春巻(1)
短い仮眠を取って、服を着て。
食欲のない朝食代わりにソイラテを作りながら、カフェインの摂りすぎだなと、だらしなく調理台にもたれかかりながら項を掻いた。
「おはようございます、万理」
扉が開いて、爽やかなツラしたイグニスが入ってくるのに顔を上げた。
「おう、おはようイグニス」
いつもと変わらない挨拶をするものがいると、不思議と、ちゃんと一日が始まるような気になるが。
充分な灯りがあっても、なんとなく室内が薄暗く感じる。
カップのソイラテをすすりながら、首を巡らせてリビングダイニングの窓に目をやるが、ここからは少し見えにくい。
「HG、……イグニス、カメラの映像くれ」
食器棚を開いて端から食器を磨こうとしていたイグニスが、雨など知らぬような笑顔で振り返った。
「はい。どのカメラですか?」
「外部カメラ、ンー、南」
「はい。南側外部カメラの映像を出します」
水色の点滅を待たず先駆けるよう、目線の高さに外の映像を映し出す平面ホログラフィが現れた。
ありがとう、と告げて、食器磨きに戻るイグニスをチラとだけ見送り。
カップ片手のままで空いてる方の手を伸ばし、視界からあふれさせるように画面を大きくする。
雨音は遠く、雑草だらけの限界ニュータウンに煙るような、細い雨を眺めた。
「イグニス」
「はい、万理」
仕事の続きに頭を巡らせ。
「やりながらでいいから、ニュース読んでくれ」
「はい。ニュースを検索します。ファクトチェックしますか?」
「頼む。信頼度65%、株と産業ニュース、国際情勢、……あと天気予報」
「わかりました。信頼度65%以上のニュースを読み上げます。株と為替の値動きは――」
数字の話を聞いていると落ち着く。
大してやりもしない市場の変動に耳を傾けながら、経済を動かしているトピックを雑に想像して。
先日も聞いた気がする、農作物の地域ブランド化のニュースに顔を上げ、ずいぶんこなれた手つきでグラスを磨くイグニスを振り返った。
「そのニュース、頻度増えてんな。盛り上がってんのか」
「はい。遺伝子解析技術を応用した、土壌分析が話題のようです。土地ごとに違う土壌の詳細な分析により、育てやすい作物や育て方の新たな開発が進んでいるのはもちろん、どの土地で栽培された、どの農作物が、健康や美容に役立つかなどの情報が人気になっています」
「ああ」
なるほど、と少し口許を拭って相槌を打った。
「バイオの勢いが最近ますますだなあ。花形ジャンルなんて呼ばれんのも今の内か」
そうですね、と柔らかい声が返る。
「農学もそうですし、生物学は人間の暮らしに欠かせない学問ですから、ここ数年の発展に対する市場の期待は高いようです。ですが、現在はもちろん、これから先の世界、時代においても、人工知能、自動運転の技術のどちらもテクノロジーの主要であり続けることは変わりないと予測されます」
世界中で頻発する、勢力図を書き換えようとする動きと、それを阻止せんとする威圧の現状をザックリ耳に入れ。しばらくは降ったり止んだりが続くという中期予報に溜息などついて。
ニュースに気が済めば、アナログ方向にマニアックさを深めている、イグニスの家事能力について報告を受ける。
「うん、了解。が、そのままいくと百年前の洗濯とか掃除とか言い出しそうだな」
水色の点滅が少し長い。
「100年前の状況では、冷蔵庫、洗濯機、テレビなどが発売されたばかりで、まだ普及していません。家事については、洗濯板で衣類を洗っていたようです」
「生地が傷みそうだな」
「また、炊事にはかまど、入浴にも薪の火が利用されていたとする記録があります」
「火事になるからやめてね……」
「床の掃除はほうきでホコリを払ったり、雑巾での水拭き、高所にはハタキ、デッキブラシをはじめとした各種のブラシなど、」
「待て待て待て、多いな道具が」
「はい。他にも雑巾を絞るためのバケツなどが必要になります」
「……まあ、逆にちょっと面白そうじゃあるが。とりあえず需要のないとこまでやらなくていいから、一般家庭で必要なラインを調査しとけよ」
「はい、わかりました」
とはいえ、とついつい想像を巡らせる。
どの家庭も掃除ロボットくらいはありそうだし、洗濯も洗濯機がやるだろう。百年前ではないが、全自動調理器がようやく売り出したことを考えると、料理をはじめ、台所周りの進歩は遅いように思える。
全自動調理器、清掃システム、洗濯システムと、家の中にある家事機械を思い浮かべる内に、はたと、チラついていたのに忘れていたことを思い出した。
「イグニス」
「はい、万理」
「お前の部屋も、もうちょっとなんとかするか」
「僕の部屋ですか?」
言葉の意味がわからない、といった風な問いに、ああと思い当たる。
「お前がスリープ用に椅子置いてる空き部屋。あそこをお前の部屋に決めて、もうちょっと部屋らしくするかと思って」
わかりました、と声は返るのに水色が点滅して、解ったのは前半だけなのだろうと予想を立てる。
「ありがとうございます。ですが、特に必要なものに思い当たりません。何を飾ったら部屋らしいと感じるでしょうか」
少し小首を傾げるのが、ここ数日の鋭さとは違って見え、思わず頬を緩めた。
「ああまあ、人工知能が考えた“これが人工知能の部屋だ!”って、テーマとしては面白いかもだが、まずクローゼットだろうな。何着か着替えてんのに、服どうしてんだお前」
「購入時の包装を利用しています」
「まずクローゼットな」
額を押さえて笑いながら、計画しますとの答えに頷いた。
「けど確かに、ベッドはいらねえし、机も椅子も使わねえか。寝室、個室、居室、書斎あたりのキーワードで検索して、なにがあったら便利そうかとか計画してみろよ」
「わかりました。ありがとうございます」
嬉しい、と、書いてあるような顔だ。
よろしくと告げ、少し楽しみにしているとは言わず。
そろそろまとめて上司に提出しなければならない、バトラープロジェクトを詰めようと、怠い腰を上げて制御室へと足を向けた。
思いつくままに挙げる事項や課題を次々に整理し、片付け、積み上げていくHGB023に指示し、時折説明させて手を入れる一日を過ごした。
人工知能と仕事をするのが当たり前だし、好きだが、難点を挙げるとすれば2つある。
ひとつは、有能な部下に間抜けな質問をして仕事の邪魔をする上司になった気が、時々すること。
もうひとつは、楽しみに待つ時間が短いことだな、と気づいた。
「万理、今お時間よろしいでしょうか」
「うん。どうした?」
翌日の夜もまだ食欲がなく、適当に野菜やらをブチ込んで全自動調理器にスムージーもどきをつくらせた。
落ち着いて座る気すらも湧かず、だらしなく調理台にもたれて飲みながら、意気揚々とキッチンに入ってきたイグニスを振り返る。
「クローゼットのアイディアを考えました」
「へえ」
ご覧ください、と手をかざした先にホログラフィの図面が起ち上がるのが、まだ真面目に会社勤務していた頃に見た光景すぎて、吹き出しそうになるのをこらえた。
「着ようと思う衣類を探すたびに画像認識を使用する時間とコストを省きます」
「お、おお……」
荒いCGで描かれた立体図面が回転し、必要に応じて透過して、
「ああ、なるほど最初から磁気プリントでタグ付けしちまうわけだな」
イグニスの説明を待たず、動く図面には解説が順に表示されては消える。おそらく、人工知能にその区別はない。
「はい。磁気プリンターはそれほどコストも時間も掛けずに作成できる予定です」
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