約束の碧い海

犬斗

【前編】残酷な春の風、君を連れ去る

 満開のソメイヨシノの下、三つの家族が一枚のシートに座り花見をしている。

 それはまるで、一つの家族かのような仲の良さだった。

 そして、それぞれの家族の一人っ子たちである三人の幼児が、桜の木の下で輪になって会話していた。


「ねえ、二人の名前にはハルがあるよね。いいなあ。ボクも仲間に入りたい」

「アオだってカッケーじゃん!」

「そうだよ! コハルもアオの名前好き!」

「でも、二人は春が来ると、こうやってお花見できるもん。ボクにはないよ」

「オレっちのハルはカンジってやつがちがうけどな!」

「仕方ないなー。アオにはいつかアオい海を見せてあげるよ!」

「ほんと? 見たい! ボク海大好き!」

「オレっちがつれてってやるぜ!」


 そんな微笑ましい幼児の会話を、信じられない恐怖が襲う。

 三人の幼児たちに向かって、突然ナイフを振り回す暴漢が現れたのだった。


 アオと呼ばれた男児はそれに気付く。

 一人の幼女と一人の男児を庇うように、二人を抱きかかえた。


 容赦なく切られた男児の背中。

 すぐさま暴漢は取り押さえられたが、男児の背中からは大量の血が流れていた。


 ――


あお! 遥斗はるとが登校してるよ!」


 幼馴染の小春こはるが声をかけてきた。

 隣のクラスのくせに、わざわざ俺のクラスまで来て報告する。

 その報告を聞いて、クラスの女子達が騒ぐ。


「小春。遥斗は海外で撮影してるはずでしょ?」

「昨日帰って来たよ。連絡あったもん」


 俺、遥斗、小春は生まれた時から常に一緒だった。

 全員病院が一緒で、生まれた年も誕生日も近い。

 いや、遥斗と小春は誕生日も一緒で四月生まれ。

 俺は少し遅れて五月生まれだ。


 幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も一緒だ。

 家も近く、家族ぐるみの付き合い。

 だから、親経由で情報が筒抜けになる。

 おねしょしたことも、テストの成績すらも知られていた。

 この時代にプライバシーはないのかと言いたいほどだ。


 小春は走ってきたのか、少し汗ばんでいた。

 そのまま俺の机の上に座った。


「あー、気持ちいい!」


 教室の窓から舞い込む暖かい春風。

 厚手のカーテンを揺らし、春の匂いを運んでくる。

 窓際の俺の席は、春の風を感じる特等席だった。


 窓に向かって座る小春の黒い長髪が風になびく。

 シャンプーの香りが鼻をくすぐる。


 あれ?

