エピローグ 未来へ─架け橋─
エピローグ
コウカの本格運用が開始されて一年。
コウカは現在、民間中立団体「ホライゾン」に所属し活動している。日本各地から寄せられるAIと人間の間に残る問題を解決してほしいという依頼を受け、日々、日本中を駆け回っていた。
これまで寄せられた依頼は323件。そのうち、解決した案件は42件。自治体で解決できそうな問題まで持ち込まれているので、職員は全部受けなくてもいいと言うのだけれど、コウカはできるだけ受けたいと言って職員たちを少々困らせているようだ。
中でも、運用が開始された直後から関わっている案件が、国とジャカロの仲介だ。
トップ不在で存続の危機となっていたジャカロは、何とか真・西銘派の古参たちを呼び戻し、残った職員たちを束ね、古参たちの知恵とパイプを借りながら存続に奔走し、組織は何とか生き延びることができた。その新生ジャカロの代表は、西銘遼平が務めている。
テロ事件後、起訴された西銘遼平は、一年の執行猶予付の有罪判決を下された。
当初は父親の殺害で量刑が課される見通しだったが、彼の証言だけで証拠がなく、裁判は思ったよりも少し長引いていた。
そこで西銘遼平の弁護士は、彼から当時の状況を改めて聞き、街の監視カメラを調べた。そしてコウカと話している様子を見つけた弁護士から、彼女が映していた映像を証拠として提供してほしいと研究所に申し出があった。私はためらったけれど、あの子ならきっと渡すだろうと考えて、映像データを提供した。
裁判で当時の映像が流れると、西銘遼平が発砲する直前の芳彰氏からの発砲、コウカが妨害していたという状況、そして本人が錯乱状態だったことから、事故の可能性が高いと判断された。裁判補助AIも、事故である可能性を有効とした。
よって、彼に科された罪は、コウカへの発砲による器物損壊罪のみとなり、執行猶予付きの有罪判決が下されたのだ。そして執行猶予期間が終わると同時に、ジャカロの代表の座へと就いた。
その一年半前。ジャカロは官庁に、シビリロジーにまみれた社会の見直しを図るよう上申書を提出した。あの事件の根底に因果の存在を知った政府は、それを受諾。改善の話し合いの場が設けられた。その会議は定期的に行なわれている。
シビリロジー開発者である私たちも、社会での技術のあり方を今一度考えなければならなかった。利便性や生産性を重視するだけではなく、どんな技術を人々に提供するべきかが委員会で話し合われている。
しかし、取捨選択はそう簡単ではなく、何が本当に必要で何が不要なのかを正確に分別できなければ、社会に混乱が生じてしまう。あの時のように、再び過激な反対派が出るようなことにしてはならない。それだけAIは、私たちの血肉のようにあって当然となっている。
「現在、我が国の人口は約5000万人。就業率も悪くなく、今さらAIを減らせと言われても、減らした分の補充はどうするんですか」
総務省の会議室を借り、文部科学省、厚生労働省、経済産業省から来た面々は、いずれもお硬い顔付きで正面の相手と向き合う。
自分よりひと回りもふた回りも違う行政官を前にしても、代表の西銘遼平は堂々とした姿勢で意見を述べる。
「そもそも、人口が減ったのは何故ですか。女性の社会進出を後押しすると言いながら、妊娠・出産のリスクを雇う側が恐れ、男女共に育休をしにくい環境は長らく続いていた。男女平等と謳いながら、日本はずっと男尊女卑を正義としてきた。その文化が社会進出を果たした女性に妊娠・出産を躊躇わせ、それが出生率を下げた一因ではないのですか」
「そんなことを今さら言われても」
「今さらではありません。政府がもっと積極的に誰もが働きやすい社会環境を推奨していれば、ここまで人口減少はしなかった。だから働き手が減り、AI導入もやむ無しと政府は踏み切った。社会を円滑に回すために。それが出生率低下と人口減少に拍車をかけた。違いますか」
「しかし、当時はそうするしかないと判断された訳で」
