第41話 先輩のお誘い
放課後。
僕はいつものように、バイトへ向かった。
ここでは、変な噂に苦しめられることもない。
精神的にどれだけ参っていても、接客の際には笑顔を心がけるようにする。僕の個人的な事情にお客様を巻き込むわけにはいかないからね。
だから接客中は終始にこやかな僕だ。
それでも心が疲れていることに代わりはないので、接客が終わればまた憂鬱に襲われてしまう。
「はぁ……」
「心配。最近の河井くん、いつもそんな感じ」
今日も今日とてシフトが同じ甘越店長が首を傾げる。
「ああ、すみません。仕事中にこんな調子じゃお客様に失礼ですよね……」
僕は気合を入れ直すように頬をぱちぱちと叩くのだが、頬の痛みが引くと再び暗い気分になってしまった。
「はぁ……」
「……河井くん、こっち来る」
甘越さんは、ショートの髪の先をさらさら揺れして首を振ると、僕をレジ脇のバックヤードへと誘い込もうとする。
なんだか、怒られそうな雰囲気。
僕はカウンターを抜け出してバックヤードへ向かう。
バックヤードは事務所も兼ねていて、オフィスデスクに乗ったパソコンがあり、ささやかなロッカーが備え付けられていた。部屋を分割するカーテンの仕切りがあり、その向こうは女性従業員用のロッカーがある。
「理由。教えて」
僕より頭一つ分背が低い甘越さんが、小首をかしげて訊ねてくる。
「いえ、なんでもないんです。最近ちょっと疲れ気味というだけで!」
「学校? なにかあった?」
「なななななななーんにもないですよ?」
「あった?」
「……すみません。ちょっとプライベートなことで悩みが」
珍しく圧を掛けてくる甘越さんに敵わなかったよ。
「お隣の美人お姉さんのこと?」
「うーん、まあ、そうなるんですかねえ……」
「破局……?」
「近いですけど、まだ始まってもいないですから!」
「そう。でも、恋愛してたはずの河井くんが今はしょんぼり。悩みは、それ?」
「事情が色々複雑でして。すみません、仕事はちゃんとしますので」
僕は頭を下げる。
「仕事は大事。でも従業員はもっと大事」
僕の額に添えるように手のひらを置き、押し上げる甘越さん。
「わかった」
甘越さんは、ふむ、と頷き。僕のみぞおちあたりをツンツンつつく。
「週末。河井くんはわたしとお出かけの刑」
「お出かけって……それ、週末に甘越さんとデートできるってことですかぁ!?」
「声。でかい……」
「あっ、すみません。でも衝撃的なお誘いで、いやぁ、まさか甘越さんに誘われるとは」
僕ってば案外年上キラーなのだろうか? 調子乗っちゃうぞ。
「違う。悩んでる河井くんのためにお手伝いがしたいだけ。デートじゃない」
甘越さんのつんつん攻撃が加速度的に早くなる。それ、なんなんです? まさか秘孔を突いてるとか言わないですよね? いやだなぁ、職場の上司に体をバラバラにされちゃうの。
よく見ると、うつむく甘越さんの顔が赤いような気がした。
秘孔を突こうとしすぎて疲れてしまったのかもしれない。
「わかりました。びっくりしちゃいましたけど、甘越さんがそこまで言ってくれるのなら」
こんな時だ。せっかくのお誘いだし、提案に乗ってみるのもアリだろう。
「よかった。久々だから超緊張した」
「久々……つまり甘越さんは以前どこかで誰かにデートの申し込みをしたというわけですね!? その辺詳しく!」
以前、恋愛はするより観る派だと言っていた甘越さんの恋愛事情にはとても興味があった。
「詮索。よくない」
腰に手を当て、めっ、と叱るような仕草をする甘越さん。
「そうですね、すみません」
きっと、甘越さんにとってはセンシティブなことなのだ。逆セクハラはよくない。
「河井くん、門限ある?」
「一人暮らしなのでその辺は大丈夫ですけど。えっ、なんか遅くなる感じですか?」
「夕方から夜。お出かけするの」
「なるほど、夜……」
「だめ?」
不安そうになる甘越さん。
恋愛鑑賞勢で、自身の恋愛の関心が薄いとはいえ、お誘いを断られるのはやはり不安なのだろう。
「いえ、せっかくのお誘いです! 今こそ一人暮らしの特権を活かすべきなんですよ! こうなったら甘越さんとオールナイトだってしちゃいますからね!」
「くすっ」
口元に手を当て、微笑む甘越さん。童顔なせいか、微笑む姿を前にすると庇護欲にかられるというか、ほわん、と柔らかい気持ちになってしまう。
「元気、ちょっと出た?」
「それはもう! ぴゅっぴゅと出てます!」
「どこから出したの……?」
やべえ変質者に遭遇してしまった、という顔でぷるぷる震え始める甘越さん。
マズい、甘越さんには過度なストレスはご法度なのだ! 安易に変態的なあれこれを想起させるようなことを口にしてはいけない!
「大丈夫です! ちゃんと心から出たものですから!」
「なら……よかった」
胸を抑える甘越さん。同じ年上とはいえ、陽香さんとは違うんだ。陽香さんなら、気持ち悪いわねえ……と蔑むだけで対処してくれたけれど。
店内からお客が呼んでいる声が聞こえた。
「はい! すぐうかがいます!」
店の方へ向かって返事をする僕。
「用事。それだけだから」
「甘越さん、なんか気を使わせてしまってすみません」
「いいの。上司として当然のこと」
僕はもう一度礼をすると、レジ対応をするべくカウンターへ向かった。
こうして甘越さんの計らいで、一緒に週末を過ごすことになるのだった。
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