 小春やつ、シャンプー変えたな。

 俺はそう思いながら、小春の顔に見惚れていた。

 春の柔らかな日差しは、小春を一段と輝かせている。

 天然のフィルターだ。


「ねえ小春。本当に遥斗君が来てるの?」


 クラスの女子が小春に声をかけた。


「本当だよ。一組へ行ってみれば?」

「キャー!」


 女子たちが廊下へ飛び出した。

 そろそろ授業が始まるというのに。


 俺の目の前に座る黒髪の女の子。

 両手で俺の机の端を掴みながら、すらっと伸びた長い足をパタパタと動かしている。

 ぱっちりと開いた大きな目、四月の夜空のような黒い瞳、長いまつ毛、通った鼻筋、淡い桜色の唇、ミルク色の肌。

 小さな顔、長い手足、まるでモデルの様な容姿だ。

 もし街ですれ違ったら、誰もがきっと振り返るだろう。


 そして、俺の好きな人でもあった。


 だけど俺は、その気持ちを表に出さない。


「おい! 小春、机から降りろよ!」

「じゃあ、碧の椅子貸して」

「なんでだよ!」


 自分の机に女子が座っているのは恥ずかしい。

 それに、からかわれたくない。


「キャー!」


 突然、クラスの女子から黄色い歓声が聞こえた。


「なんだよ! せっかく来たんだから会いに来いよ!」

「遥斗!」


 遥斗は正真正銘の芸能人だ。

 海外で映画の撮影をしていたはずだが、撮影は終わったのだろうか。


「帰ってきたのか?」

「またすぐ戻るよ。この帰国もあまりにも急すぎて、碧に連絡する暇なかったんだ。ごめんな」

「小春には連絡したのに?」

「なんだよ。オマエに連絡しなかったからって嫉妬するなって。それによ、小春に伝えれば一瞬でオマエにも伝わるだろ。ハハハ」


 確かにそうかもしれない。

 俺と小春は家も隣だったから。


 遥斗が笑いながら教室に入ってきた。

 さっき飛び出した女子は会えなかったようだ。

 かわいそうに。


「しっかしオマエら、相変わらず仲良いな」

「うるさいな!」


 遥斗がニヤついた顔で、俺の机に座ってきた。

 窓を向いている小春と反対方向の廊下に向かい、小春の背中によりかかる。

 自然と女子に触れることができる。

 こういうところが遥斗の凄いところだ。


「聞いてよ、遥斗。最近の碧は、私のことを煙たがるんだよ?」

「ふーん、ついに碧君にも反抗期が訪れまちたか? それとも思春期でちゅか? いずれにしても高三の春って遅くね?」


 俺の机に座る遥斗と小春。

 方や芸能人、方やモデル並みの美少女だ。


「うるさいよ! お前たちだって同じ歳だろ!」

「オレと小春はオマエより先輩だ」

「たった一ヶ月だろ! いばるな!」

「うーむ、これは重度の反抗期だな。相談に乗ってやろう。何でも言うが良い、若者よ」

「うるさいよ!」


 遥斗はすぐに年上ぶるが、正直なところ本当に年上かと思う時がある。

 小春の背中によりかかる遥斗には、大人の余裕がある。

 それに身長だって俺よりも高く、恐ろしいほど足が長い。

 腰の位置なんて俺と全然違う。


 昔は一緒に砂場で泥団子を作っていたのに、いつの間にか雑誌に出ていて、今では映画にも出演するほど活躍している。

 TikTokやYouTubeなんて、遥斗の動画ばかりだ。

 海外の有名な監督から直接出演のオファーをされたとかで、ここ一ヶ月は海外で映画の撮影していたはずだった。


「遥斗、やめなよ。碧は遥斗兄ちゃんが帰って来て嬉しいんだよ。照れてるだけだよ」


 小春が意地の悪い顔をしていた。

 俺は反論しようとしたが、遥斗が女子に囲まれてしまった。

 俺の机ごと囲まれるが、もちろん誰も俺を見ていない。

 小春と目が合っただけだ。


「なんだ? 珍しい生徒が来てるな。授業が始まるぞ。クラスに帰れ」


 先生が来た。


「おい、碧、小春。帰りは一緒に帰ろうぜ!」


 そう言い残して、遥斗は一組へ、小春は三組へ戻った。

 その日の学校はいつもと雰囲気が違っていた。

 クラスメイトは遥斗の話題ばかり。

 それに生徒はもちろん、先生まで浮ついているようだった。

 校内放送で、動画の撮影を禁止するほどだ。


 いつもは俺の机で弁当を食べる小春も、この日は来なかった。

 きっと遥斗のところへ行っているのだろう。


 一人で弁当を食べていると、窓から一枚の桜の花びらが舞い込む。

 弁当のご飯の上に乗ったと思ったら、風に吹かれてあっという間に飛んでいってしまった。


 放課後になっても、遥斗と小春は顔を見せない。

 俺は一人で帰宅した。


「ただいま」

「おかえり、碧。遥斗君が帰国してるんだってね。お昼に冬美ふゆみさんとばったり会ったから、駅前のスタバでお茶しちゃったわよ」

「冬美おばさんと?」

「こらこら、遥斗君のお母さんと言っても、冬美さんだってまだ若いのよ? おばさんなんて言わないの」

「うるさいなー」

「もう、反抗期なんだから」


 母さんに弁当箱を押し付けて、すぐに二階の自分の部屋へ入った。


「みんな反抗期反抗期ってうるさいんだよ。そんなつもりないのにさ」


 バッグを放り投げ、ベッドへ飛び込む。


「小春も遥斗遥斗ってうるさいし……クソッ」


 枕に顔を押し付ける。

 遥斗と仲良くする小春に苛立ちながらも、二人に嫉妬してる自分の心が醜く感じた。


「でも、遥斗なら……仕方ないよな」


 幼馴染の俺たちだけど、俺と二人は全然違う。

 どう見ても遥斗と小春はお似合いだ。

 小さい頃からそうだった。

 町の写真館では、小学生だった二人が手を繋いで写真モデルになった。

