第3話「ここに私がいて、ここに君がいないっていう定番 (3)」

あおのお母さん!」

桝谷ますやさん?」

「あとでちゃんと、お家に伺います。それまで、待っていてください」

「本当?」


 私がそう声をかけると、蒼のお母さんはとても綺麗な笑みを私に向けてくれた。

 まるで、蒼の風邪は私が治すことができる。

 そう信じて疑わないような、そんな安心感に蒼のお母さんは包まれていた。


有栖川ありすがわさん、行きましょう」

「絶対よ! あとで絶対に蒼に会いに来てね!」


 蒼のお母さんは橋本先生に付き添われて、ゆっくりとした足取りで学校を去って行った。


「桝谷さん、そろそろ教室に戻りなさい」

「あ、はい……」

 

 先生にそう促されるけど、もうクラスでは蒼のお母さんのことが話題になっているかもしれない。

 でも、新堀しんぼりさんがいてくれるから、意外となんとかなっているのかもしれない。


(蒼はまだ生きているんだから、変な噂は極力減らしたい……)


 蒼のお母さんを見て、私は何がなんでも社済法しゃさいほうを繋ぎ止めておきたいと考えた。

 定期的に振り込まれるお金がないと、お母さんはあんな風になってしまうから。


(私に社済法を利用している側だから、お金をもらうとかはない……)


 でも、蒼の代理を務めるなら、蒼の家にお金を振り込んでほしい。

 あとで蓮本さんに相談しなければいけないことを頭に残して、私は校舎の中へと足を運ぶ。


「放課後、有栖川の家に寄って行ってもらえるか」

「はい」


 蒼の家が抱えている事情が分かって、かえってすっきりしたかもしれない。


「遅くなりました」


 みんながみんな、何かを抱えている。

 それはなんとなく生きていく中で察していたことだけど、いざ他人の抱えているものに触れたときの心の重さは異常なほど重い。


「今、教科書の13ページ目だ。用意してくれ」

「はい」


 教室に戻ると、クラスメイトから特に稀有な目で見られることがなかった。

 私と目を合わせないだけのことかもしれないけど、そういう気まずさのようなものも感じられなくて、私が心配していた大騒ぎ的な状況にはなっていかった。


(これも、社済法で結ばれた関係ある人たちがいてくれるから……)


 これからもみんなに光野原ひかりのはら町という架空の街が存在しているという嘘を吐き続けてもらうかわりに、私は蒼の力になる。

 なんて綺麗ごとなんだと自画自賛したくなるけれど、結局自分は誰のなんの役に立つことができるのか。


(蒼の家を救っているのだって、結局は国民の税金であって私の力でもなんでもない……)


 何かしてあげたいのに、何もできない。

 どう頑張ったって、どんなに努力したって、所詮、自分にできることは限られている。


「明後日の課題テストだが……」


 生き辛い。

 明日を生きていくことが、辛い。

 中学三年のときに抱いていた、あのときの感覚とは違う辛さが私を襲いかかってくる。


(生き辛いなら、逃げてしまえばいい……)


 確かに、あのときはそうだった。

 逃げるに逃げまくった結果、国が助けに来てくれた。

 だけど、今回は違う。


(蒼は、本当はもう亡くなってしまっているから……)


 叶えたい願いがあるのだから、逃げてはいけない。

 生きていくのが辛いなんて、多分気のせい。


 放課後まで無事に過ごすことができたけど、一人で蒼の家に向かうのは勇気が要ることだと改めて実感させられた。


「桝谷さん」

「新堀さ……くん」


 鞄を持って教室を出ようとすると、視界に新堀さんの姿が映る。

 新堀さんとは同じクラスのはずなのに、話をしたのは今朝の僅かな時間だけだった。

 朝以来の会話のはずなのに、随分長い時間話をしていなかったような気がする。

 今日1日、学校に来ることができなかった蒼のことばかりを考えていたせいなのかもしれない。


「また明日」

「……うん、また明日」


 普通の、クラスメイト同士の会話を交わす。


 何もなかったかのように接してくれるのがありがたくもあって、やっぱり新堀さんは社会人としての生活に慣れているのだと痛感させられた。


(他人に、必要以上に干渉しない……)


 他人と関わりすぎない、適度な距離感を新堀さんは知っている。

 そんな大人な新堀さんを羨ましく思うと同時に、恨めしいとも思ってしまう。


「桝谷さん」


 名前を呼ばれて、私たちは向かい合うことになった。

 そこに生まれる違和感。

 だけど、きっとこの違和感ってものも、いつかは消え去ってしまう。


「社済法……ちゃんと維持できるように頑張ります」


 社済法を、ちゃんと維持できるように。

 帰り際に、そんな言葉をかけるなんて反則だと思う。

 私の中で、新堀さんって人が単に良い人という存在になってしまう。


「私たち、共犯ですからね」

「共犯って……ふふっ、ははっ、なんですか、それ」


 新堀さんが笑って、空気が和んでいく。

 新堀さんが笑ってくれただけなのに、それだけで辺りを漂っていた空気が変わってしまうとか。

 本当に、いろいろあり得ない。

 新堀さんのペースに巻き込まれていく自分に戸惑いつつ、私は新堀さんと別れた。


(頑張れ……頑張れ、私……)


 自分を鼓舞しまくりながら、なんとか蒼の家まで辿り着いた。

 考えることも思うこともいっぱいあるけれど、私は今、蒼の家にいる。

 私は、その自覚を持たなければいけない。


「ごめんくださ……」


 鍵のかかっていない玄関のドアを開くと、廊下に蹲っている蒼のお母さんがいた。

 最初は体調が悪いのかと焦ったけれど、多分私のことを待っていたのだと思った。

 ずっと同じ態勢で。

 何時間もずっと、そこに蹲っていたんだろうなって。


「桝谷さん! いらっしゃい!」


 蒼のお母さんは綺麗に笑う。


「お願い、蒼を助けて……私、あの子がいなくなったら生きていけない……」

「蒼、2階ですか」

「ええ、お願い。お願い、蒼……私たちを助けて……」

「大丈夫ですよ、蒼のお母さん」


 蒼のお母さんが階段を上ってくることはなくて、蒼のお母さんはまた廊下に座り込んでしまった。

 蒼のお母さんが泣いている声がして胸が痛む。


(これが蒼にとっての、日常……)


 社済法利用者階堂さんは、国の金を動かすための餌と化している。

 階堂さんと、階堂さんの理解者の私がいれば、蒼のお母さんを救うことができる。

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