境界を越えて。~魔王、世界の半分やるから結婚しよう~

結乃空

第1話 宿命か、運命か。

 人類、というのは二つに分けられる。

 賢人ホモ・サピエンス魔人ホモ・ヴェネフィクスだ。


 二つの種族は互いに争い、どちらかが消えるまで殺し合う。それは、生まれた時から神に課せられた宿命――賢人と魔人は、相容れない存在なのだと。




「賢人の勝利に万歳!」


 魔人との戦いに賢人が勝ったらしい。街頭の巨大ディスプレイにて、ニュースキャスターが告げている。曰く、ポンペイウスとかいう将軍が率いていて、連勝続きなのだとか。


  ……そんなことはどうでもいい。


 ただ、街は女神祭とかいうイベントで浮かれているのだ。そこに「賢人の勝利」なんていうニュースが流れれば、人々は、バカ騒ぎを始めやがる。クソッ、俺の祭りはこれからだっていうのに。


 大通りから外れた路地裏には、怪しい店がたくさん並んでいる。俺はその中の、ネオンランプがひときわ眩しい店に入った。


 鼻腔をアルコールでもタバコでもない、独特の匂いが刺激する。まるで頭が真っ白になってしまいそうだ。


「いいのかよ、勇者様がこんなとこに来て」

「誰だ、勇者って……そんな奴がヤクなんてやるわけないだろ」


 カウンターを挟んで向かい側にいるのは、ガタイの良い黒人である。名前はグリム……と名乗っているが、おそらくは偽名だ。ちょっと違法なお薬でみんなを幸せにしている、この店のオーナーである。


「金はあるんだろうな?」

「金なら、ちょうどこの前入ったばかりだ」

「……ポンペイウスとかいう将軍が魔人相手に連勝しているらしいな」

「それがどうかしたか?」

「なに、ただの世間話だよ。金があるならなんでもいい」

「なら早くよこせ」

「……その前に、金をよこせ」


 ムカつく奴だと舌打ちをして、俺はポケットを探る。財布だ、ボロいが、中には俺の全財産が入っている……はずだった。


「どうしたんだ、まさか金がないとか、言わないよな?」


 グリムが、白い歯をギロリと見せ、迫る。


「いやあ、このポケットに、入ってたはずなんだけどなあ」

「金がないなら帰れ!」




 俺ほど路地裏の似合う男はいない。店からつまみ出されて、思う。

 多分、俺は財布をすられたんだ。俺の財布をすった奴は、きっと俺が必死で稼いだ金で、かわいいお姉さんたちに囲まれてるんだクソォ!


 俺が悔しさのあまり地団駄を踏んだ時だった。

 大通りの方に、フードをかぶった少女がいるのが分かった。ほんとに一瞬だった。彼女のフードから、あまりに美しすぎる黄金の長い髪が、風でたなびくのが見えた。俺はその少女に、懐かしい人の面影を感じてしまった。


「フィリー」


 思わず、叫ぶ。しかし、すぐに冷静になる。

 いや、そんなわけないか、フィリーがこんなところにいるわけないもんな。

 でも、もしかしたら……

 気づけば、俺は走っていた。


 路地裏から大通りに出た時には、きっとあの少女もどこかに行ってしまっただろう。それでも諦めきれず、俺は周囲の人混みに、その少女の姿を探した。けれどやはり、見つからなかった。


 やっぱりフィリーがいるわけない、よな。


 誰かが落としたのだろう、白いハンカチを踏みつけた……その時だった。


「ちょっと、すいません! そのハンカチ……」

「ッチ、んだよ!」


 俺はその女に、怒りをぶつけようと、声を張り上げた……まさにその瞬間。少女と目があった。


 不思議な力を感じるアメジストのような瞳。長いまつ毛。うっかり奪ってしまいたくなる唇。これほどまでに可憐な少女が、世の中にいるのだろうか。黄金の髪と相まって、まるで夜空に浮かぶ満月のようだった。


「なんで、なんでここにいるんだよ」


 本当は、会えただけでもうれしかった。だけど、実は彼女がフィリーでないほうが良かったと思う自分がいた。


「あなた、もしかしてレオ?」

「…………人違いだ」

「そんなわけない、私がレオの顔を見間違えるわけが――」


 俺はとっさに顔を背ける。


「だから、人違いだって言ってんだろ、クソガキ」

「ねえ、なんでそんな風に冷たくあたるの?」

「……そりゃ、他人ですから。当たり前だろ。それじゃあ、俺はもう行くから」


 そうして、俺がその場から立ち去ろうとした時。手を掴まれた。


「ねえ、もしあなたがレオなら……一つだけ聞いてほしいの」


 俺は、まるで海におぼれたように息が苦しくて、何も言えなかった。


「あなたをそんな風にしてしまって、ごめん。あなたの運命を狂わせてしまって、ごめん。でもね、ありがとう。私、もう覚悟はできてるから、だからいつでもいいよ」


 ――いつでもいいよ。


 それは、文面ほど優しい言葉ではなかった。




 五年前、まだ俺がガキで、経済の動向だとか、法律がどうとか……そんなことがどうでもよかった頃の話。


 俺は、賢人と魔人の区別すらつかなかった。

 生まれた時から親の顔は知らなかった、愛情も知らなかった。

 だけど、自分だけが不幸だなんて思ってない。

 こんな世界じゃ、良くある話だから。


 そういう子供は大抵、飢えて死ぬか、ある程度大きくなった後で、悪さをして逮捕されるかだ。決して、幸せな将来は望めない。


 だけど、俺は違った。

 俺には優しく手を握ってくれた人がいた。


 彼女は、僕と同い年で、だけど俺よりも背が高かった。まるで姉ができたような気分だった。野原を走り回った時も、街に買い物に行った時も。いつも彼女の後ろを歩いていた。


 その頃の俺は知る由もなかった。


 彼女は魔人で、僕は賢人で。


 その間には、宿命があるということを――賢人ホモ・サピエンス魔人ホモ・ヴェネフィクスは相容れない存在なのだと。


 その頃の俺は知る由もなかった。

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