第13話 推しを忘れる
家の扉を開けると母が立っていた。
「昨日、どこで泊まっていたの? 山本君の家に電話したけど、アンタは泊まってないって言っていたわよ。それに学校はどうしたの?」
さすがに寛容なお母さんでもご立腹だった。
和田和也の母親は40代半ばである。髪は長く、少しぽっちゃり体型だった。原作のシーンでも和田和也のお母さんが怒ったシーンはない。というよりも、和田和也のお母さんが登場したのも1、2回ぐらいである。
だけど今はぼくの母親である。
自分が転生者という記憶があるのに、和田和也の幼少期の記憶もある。
だから彼女が母親であることをぼくは自覚していた。
母親に怒られても、ぼくは何も言わなかった。言えなかったのだ。
自分が昨日どこに泊まったのかもわからない。記憶が無いのだ。
「どうしたの?」
と母親が心配そうに尋ねた。あまりにもぼくが不安そうな顔をしていたんだと思う。
「昨日の記憶が無いんだ」
とぼくが言う。
「頭でもぶつけたの?」
と母が尋ねた。
頭をぶつけた記憶も無かった。
「病院行った方がいいのかな?」
とぼくは尋ねた。
「記憶ぐらい戻るよ」
と何の根拠も無いのに、母親が言い放つ。
いや、1日分の記憶が無いっていう状態をもっと心配しろよ。
1日分の? 昨日の記憶だけがポッカリと抜け落ちていた。
昨日、ぼくは何をしていたんだろう?
とても大切な事をしていたような気がする。
忘れてはいけない気がする。
だけど思い出す事ができない。
「学校はどうするの?」
と母親が尋ねた。
「今日は休む」
とぼくは言って、玄関を上がった。
「まったく」と母親に溜息をついた。「明日は学校に行きなさいよ」
ぼくは自分の部屋がある2階へ。
昨日の事を何とか思い出そうとしていた。
自転車に乗って何かを探していたような気がする。
その何かを見つけたのか、それとも見つけられなかったのか?
そう言えば世界観の家にも行った。
なんで行ったんだっけ?
それからぼくはどこに泊まった?
なんで昨日の事が思い出せないんだよ。
ぼくは溜息をついて勉強机に座った。
「ナニカを思い出さないといけないんだ」
とぼくは1人で呟いた。
なにか大切なモノを失ったような心のモヤモヤがあるのだ。
和田和也は写真を飾るタイプの男子生徒である。
転生前のぼくよりも和田和也の方がリア充である。
クラス写真も机に飾っていた。
胸のモヤモヤを抱えながらクラス写真に目がいった。
みんな知っている顔である。
和田和也の記憶にはクラスメイトの名前と顔があった。
そのクラスメイトの中に黒縁メガネをかけた女の子がいた。
この子は誰だ?
写真をジッと見つめた。
どうしても黒縁メガネの女の子の名前が覚え出せない。
見知らぬクラスメイトの女の子の名前を覚え出すことも、昨日の出来事を思い出すことも諦めて部屋着に着替えるためにワイシャツを脱いだ。
『新田一を探せ』
と腕に文字が書かれていた。
他にも文字が書かれている。
『新田一は透明人間に魅せられている』
『私を探して』
自分の字ではない文字が、お腹に書かれていた。
それは綺麗な字だった。
この文字は彼女の文字だと思う。
どうしてぼくは彼女の事を忘れていたんだろう?
ぼくは彼女の事が大好きだった。
ラノベ時代も大好きだったし、アニメになっても大好きだった。推しの負けヒロインである。
そんな彼女が8巻で透明人間に魅せられて消えてしまうのだ。そして解決編の9巻が出る前に作者は死に新田一は消滅したままになってしまった。
消滅ヒロインを救い出すために、ぼくはこの世界に転生して来たのだ。
「新田一」
とぼくは叫んだ。
制服を着なおして家を飛び出した。
自転車に乗ろうとしたけど自転車が無かった。
「新田一」
と彼女の事を忘れないようにぼくは叫んだ。
どこに向かえばいい?
どこに行けば君に会えるだろうか?
「新田一」
とぼくは叫んだ。
君の事を忘れないように彼女の名前を連呼した。
君はどこにいる?
どこに行けば君に会える?
彼女に会いたい。
彼女の事を愛している。
「和田君」
と声が聞こえた。
声がした方に振り返ると三つ編みメガネの女の子が立っていた。
「新田さん」
とぼくは呟く。
「和田君」
と彼女が言って、ぼくに手を差し出した。
その手をぼくはギュッと握った。
この手をぼくは2度と離してはいけない、と思った。
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