「いちいち先人に罪を押し付けないで下さい。オレたちは現在と、これからの話をしているんです」
話し合いに応じる姿勢を見せる政府側だが、何を躊躇っているのか、こうして過去に責任を押し付け、解決に向けた話は一向に進まない。やる気があるのかないのか、真面目に話を聞く気があるのかないのか。テロリストの血を引く彼を差別して、対等に見ようとしていないのだろうか。
もう何度も話し合いの場が持たれ、それでもなかなか積極的な話をしない四人の行政官に、業を煮やす西銘くんの顔が次第に苛立ちを主張し始める。歩み寄り折り合いを付けたいと意志を示しているのに、思いは一方通行だ。
その時。仲介役として同席し、話し合いを見守っていたコウカが口を開いた。
「代表。頭に血を上らせては、円満な話し合いはできません。行政官の皆さんも、西銘代表の話にしっかりと耳を傾けて下さい。彼らが何を望んでいるのか、その望みに対して最大限何ができるのか、考えて下さい」
「こんな話し合い、AIに任せればいいではありませんか」
「平行線を辿るのであれば、そうするのがいいのでは」
厚労省と経産省の行政官が至って真面目に発言すると、そのひと言に西銘くんはキレそうになる。が、コウカはそれを止めるように話を続けた。
「確かにAIは便利です。どんな質問にも答えてくれるし、アドバイスも的確です。ですがその利便性は、毒です。解毒剤がなく、一生人間の体内に残り続ける毒です。遥か昔は、そんな毒に侵されなくても人々は幸せでした。けれど、人間の欲がもっと大きな幸せを求めた……皆さんは、幸せって何だと思いますか?」
「は?」
行政官は話の意図がわからず、並んだ三つの顔は頭が悪いやつみたいにぽかんとしている。コウカは無視して話を続ける。
「『幸せ』の意味は、その人にとって望ましい状況であり、満たされていることです。人は、幸せは大きければ大きいほどいいと思っています。ですが本来、幸せの価値は大きさなんかじゃないと、私は思います」
「じゃあ。お前が考える幸せの価値は何なんだ」
コウカの話に真面目に耳を傾ける西銘くんは質問した。コウカは答える前に、静かに隣に座る柊くんを少しだけ見て、言った。
「幸せの価値は、時間です」
「時間?」
「好きなものや好きな人と共にいる時間があれば、例え時間が短くても、“心”が満たされると思います。あたしも今まで生きてきて、たくさんの“幸せ”をもらいました。その“幸せ”は、長かったり、短かったり、まちまちです。だけど、ひとつひとつの“幸せ”を覚えているから、あたしは満足しています。きっと“幸せ”は、永続的でなくてもいいんです」
西銘くんに答えたコウカは、今度は、未だ話の意図が見えないと表情で語る行政官たちを見て話した。
「国民の幸せを考えた政府は、素晴らしいと思います。AIを導入したことで、人々の生活は豊かになりました。考えるべきは、その限度です。
恐らく、導入の際は幾度も話し合われたと思いますが、皆さんが選ばれた方法は取捨選択ではなく、二者択一ではありませんか? 選び取るべきものはたくさんあったはずです。けれど、諸外国に遅れを取ってはならないと焦り、誤って選択肢を限定してしまったのではありませんか?」
「それは……」
昔の議事録をろくに読んでもいない行政官たちは、無意味に互いの顔を合わせた。
「それなら今、正しい取捨選択をすればいいんです。何を選び何を捨てれば、双方が納得するのか。人々に蔓延した毒を解毒し、“心”を満たし続けられる方法を、直接話し合うことで見つけられると思います」
コウカは始終、情に訴える話し方はせず、第三者の視点から双方が意志を尊重し、手を取り合えるように導くことに専念した。
仕事を始めた頃は少々感情的になることがあったようだけど、依頼をこなし続けて自分がどういう立ち回りをするべきかを少しずつ理解していった。
コウカがクッションを作ったことで冷静になれた西銘くんは、改めて行政官たちに自分の望みを伝えた。
