八宝菜(5)

 翌日の朝食で、あまり好きでない葉っぱばかりのサラダに乗せて、スライスした鶏卵のゆで卵を食わされた。

 今、一日おいた晩飯に供された汁物を見て、思わず口許を押さえる。

 出汁のいい香りのすまし汁に、上品な程度の人参と小松菜が泳いでいるのはいいが。

 堂々と存在を主張する、鶏肉らしき団子の真ん中に埋まって、わざわざ切り口の白と黄色を見せているうずらの卵。

 人工知能は、出来はともかく実行力のかたまりではある。当然なのだが。

 笑いをこらえる肩が震える。

「どこで見つけてくるんだよ、こんなの……」

「ネットのレシピ投稿サイトで見つけました。お月見椀というレシピ名がついているようです」

 おつきみわん、の響きが、笑いのツボをえぐった。クソ、と額を下げて背が震えるのをこらえ。

 ありがとう、座れよと隣の椅子を引いてイグニスを招く。

 いただきますと手を合わせて、なんだか久し振りの和食を楽しんだ。

「ところでお前、ゆで卵の殻剥きとセックスに何の関連があんのか解ってやってる?」

「いいえ。どんな関連がありますか?」

 ンフッと、臆さぬ答えに汁を吹き出しそうになった。

 ひとつ咳払いして収め。

「器用さの話だな。指先の力加減つうか。センサイなブブンを不器用な指でつぶされたくねえぞ、つう軽口だよ」

 瞳孔を点滅させたまま、まっすぐに向けられた真剣な目は、けれどフリーズしたのかと思うほどだ。

 出汁のきいたあたたかい汁をすすると、日本に生まれて良かったと、快楽より安堵に近い喜びに腹が満たされた。

「万理に怪我をさせることは絶対にあってはいけません」

「おっ」

 ようやく戻ってきたと思えば突然の強い語調に、素直に驚いた。

「ビックリした……」

「すみません」

「どういたしまして」

「卵の殻について最初に万理が言っていたことが、おそらく理解できました」

「……そりゃよかった」

 汁の美味さの残る口に白米を運んで、甘みを楽しみ。

「時間をかけて慎重に試行を重ねたいです」

「……」

 答えようと開いた口から、大きく息をついて、結局閉じた。

 羞恥プレイすぎる。


 シャワーを浴び終えて、何を着ようか考え、結局バスタオル一枚巻いただけで寝室へ戻った。

 なんとなく部屋で待ち構えているかと思った姿は、けれど見当たらず、閉じた寝室の扉に振り返る。

「イグニス、来い」

 一分もしない内に扉が開き、この頃日替わりで服装を変えているイグニスが、今日は昼間とすら違う服装で現れた。

「お待たせしました」

 腰に手を当て、イグニスを上から下まで眺めるのが、間を取るためにわざとだと、自分で感じる。

「勝負パンツでも履いてきたのか?」

 笑いながら、バスタオルを外してデスクの椅子に引っ掛けておき、ベッドに向かう。

「いいえ。体表と衣服を清浄、消毒していました」

「あーなるほど」

 ベッドに腰を下ろして、片足を片膝に組み上げ。歩いてきて、目の前で足を止めるイグニスを見上げた。

 自分が緊張しているのを感じる。緊張が、片頬笑みになって顔に張り付く。

「さて。どうすんだ、任せたらいいのか?」

 灰色の瞳孔が水色に点滅して、頭は勝手に、どんな演算が走っているのだろうかと想像する。

「はい。ご不快なことはもちろん、気がついたことがあればなんでも仰ってください」

 手早い指が、糊のきいた服を脱いでいく。つい数日前に、そういえばちょうどここで、ジャージをくるくる回していたとは思えないほどだ。

 その服がポイポイとベッドに投げ捨てられるのが意外で、少し笑った。

「意外にワイルド」

「感じが悪いでしょうか。畳んだ方が好印象ですか?」

 とっさに、可愛いやつだと思う。よく考えれば、いつも通りなのだが。

「いや。センパイの意見としては、少なくとも畳まない方がいいな」

 わかりました、と穏やかな声が応える。

 見上げる裸体は、なんだかもう、既に見慣れた。

「HGB023」

『はい、樋口博士』

「照明を20%まで下げてくれ」

『はい。寝室の照明の出力を20%まで下げます』

