱れている。


 唯一大陸イリル・ガードは、その名の通り、ひとつの大陸だけど、あまりにも広大なので、地理学的には便宜上東西南北の四つの地区に分けられている。


 前世に合わせて北を真上として思い浮かべたら、大陸をX字に斜めで分割する感じ?


 コカル諸島があるのは、西大陸の海岸線中央あたりを大きく深くえぐった形になる内海。


 前世の世界地図で言ったら、ちょうど位置的に地中海のイメージ。


 カロナー島は、コカル諸島の西寄り中央にある。


 カロナー島の北側はガストリン皇国。


 カロナー島の真東には西大陸最大のリバロークレスト帝国がある。


 コカル諸島の南側は、西大陸南側と南大陸をまたいだ領地を治めるフットレア王国。


 コカル諸島の島々の半数はカロナー島以外で唯一諸島内に本拠地を置くアセトリアン海王国に属している。


 東大陸と北大陸は、かなり遠いので1年じゃ往復するのが難しいとか。


 何となく前世でいう東洋のイメージがあるし、いずれは行ってみたいなあ。


 で。


 これから行く港町テプレンを有するガストリン皇国は、歴史こそ古いものの、国力は他の大陸二国に劣り、領地も最盛期の三分の二に減っている。


 衰退の一途を辿るかと思われていたけど、現在の国主ブロスト2世の祖父で先代皇王のファモン=ティジン3世が中興の祖として名高い名君で、産業改革に尽力し国内財政を大幅に改善し、国力の回復が叶った、とか。


 ガストリン通貨が現在も国際通貨として世界最高水準の信頼度を保てているのも、その賜物である、と。


 で。


 位置的には同じくらいの大国三国のうち、国力は減ったものの、一番情勢が落ち着いているガストリン皇国を旅の出発地に決めたわけで。


 歴史が古い分、カロナー島とのつながりも深いので、初めて依頼を受けるにも利便性が高いらしい。


 ともあれ、多少時間はかかったが、それなりに快適な船旅だった。


 前世では車酔いしたから心配してたけど、船酔いはしなかった。


 船旅とかしたことなかったから正直分かんないけど、こっちの方の「酔い」も「今の私レミ」は強いのかも。


 私達が利用した一等客室は個室だったけど、二等以下は相部屋になるため、そちらだとちょっと窮屈な思いをしたかも知れない。


 一等と二等では代金が三倍近く跳ね上がる。


 二等客室は主に旅商人やそれほど裕福でない旅行者などが利用している。


 各自の寝台は指定されてて、それぞれにカーテンで簡易的な仕切りが設けられているので、一応人目は避けられるようになっているみたい。


 一部屋に二台の寝台が二段で並んでいる四人部屋が一単位だけど、こちらもカーテンだけで、しっかりとしたドアなどで遮られたりはしていない。


 つまり、出入りは自由なのだ。


 さらに格安の三等客室は、フロアに雑魚寝。


 さすがにそれは勘弁したい。


 いや、出入り自由の寝室だって、ご遠慮したい。


 寝る時くらい、防犯面はきちんとしたいし、人目を気にせず過ごしたい。


 聖堂は集合生活だけど、ちゃんと個室をもらっていたし、ましてや知らない人と昼も夜も一緒は、ちょっときつい。


 本気で金銭的余裕に感謝した。

 

(とはいえ、部屋の壁突き破るような乱痴気騒ぎはさすがに、ね)


『ああ、特等室の、ね』


 一等客室よりもさらに高額な代金が発生する特等客室は、船によっても多少前後するが、乗客全体の三分の一から半分の代金が賄える超セレブ客室である。


(ロイヤルスイートとか、ファーストクラスって感じかな。ちょっと見てみたいけど)


『王族の依頼とか受ければ、機会はあるかもね』


(いや、それって結構な困難案件でしょ。そこまでして乗りたくない)


 それに。


(いくら上流階級でも、あの人達みたいなのとは、お近づきになりたくない)


『そうだね。昼も夜も、まあ飽きずに大騒ぎするから、レミの不快感がこっちにバンバン流れてきて、僕もストレス』


(ああ、そういうのも共有しちゃうんだ。ゴメンね)


 特等客室の乗客は、フットレア王国から乗船している、いわゆる富豪の物見遊山らしく、明らかに「奥様」じゃない感じの派手めの若い美女を連れた中年の小肥りの男だった。


 豪奢な服装にキラキラ光るネックレスや指輪を付けた、「ザ・成金」を絵に描いたような人物で、いつも絹の帽子を被っているが、あの中身はきっと身に付けた宝飾品並みにツルツルピカピカに違いない、と思っている。


 単なる乗客にこんな悪意のある表現をしてしまうのは、第一印象が、最悪だったせいもある。


 特等客室と私達がいる一等客室は隣り合っていたので甲板で出会ってしまうこともあり、2日目の夕方、あろうことか私に抱きつこうとしたのである。


 ローの声かけに気付いて咄嗟に避けたけど、「なんだガキか」と酒臭い息と捨て台詞を残して、今度はカーマさんに抱きつこうとして……こちらは鳩尾みぞおちに見事な手刀をくらい、撃退された。


 逆ギレして大騒ぎされたが、私達が退魔師だと分かると忌々しそうに引き下がり、その後は当て付けのように昼夜を問わず部屋で大騒ぎしていた。


 さすがに徹夜してまで起きていられないらしく、明け方から午前中は静かだったけどね。


 やってみたら、その短時間でもしっかり熟睡して疲労回復することが分かって、退魔師体質に感謝だったけど。


(自分の不行状差し置いて、八つ当たりなんて)


『まあ、退魔師相手に直接因縁付けるわけにもいかないからね。カーマのいうとおり、放っておけばいいと思うけど……まあ、うるさかったね』


(あー、やっと解放されるよ。テプレンに着いたら、お風呂付きの宿に泊まるって言うし、お湯いっぱい使っていいよね)


 船旅で唯一の不満は、(成金オヤジはおいておいて)浴槽に浸かった入浴が出来なかったことである。


 水での洗顔やうがい、お湯をもらって髪をすすいだり布で体を拭くことは毎日出来たけど、やっぱり飲み水優先なのだろう、一等客室でも浴室は設置されていなかった。


(教会に挨拶に行くのは明日だって言っていたから、今夜はゆっくりお風呂に浸かって、休めるよ-)


 が。


 えてして、こんな風にゴール間近にトラブルは起きるものである。


 油断大敵。


「誰か! 誰か来て-ぇ!」


 絹を裂くような悲鳴が響き渡った。


 声の主は……例の特等客室から。


「誰か! ……あぁ! 退魔師さま! 旦那様をお助けください!」


 這いつくばりながら出てきた美女の、その青ざめた顔を見て。


 先ほどまでの不平不満をすっ飛ばして、反射的に私は部屋に飛び込んでいった。

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