春巻(3)

 いつもの穏やかさを排したような声の色に、思わずその顔を見る。

「は、」

 イグニスがあらぬ方を振り返るという、初めて見る仕草は、これまでより人間のように見える気がした。

「揺れが継続しています。万理、屈んでください」

「地震か」

 調理台の下にも多少の空間はあるが、ダイニングテーブルの方がスペースがあるかと検討し、ダイニングテーブルは固定されていないと考え直して、調理台の陰に入るよう大人しく身を屈め。

「頭部を保護し、舌を噛まないよう口を閉じてください」

 お、と、立ち塞がるよう自分の前に移動するイグニスに眉を上げる。

「お前、こら、お前も屈め」

「はい、」

 ドン! という、予想していたのとは違う縦揺れが叩きつける。

 声もなく、床と調理台のどこかに手を突っ張って、身を支えた。

 落ち着く間もなく、なにか言いがたい異常な重力の移動を伴った揺れがあって、調理台越しに背の向こうにした、ダイニングとリビングから凄まじい音がする。

 ドン、ドンと何度かの衝撃の後、また縦の衝撃が、さきほどより大きく。壁の向こうのパントリーでも音が聞こえ、叩きつけるように一際大きな音。

 同時に、全ての灯りが消えた。

「ハ?」

 暗いのだということも、一瞬理解できない。

 何も見えず、暗さを認知する要素すらないせいだ。

「万理、お怪我はありませんか」

「あー、……大丈夫。なんだ、どうなってんのか分かるか? 非常電源遅いな?」

 確認します、と返る声に、いててとぶつけたらしい頭や肘を少し撫で。

 水色の点滅が灯ってわずかに周囲の輪郭が見え、ほっと息をついた。

 イグニスのような、移動する端末やシステムは光発電や充電を利用するが、固定の家電や、なによりも、相当な量の電力を必要とするHGB023は外部から電源を取っている。

 地震による停電であれば全てを統括するHGB023が最初に、そのまま全てがダウンするのは理解できるが、当然、非常用電源は用意されている。遅くとも、切り替えに1分も掛からないはずだ。