 その写真が雑誌に載ったことで、遥斗は芸能事務所にスカウトされたほどだ。

 それに、遥斗は小春と結婚すると言っていたし、周りの大人達もみんなそう思っているだろう。


 そんな昔のことを思い出していたら、俺はそのまま着替えもせずベッドで寝てしまっていた。

 目を覚ますと、窓の外はすでに暗い。


「こんばんはー! 陽菜ひなさん! 碧います?」

「部屋にいるわよ」

「上がりますねー」


 一階から小春の声が聞こえた。

 ドカドカと足音を立て、階段を登ってくる。

 すると、物凄い勢いでドアが開く。


「ちょっと! 碧! なんで先に帰ってんの!」

「え? だって小春が来なかったから。遥斗のところに行ったんじゃないの?」

「あのねえ、私は日直だったから少し遅くなっただけ。ってか、黒板消すの手伝えっての!」

「なんでだよ! クラスが違うだろ!」

「もう、こんなかわいい女の子を置いてくとか信じらんない。そんなんじゃモテないぞ?」

「うるさいな! 別に彼女なんていらないよ!」

「ふーん、強がっちゃって。私がなってあげようか?」


 俺は言葉に詰まった。

 小春の冗談とはいえ、心臓がバクバクしている。

 小春にもこの音が聞こえそうなほどだ。


「あれ? 本気にしちゃった?」

「し、してないよ!」

「碧ならいいよ?」

「う、うるさいな! 小春こそ、そんな乱暴だとモテないぞ!」

「は? 私モテますけど?」


 小春が俺の顔を睨む。


 小春の言う通りだ。

 小春は凄まじくモテる。

 これまで小春に告白した奴らの人数は、両手の指じゃ足りない。

 他校から小春を見に来る奴らがいるし、町を歩けば声をかけられる。

 芸能事務所からもスカウトされるほどだった。


「で、何だよ! 何しに来たんだよ!」

「何しにって、別に隣の家だし、いつも来てるじゃん。あのマンガの続き見せてよ」


 そう言って、小春は勝手に本棚からマンガを取り出し読み始める。

 しかも、俺が寝てるベッドへ上がり、うつ伏せで足をバタつかせながら漫画を読む小春。


「お、おい! あっち行けよ」

「なんで? いつもこうじゃん。急に照れちゃったの? あ、スカートめくれちゃう? 見たい?」

「うるさいな! 誰がお前なんか見るんだよ! 離れろよ!」


 その時、突然ドアが開いた。

 長身のイケメンが立っている。

 遥斗だ。


「オマエら、本当に仲が良い姉弟だな」

「そりゃ、そうだよ。出来の悪い弟を持つと苦労するんだよ」

「うるさいって!」


 遥斗は俺の勉強机の椅子に座り、その長い足を組む。

 そして、ベッドに寝そべる小春を見つめている。


「なあ、小春。考えてくれたか?」

「え〜、でも海外でしょ?」

「オマエ英語できるじゃん。海外出ようぜ?」

「そうだね〜。……ねえ、碧い海は見られる?」

「もちろんだ。離島だからな。それにあの監督は、世界で最も綺麗な碧を表現するって言われてるぞ」


 二人の会話に入っていけない。


「な、何の話だ?」

「ああ。俺が今撮影してる映画なんだけど、ヒロイン役の子が急遽降板になってさ。で、監督に冗談で小春の動画見せたら、異常なほど気に入っちゃって。呼んで来いってうるさくてさ。まあ、小春なら俺の恋人役にピッタリだしな。で、急遽帰国したんだよ」

「なんでお前が直接来てるんだよ? そういうのって、会社の人がやるんじゃないのか?」

「あ? オレが声かければ確実だからな。それにさ、小春に会いたかったから」


 俺が言えないことを簡単に言う遥斗。

 小春はマンガを読んでいて、表情が見えない。


「で、どうする? 小春」

「いつ帰って来られるんだっけ?」

「撮影に半年。演技指導とか完成後のプロモーションも入れると、一年くらいはかかるかもな」

「ママに聞いてみる」

桃香ももかさんなら賛成するだろうな」

「そりゃね……」


 母さんから聞いたが、小春の母親の桃香さんは、若い頃に歌手をやっていて映画にも出たことがあるそうだ。

 YouTubeで映像を見ると、今の小春にそっくりで驚いた。


 それから数日、早々に遥斗は海外へ戻った。

 どうやら、退学手続きをするために学校へ来たようだ。


 そして一ヶ月が経過。

 小春は出演を決めた。

 やはり遥斗と一緒にいたいのだろう。


 渡航する準備に追われた小春とは、ほとんど会うこともなかった。

 たった一ヶ月でも、こんなに小春と会わない日々は初めてだ。

 毎日が苦しくて、悔しくて、俺は眠れなくなっていた。


 小春の渡航日、家族みんなが行った空港への見送りも、体調が悪いと嘘をついて行かなかった。


 爽やかな春の風は、あっという間に俺の大切な人を連れて行ってしまった。


 結局、小春は一度も帰国せず、遥斗と同じように高校を中退。

 時折、TikTokに上がってくる撮影風景動画で、二人の仲の良さが話題になっていた。

 遥斗と小春の熱愛を連日報じるマスコミ。

 幼馴染で美男美女の二人だ

 マスコミの格好のネタとなっていた。

 俺は絶望して、あまりの苦痛で小春から来た連絡を無視していた。

 既読にさえしなかった。


 さらに俺は、遥斗と小春が抱き合っている写真をネットニュースで見た。

 これはもう決定的だった。

 小春から直接送られて来た手紙も読まずに捨て、遥斗から繰り返し来ていた連絡すら既読にせず、全てを無視していた。

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