「皆さん。オレたちは、全てのAIやロボットを憎んでいる訳じゃありません。今の世界に必要なのは、重々承知しています。ただ、父さんみたいな人が生まれない世の中になってほしい。それだけが、オレの望みなんです」
西銘くんはわかっている。とっくの昔に、全てのAIを廃除するのは手遅れになっていると。彼の父親がやろうとしていたことは、幼い子供が駄々をこねていたのと同じだと。
けれど、西銘芳彰の主張は間違っていた訳じゃない。あの声は、過去の亡霊たちが彼に託した希望だった。彼は、ただ本当に亡霊たちの───先代の無念を晴らしたかったのだと思う。私が母たちの挫折を昇華したかったのと、同じように。
この日の話し合いもまた、何の進展もなく終了した。もうしばらく進展がない状況なので、ジャカロ側はそこまで肩を落としていなかった。
忙しい行政官たちがさっさと会議室を出て行くと、西銘くんはコウカに声をかけた。
「躑躅森。さっきはありがとな」
ジャカロの代表となった彼に、昔の刺々しさはない。あの頃の彼は、父親を思うがあまり暴力的になっていただけだった。同士たちと共に難局を乗り切った今は彼自身も生まれ変わり、まるで別人のようだ。
「西銘くんは、もう少し冷静に話せるようにならないとね。あたしがいなかったら、話し合い全然進んでないよ」
「言われなくてもわかってるよ」
西銘くんは口を尖らせかけながら言った。性格は変わらずそのままだ。
「代表。そろそろ行かないと」
そこへ女性が入って来た。ジャケットをピシっと着こなしハイヒールを履いた、桐島さんだ。
一度は貿易会社に就職した桐島さんだったが、恋人の西銘くんがジャカロの代表に就いたあと、側で支えたいと願って会社を辞めてジャカロに入り、現在は彼の秘書を務めている。
「ゆっくり話もできなくてごめんね、コウカちゃん」
「ううん。元気そうな顔見れてよかった」
「依頼のかけ持ち大変そうだね。だけど、この仕事ができるのはコウカちゃんだけなんだから、無理せず頑張ってね」
「ミヤちゃんと西銘くんも」
二人はこのあとのスケジュールを確認しながら会議室を出て行った。まだまだ立て直し途中のジャカロは、以前ほどの規模の支援ができるよう、代表自ら交渉をしているらしい。AI孤立国の支援だけは続けていきたいという、彼の望みだ。
コウカと柊くんも総務省の建物を後にした。
二人は、緑色に色付くイチョウ並木を歩く。この日は朝から雨が降り続いていたが、すっかり止んで晩春の青空が見えていた。雨上がりの並木道は暖かい木漏れ日が射し込み、ペットを連れて散歩する人や、恋人や夫婦が寄り添いながら歩いていた。
「コウカさん。さっき桐島さんも言ってたけど、仕事セーブしなくていいの?」
「あたしが仕事セーブしてどうするの。この仕事、あたししかできないんだよ? せっかく頼ってくれてるのに、断りたくないよ」
「きみは本当に仕事が好きなんだね」
柊くんは尊敬しつつ、少し呆れたような顔をした。
市役所に務めていた柊くんだが、あのテロ事件を受けて色々と考え、シビリロジーを学び直したりVRWについて勉強したのち、市役所を辞めた。その後、本格運用となるコウカのサポートをするために「ホライゾン」に所属し、彼女と共に“
「と言うかユウイチさん。そのネクタイピン、ずーっと付けてるね」
柊くんは、黄緑色の石が付いたネクタイピンを付けていた。
それは、四年前にバレンタインのプレゼントとしてコウカが用意していたものだ。コウカがスリープ状態になったあと彼女の部屋で見つけ、渡す日が来るまで私が大切に保管していて、お披露目のあとにコウカから渡された。
実はこのプレゼントには秘話があり、何をあげようか一生懸命考えても決まらなかったコウカは、研究所や本社の男性にリサーチして回っていたらしい。ネットで検索すれば人気商品なんてすぐにわかる筈なのに、わざわざ足を使って調べていたあたり、相当迷ったのだろう。
それにしても、非効率的だ。