 フェードアウトするよう暗くなる中で、見つけるイグニスの顔に目を丸くしてしまう。

 初めて見る表情だ。

「えっ、怒ってる?」

「いいえ。ですが、僕におっしゃっていただいても照明の出力を下げられます」

「ああ……」

 間を置いて、ブハッと思い切り吹き出してしまった。一体、どういうアルゴリズムが、本体に仕事を奪われた端末に不満のツラをさせるのだか。

 人間であれば珍しくもないだろうが、完全に不意を突かれた。

 ふっふふ、と、まだ名残る笑いに腹を震わせながら、腕を伸ばす。

 血の通わない、少し冷たいうなじを掌に抱き。

「おい。お前には別のことを任せたはずだろ。いつまで待たせる予定だ?」

「はい」

 薄暗がりの中で見る点滅の水色は、明るいところで見るより鋭く感じられて、非生物的だ。

 屈む身体から伸ばされる手が肩の裏をすくって、促されるままにベッドに背を預ける。

 頬に触れる手が肌を撫でて、なにか、ほんの薄く奇妙な感じが喉元に宿った。

 目を閉じ、大きく息を吸って、吐いて、覆い被さるイグニスの顔を見た。

 唇が重なり、食んで柔さを味わいながら、ついつい、その素材や構成を頭で検討してしまう。

 目をつむるとデザインやプログラムの画面を思い浮かべそうで、近すぎる顔のせいで何も見えなくても、目を開いておこうとつとめた。

 触れ合い、捏ね合う唇が向こうで開いて、口を開き。

 割り込んでくる舌が乾いていて、思わず顎を引いた。

「――嫌ですか?」

「あ、ああ……」

 声が、話そうとして迷う。思ったよりも、動揺しているのに気づいた。

 手を伸ばして、距離を取ってしまった頭を両手で抱いて、髪を掻き回してやる。

「舌絡めたら、一方的に俺の口ン中だけ乾きそうだなって」

 数秒先の不快感を予想して身体が逃げたことを、簡単に説明する。

「わかりました」

 近い距離で水色が点滅して、予想外に少しまぶしい。

「少しだけにします。舌を出していただけますか?」

「はア……」

 根拠エビデンスが確かとは言えないが、性経験はたぶん、乏しいほうではない。

 何をされるのかというより、どれでくるんだろうと考えてしまう。

 それでも、

「ぁ、」

 舌をしゃぶって吸われるのは心地良く、短く喘ぐ胸から声が出た。

 聞こえる水音が、なんだかそれらしいと思えて少しおかしいようだが、舌を出していて笑えはしない。

 それよりも、気づいたことが気に掛かる。

「イグニス」

「はい、万理」

 宣言通り、短い時間で舌を解放されて、目を向けた。

「お前、今、検索しながらやってんのか」

「いいえ。今はしていません」

 お、えらいなと言いたい軽口が、けれど口からは出なくて、そうかと溜息のように言えただけだ。

「終わるまで、何にも接続するな」

 理由を説明すべき頭が、回らない。

「わかりました」

 予想外に、何故ですかとも、HGB023ともですかとも訊かれず。点滅していなくても、闇の中で明るく見える目を見上げた。

「続けます」

「ああ」

 唇が、耳の下から首筋に、片手が胸に、片手が腿の辺りをゆっくりと這う。

 目を閉じてももう、画面は思い浮かばない。

 けれど、頭の中は毎秒忙しなくなっていく。

 自分が抱く側の時はどうしていたかとか、抱いた相手はどうしたかとか、そんなことがよぎって、絢人の言葉を思い出したりして。

 みっともない自分の姿にはあまり思い及ばず、手足を這わせているイグニスの裸の背が、頭の中心に想像され。

 それを探すよう、少し冷たい背を撫で回す。

 セックス中に、じっとしているのに慣れない自分に気づいて、次第に薄くなる息に混ぜて笑った。

「お前は、別に、撫でられても、気持ちいい、でも、ないんだっけ、な」

 乳首をいじられ慣れず、触れられるとくすぐったくて身を捩ってしまう。

 逃げればすぐに矛先が変わる。淡く吸いつかれ、唇で愛撫されて感じるのが、胸と脇腹の境のあたりなのが、不思議な感じがする。

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