「HGB023との通信が途絶えました。別ルートからの通信もすべて応答なし。HGB023が検知されていません」

「電源だろうな」

「はい。シャットダウン状態になっていると考えられます」

「現状把握できそうか」

 ため息をついてイグニスを見上げる。

 自分の前に両膝をつき、言われたとおりに屈んではいるが。

 突っ張るように調理台に両手をついて、前方をふさいでいる。身体は、物陰に入っていない。

 灯りは戻らない。外部電源と予備電源の両方をやられると、電灯のたぐいは弱い。

「やってみます。ニュースと速報を検索していますが、該当するものは現在ありません」

 違和感がある。

 システム関連の停電かと考えかけるが、揺れたのは確かだ。該当なしというからには、報道が死んでいるのではなく、どこも報じていないのか。

「引き続き検索します。建物内のシステムにアクセス。権限代行のコードを使用して、一時的にシステムを掌握します」

「了承」

 数秒で、ほのかに明かりが差した。

「蓄電残量を使用してキッチンのみ非常灯をつけました」

「あー……助かった。明るいってありがてえな」

 ふと、きちんと目を向けられ、嬉しげな笑みを寄越されて目を丸くした。

 こんな時までお前は、と、思わずつられて笑ってしまう。

「外部カメラに接続を試みていますが、西側の一部と北側は反応ありません。その他のカメラには接続できましたが、明るさが不足しているため状況を判断するのは難しいです」

「北西か、玄関側だな」

 玄関の近くではないが、HGB023のある機械室も方角はそちらだ。妙な感じだ、と眉が寄った。

「イグニス。反応のあるシステム、ないシステムを把握して、建物の構造に合わせてマッピングしてくれ。ダウンしてる場所に共通点があんのか?」

 頭に思い浮かべる、建物の一部だけの物理ダウン。状況を思い描くと嫌なことを思い出して、鳥肌の立つ腕をこすった。

「わかりました」

「……ミサイルじゃねえだろうな。戦争はもういいぜ……」

「大規模な人為的攻撃であれば、報道されている可能性が高いです」

「ああまあ……」

 イグニスの冷静な答えに、知らず詰まっていた喉をゆるめて息をつく。

「けど、地震よりは発見が遅いパターンもあるにはあるな」

 国際情勢は気にかけている。ここのところきなくさくはなかったはずだから、杞憂だろうとは思うが。

「否定はできませんが、小規模作戦であれば、この場所が標的になるのは不自然です」

 不必要な緊張感のないイグニスの声に、大きく息を吸って吐く。

「ああ、そう。そうだな」

 嫌な考えを振り払おうと、少し頭を振って目を伏せた。

「マッピングできました。ご指摘の通り、通信に応じない、あるいは機体やシステムが検知されない機器は北西に集中しているようです」

「そうか。さて、どうすっかな……。避難がセオリーだが、外に出ても歩けるかどうか」

 生きている外部カメラも何も映せないのは、家屋からの灯りすらないからだろう。このゴーストタウンで夜間に灯りを漏らしていたのは、この家だけだから尚更だ。

 雨も続いている。下手に外に出ても、目と鼻の先も見えない暗闇かもしれない。

「はい、状況を把握し、安全を確認してからにしたいです。いえ、すみません、少し待ってください」

 思いがけない言い方に、ン? と、その顔を見上げる。

 視線が頭の上を通り越して、どこも見ていなさそうなのを珍しく眺め。

 シュッと音がして、見えないが、キッチンの扉が開いたのが分かった。

「玄関の扉が開きません」

「ああ……通電してねえのかもな。行って手で開けるしかねえか」

「いいえ。通電しており、権限の移行にも正常に応じています。開扉かいひ指示に応答していますが、エラーが返ってきます」

 玄関の自動ドアが、開こうとしているのに開けられないでいる。

 障害物、変形、部品の破損、電気系のエラーと、原因はいくつか考えられる。

「どっか引っかかってんのが一番ありそうだ。行って見てみねえと分かんねえな」

「はい。ですが、破損があった場合、不用意に接触すると感電の危険もあります。――これからの状況次第ですが、夜明けを待って、明るくなってから動く方が安全かもしれません」

 うーん、と少しうなり。

「まあ、ニュースもねえんじゃな……。災害なら避難だけど、確定じゃねえのに真っ暗ン中歩き回るのも危ねえか」

「はい。状況と情報の変化がないか監視を続けますが、現在は動かない方がいい可能性が高いです」

 そうだな、と息をついて。

「ああ、そうだ。イグニス、清掃システムと除草機はどうだ。光は駄目だし充電は限りがあるだろうけど、しばらくは動き回れるだろ」

「わかりました。清掃システムおよび自動除草機と通信し、他にも自走できる機器がないか探してみます」

「おう、よろしく」

「万理」

「うん?」

「清掃システムと自動除草機、共に正常に稼働、自走できます。ですが、他と同じくカメラには何も捉えられません。ご提案ですが、二機で玄関の開扉を試みてもいいでしょうか」

「へえ。掃除機と除草機でドア開けられるか?」

「どちらも複数の動作パターンがありますので、組み合わせ次第で可能なはずです」

「いいよ。玄関開かねえと逃げるに逃げらんねえしな」

「はい、では試行します」

「あ、そうだ。見えねえのは分かってんだが、除草機のカメラの映像出せねえかな」

 水色の点滅は、てっきり指示通りの手配をしているせいだと思ったが。

「すみません、万理。ホログラフィの起動はリソースを多く割く必要があるので、可能であれば節約したいです。映像があるようならご報告するのでは、まずいでしょうか」

 少し驚きはしたが、意味は分かる。問題ないと了承して。

「つうか、お前いつまでそうやってんだ。お前も危ねえから、どっか物陰に入れよ」

「はい」

 二語の応答のみで沈黙が返るのに、拒否を返されるより驚く。

「えっ? イグニス?」

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