「他に持ってないの? 新しいの買わないの?」
「だってこれは、コウカさんから初めてもらったものだから。僕にとっては宝物だよ」
「そうなんだ」
「もちろん、一番はコウカさんだけどね。コウカさんは、何か宝物だと思って大切にしてるものはあるの?」
「あたしの“宝物”?」
質問されたコウカは、ぴたっと足を止めた。
「どうしたの?」
「あのね。昔、ミヤちゃんが言ってたの。『一番輝いてる宝物を見つける楽しみは、きっと未来で待ってる』って。あたしはあの時、ミヤちゃんとカナンちゃんが羨ましかった。誰か一人を特別に思うことができるから」
「コウカさん……」
「あの時は、あたしは特別な誰かを見つけられるなんて思ってなかった。でも、ミヤちゃんが言ったことは、嘘じゃなかった」
もう既に、一つの答えを見つけていたコウカは、柊くんに告げる。
「あたしの宝物は、ユウイチさんだよ」
「……え?」
柊くんは思わず問い返した。コウカは微笑んで、もう一度言った。
「たくさんのものをくれたユウイチさんは、あたしのたった一人の特別な人です」
「それって……」
その言葉を聞いた柊くんは、驚いてポカンとした。
「どうしたの? 嬉しくなかった?」
コウカが間違えた不安を口にすると、それを包み込むように柊くんは抱き締めた。
「ううん。嬉しいよ。嬉し過ぎて泣きそうだ」
「本当に? 喜んでくれてよかった」
コウカも柊くんの背中に手を回し、全てで思いを伝えた。
「言うの遅くなっちゃって、ごめんなさい」
「これからの幸せを考えれば、待ってた日々なんて一瞬だよ。気持ちに応えてくれて、本当にありがとう」
「あたしこそ。ずっと待っててくれて、ありがとう」
「これからも隣で、きみを支え続けるよ。だから、僕を頼って」
「宜しくお願いします」
微笑み合う二人に、春の暖かな日差しが降り注いだ。
繋がりきれなかった二人はようやく気持ちを一つにし、これからも共に同じ道を歩んで行くことを約束して手を取り合った。
不完全で生まれ、未熟な知能と身体は時と共に成長し、様々な課題を彼女自身の力でひとつひとつ乗り越えて来た。
時には理解し難い問題に直面したり、挑戦を諦めたり、理解できなくて歯痒い思いをした。それでもコウカは、将来の自分のために、自分がなりたい自分になるために、ひたすらに道を歩んだ。
それは、私たち大人が勝手に敷いたレールだった。けれどコウカは、その道から逸れる選択をせず、人間のために生きることを目指し続けた。それは彼女が、役目を与えられたヒューマノイドだからという理由だけじゃない。『彼女が彼女であること』を選択したからだ。
コウカはどんな状況になっても、自分を作り上げることを諦めなかった。だから今、彼女が望んでいた自分になり、手に入れられるとは誰も思っていなかったものを───宝物を得た。
それは、神様からの贈り物なのかもしれない。傷付けられても、ありのままの現実から逃げずに懸命に向き合った彼女が、素晴らしい人生を送れるように。
二人の門出を祝うように、空には大きな虹がかかっていた。今まで以上に彩られた素晴らしい日々が待っているという、メッセージのように。
躑躅森虹花、改め、ドーニアタイプヒューマノイド・コウカ。誕生から24年。ここから、彼女の人生が始まった。
〈終〉
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最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。エピローグ、長くなってすみません。
ぜひレビューをして頂けると、今後の執筆の励みにもなります。
もちろん、★一つだけでも。
感想も、どんなものでも頂けると嬉しいです。もちろん、ひと言だけでも。
反応を頂けるだけで、円野は幸せになれます。
宜しくお願いします。
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